贖罪の献げ物(chatat:ハッタート)の法理学(上):レビ記4章とミシュナ『Zevachim(ゼヴァヒーム)』に基づくkaret(カレート)と過失の祭儀的構造
*旧約聖書の最高権威であるトーラ、および口伝律法ミシュナを参照し、各種の献げ物を解説するシリーズ4回目。今回はレビ記4章が規定する「贖罪の献げ物(chatat:ハッタート)」の本質を再構築する。
キリスト教的な広義の「罪」概念を排し、36の「断絶(karet:カレート)」規定に抵触する「不注意による過失」のみを対象とする厳格な祭儀法理を詳説。大祭司、最高法院、王、一般民という統治構造上の地位によるいけにえの差異や、聖所内への血の搬入、灰の家(beit hadeshen:ベイト・ハデシェン)での焼却、祭壇の通路(sovev:ソヴェヴ)における動線など、「律法の現場」を一次史料から厳密に特定する。
chatat(ハッタート;贖罪の献げ物)の法的定義:キリスト教的「罪」概念の払拭とkaretカレートの法理
本稿ではこれまで焼き尽くす献げ物(olah)、穀物の献げ物(minchah)、和解の献げ物(shelamim)について解説した。これら3つの献げ物はトーラに規定された義務として献げなくてはならない時もあるが、自発的に献げることの出来るものである
今回は贖罪の献げ物(chatat:ハッタート)である。これは任意で献げることが出来ない。献げなくてはならないと定められた時に献げるものである。
教会の中で「贖罪」というと、罪と呼ばれる全てのものであり、意識的に犯したことは勿論、不注意によるものを含む。またそれが実際に行われた事であろうと、心の中に起きた事であろうと、変わりがない。
トーラの贖罪の献げ物で対象となるのは、実際に行われたことのみであり、しかも不注意で犯したものだけである。これは重大な違いである。
言い換えれば、原則として意図的に犯した罪は、贖罪の献げ物で贖われない。
ではどのような罪を不注意で犯した場合、献げるべきと規定されているのだろうか。それはもし意識的に犯したのであれば、「民から断たれる」(karet:カレート)とトーラで言われている類の罪である。
それは口伝律法ミシュナ「Keritot」(ケリトット)に36個列挙されている。種類で言うと、以下のようになる。
①性的禁忌の侵犯
②偶像崇拝の具体的奉仕、異教の神々に対するavodah
③祭壇奉仕における時間的不備(notar)・意図的不備(piggul)の侵犯
詳しい内容は以前の記事で解説している。不安な方は下のリンクから確認して欲しい。
◉口伝律法『ミシュナ』におけるkeritot(断絶)の法理学(上):36の禁止規定と天の法廷――トーラ(モーセ五書)による刑罰規定、来たるべき世における生命への影響、および祭儀的不備(piggul/notar)という条件
https://note.com/mishnah/n/n1984f9942eb2
◉口伝律法『ミシュナ』におけるkeritot(断絶)の法理学(下):不作為の罪(過越祭・割礼)の法的特定と、過失(不注意・不確か)における贖罪の献げ物および疑念の賠償の献げ物(asham tarui)の算定法理
https://note.com/mishnah/n/nefe4334e5291
では今回の内容に入る。まず旧約聖書の最高権威であるトーラから引用する。
大祭司(油注がれた祭司)の過失と責任:ヨシヤ王による塗油の秘匿と祭儀の変化
1主はモーセに仰せになった。
2イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。
これは過って主の戒めに違反し、禁じられていることをしてそれを一つでも破ったときの規定である。
この規定は神からモーセに直接示されたものであり、「過って主の戒めに違反し、禁じられていることをしてそれを一つでも破ったときの規定」、つまり不注意で犯してしまった場合であることを言っている。
続きである。
3油注がれた祭司が罪を犯したために、責めが民に及んだ場合には、自分の犯した罪のために、贖罪の献げ物として無傷の若い雄牛を主にささげる。 4まず牛を臨在の幕屋の入り口に引いて行き、主の御前に立ち、その頭に手を置き、主の御前で牛を屠る。
「油注がれた祭司」とは、大祭司の事である。大祭司は油を注がれることによって、その職務にまで高められた者である。
蛇足だがダビデ王朝のヨシヤの時代に、大祭司の塗油に使われる油は秘匿された。
バビロン捕囚による神殿破壊を予見したヨシヤ王が、異教徒に奪われないように隠匿したのである。
それ以来大祭司は油ではなく、大祭司のみが着る祭服によってその職務に高められた。よってレビ記4章の「油注がれた祭司の雄牛」の戒めは、以後は適用されなくなったと解されている。
話を戻すが、「油注がれた祭司が罪を犯したために、責めが民に及んだ場合」(3節)とは、大祭司は複雑な律法の解釈に通じていなくてはならない立場であるが、その判断を誤り、意識的ならkaretになる重い罪を民に犯させてしまった場合を言っている。
「贖罪の献げ物として無傷の若い雄牛を主にささげる」(3節)はこの通り、大祭司によるchatat(ハッタート)に用いるいけにえは無傷の雄牛であることを規定する。
次である。
4まず牛を臨在の幕屋の入り口に引いて行き、主の御前に立ち、その頭に手を置き、主の御前で牛を屠る。
按手して屠るのだが、chatatはkodshei kodashimである。祭壇の北側で屠らなくてはならない。kodshei kodashimが分からない方は、逆引き辞典から見てもいいだろう。
◉【聖書・ミシュナ語彙 総合逆引き事典】律法の現場を再構築する一次史料・専門用語解説(随時更新)
https://note.com/mishnah/n/n66230ec040ed
次節に進む。
聖所内における血の奉仕:『Zevachim』5章2節が規定する贖いの条件
5油注がれた祭司は牛の血を取って臨在の幕屋に携えて入り、 6指を血に浸して、聖なる垂れ幕の前で主の御前に七度血を振りまく。 7次に、血を臨在の幕屋の中にある香をたく祭壇の四隅の角に塗る。残りの血は、全部臨在の幕屋の入り口にある焼き尽くす献げ物の祭壇の基に流す。
通常、血に関する奉仕は外の祭壇においてなされる。そしてもし血を幕屋の中に入れてしまったら、無効になる。
しかしこの場合は、むしろ聖所の中に血を携える。時系列で箇条書きにすると、以下の通りである。
①聖所の中に血を携える。
②至聖所と聖所を隔てている幕に7回血を振りまく。

③聖所の祭壇の四角の角に血を塗る。

④残った血は外の祭壇の基に流す。

写真を見れば一目瞭然であると思う。
この辺りの詳細は、口伝律法ミシュナ「Zevachim」でも語られている。
焼かれる雄牛、焼かれる雄山羊、―それらは北側で屠られ、血が聖なる祭器具で受けられ、血はカーテンに向かって振りかけられ、金の祭壇の上に塗られる。これらの奉仕の1つでも省略するなら、贖いは起きない。
「焼かれる雄牛」が今扱っている雄牛である。この後述べるように、誰も食べず、全て焼かれることから、このように呼ばれていると思われる。
「北側で屠られ、血が聖なる祭器具で受けられ、血はカーテンに向かって振りかけられ、金の祭壇の上に塗られる」はたった今見てきた流れである。
そして「これらの奉仕の1つでも省略するなら、贖いは起きない」とされる。
雄牛の各部の分割については、「和解の献げ物の牛の場合と同じようにして切り取って、焼き尽くす献げ物の祭壇で燃やして煙にする」(10節)とする。脂肪部分は祭壇で燃やすという事である。
ただし、残りの部分は誰も食べない。これが特異な点である。
宿営の外での焼却プロセス:焼却場(beit hadeshen:ベイト・ハデシェン)の空間的特定
ことごとく宿営の外の清い場所である焼却場に運び出し、燃える薪の上で焼き捨てる。これは焼却場で焼き捨てられねばならない。
この場所がどこにあったのか、ミシュナの中でも伝えられていない。2つの見解が示されていて、1つはエルサレムの北側、もう1つは東側であるとする。
いずれにしても「宿営の外」であり、神殿時代ではエルサレムの城壁の外になる。
神殿の祭壇の上にも灰が溜まるが、随時この場所に廃棄されていた。「beit hadeshen(ベイト・ハデシェン:灰の家)」と呼ばれている。
以上が油注がれた祭司が罪を犯したために、責めが民に及んだ場合の贖いである。
次は最高法院が不注意で誤った判断をした場合である。
最高法院(サンヘドリン)および王の過失:統治主体別のいけにえの算定と動線
13イスラエルの共同体全体が過ちを犯した場合、そのことが会衆の目にあらわにならなくても、禁じられている主の戒めを一つでも破って責めを負い、 14その違反の罪に気づいたときは、会衆は若い雄牛を贖罪の献げ物としてささげ、それを臨在の幕屋の前に引いて行く。
これは71人から構成される最高法院サンヘドリンが、間違った法規範によって、全イスラエルに律法を破らせることになった状況である。
最高法院はその名の通り、律法国家であるイスラエルにおいて、最もその判断の権威が高い法廷である。各種の判断が難しい事案について最終的な審判を下す他、戦争の遂行や偽預言者の裁判という専権事項も審理する。
最高法院について不確かな方は、以下のシリーズから確認して欲しい。
◉【シリーズ目次】ミシュナ『Sanhedrin』法理研究
https://note.com/mishnah/n/n8cf87c1bb399
最高法院の誤りにおける贖いは、大祭司の誤りにおける贖いの手続きと同じである。
最後は王である。
22共同体の代表者が罪を犯し、過って、禁じられている主なる神の戒めを一つでも破って責めを負い、 23犯した罪に気づいたときは、献げ物として無傷の雄山羊を引いて行き、 24その頭に手を置き、主の御前にある焼き尽くす献げ物を屠る場所でそれを屠る。これが贖罪の献げ物である。
22節の「共同体の代表者」とは王である。王の誤りはこれまでの大祭司と最高法院と異なり、自らの行為において問われる。
不注意で36のkaretの罪を犯した場合、「無傷の雄山羊」(23節)を用いる。これも今までのケースと異なる。
按手すること、北側で屠ることは共通している。kodshei kodashimであるからである。
その後は、かなり異なっている。
外の祭壇における血の塗布:sovev(ソヴェヴ)の歩行順序と物理的検証
25祭司は献げ物とする雄山羊の血を指につけて、焼き尽くす献げ物の祭壇の四隅の角に塗り、残りの血はその祭壇の基に流す。
ここでは贖いの為に聖所には入らない。外の祭壇の四角の角に血を塗るのである。口伝律法ミシュナ「Zevachim」5章に次のように書かれている。
共同体の、個人の贖罪の献げ物、・・・(中略)・・・これらは北側で屠り、血を受け、4つの角に塗るのである。どのようにであろうか?スロープを上り、出っ張りを巡り、南東の端に行き、北東、北西、南西へ行く。血の残りは南側の基に流す。それらは敷地のカーテンの中で食べる、男性の祭司によって、如何なる方法であっても 、昼と夜、真夜中に至るまで 。
ここでは、外の祭壇における血の塗り方が示されている。以下の順番である。
①南東
②北東
③北西
④南西
写真も確認して欲しい。

これは祭壇の上に上って回るのではない。写真の赤いラインの上に、見づらいが狭い通路が四方を囲んでいる。これは以前の記事で扱ったが、sovev(ソヴェヴ)と呼ばれる。
祭司はsovevを回って血を塗ることになる。
以上で王が誤った場合についての解説を終えた。27節からは、大祭司、最高法院、王ではない一般のイスラエルの民が不注意でkaretの罪を犯した場合である。
これはほとんどが王の場合と同じであり、異なるのは雌山羊を用いるという点だけである。
今回の内容は以上である。次回はchatatを献げる他の場合について扱う。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉【完全体系】旧約聖書「五種の献げ物」の法理学的再構築:トーラ及びミシュナの視座による祭儀構造の詳解
https://note.com/mishnah/n/n88a4520aa574
本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス
https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。
