除酵祭の法理 第5回:国家的企画としての初穂(omer:オメル)収穫と、極微に至る精選
*ユダヤ教の最高権威であるトーラ(モーセ五書)と口伝律法『ミシュナ』の記述から「除酵祭」の真の姿を解き明かすシリーズ5回目。
今回は国家プロジェクトとして行われる大麦の初穂(omer:オメル)の刈り入れのセレモニー、「安息日の翌日」の真意、その背後にある、口伝律法を否定するボエトス派(サドカイ派)との論争を解説。更には3セアから1イッサロンを精選する極微のプロセスから、聖別された穀物の「贖い」に至るまでを網羅。
2,000年前の律法の現場を、手加減抜きの専門性で復元する。
レビ記23章:カナン入植後に課された「不変の定め」
私は過越祭・除酵祭について記事を書いてきたが、それは主に過越の食事(seder:セデル)に焦点を当てたものであった。ここから数回は別の重要な側面について扱う。
まずはトーラから引用する。
9主はモーセに仰せになった。
10イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。
わたしが与える土地に入って穀物を収穫したならば、あなたたちは初穂を祭司のもとに携えなさい。 11祭司は、それを主に受け入れられるよう御前に差し出す。祭司は安息日の翌日にそれを差し出さねばならない。 12この初穂を差し出す日には、傷のない一歳の雄羊を焼き尽くす献げ物として主にささげる。 13それと共に穀物の献げ物、すなわち、十分の二エファの上等の小麦粉にオリーブ油を混ぜたものを、燃やして主にささげる宥めの香りとし、更に四分の一ヒンのぶどう酒をぶどう酒の献げ物としてささげる。 14この献げ物をあなたたちの神にささげるその日までは、あなたたちはパン、炒り麦、あるいはひき割り麦を食べてはならない。これはあなたたちがどこに住もうとも、代々にわたって守るべき不変の定めである。
本文の算用数字は節番号である。
冒頭にまず「わたしが与える土地に入って穀物を収穫したならば」とあるので、これはカナンの地に入植した後の掟になる。
この「初穂」とは大麦である。11節で「祭司は、それを主に受け入れられるよう御前に差し出す。祭司は安息日の翌日にそれを差し出さねばならない」とある。
「安息日」とは字義通りには土曜日を指すが、ここでは安息日同様に聖なる日であり、melachahの制約もほぼ同等である祭日、つまり除酵祭の1日目を指している。
「安息日の翌日にそれを差し出さねばならない」とあるので、具体的にはニサンの月の15日の翌日、つまり16日に祭司は大麦を献げることになる。
ただ、これだけでは大雑把で、祭司がどのように献げるのか具体的なイメージが湧かない。
そこで口伝律法ミシュナ「Menachot(メナホット)」でトーラの内容を補足する。以下の内容を見て欲しい。
3セアから1イッサロンへ:不純物を完全に排する「極微の精選」
ラビ・イシュマエルは言う、「omerは安息日の場合は3セアから、週日の場合は5から取る 」。しかしラビたちは言う、「安息日であろうと週日であろうと、3からである」。ラビ・ハニーナ、祭司たちをまとめる者であるが、言う、「安息日においては、個人によって、1つの鎌で、1つのバスケットで行う。週日の場合は3人によって、3つのバスケットで、3つの鎌で行う」。しかしラビたちは言う、「安息日であろうと週日であろうと、3人によって、3つのバスケットで、3つの鎌で行う。」
omerとは、ここでは大麦の束のことを言っている。神殿に献げる大麦を刈り取る日、ニサンの月の16日がもしも安息日にあたったら、どうするのかが問題になっている。
「安息日の翌日」の法理:melachah(メラハー)を解除する特則と収穫の方法
なぜなら安息日には39の禁止される創造的な活動(melachah:メラハー)の項目があるが、「収穫すること」はその3番目に挙げられているからである。
しかしニサンの月の16日には、旧約聖書の最高権威であるトーラで大麦を献げることが書かれているので、その刈り入れは禁止されないと解釈されている。
原則では安息日に刈り入れは出来ない。しかしニサンの月の16日には特則が設けられているという事である。
従って律法上はこの日に収穫することは問題ないが、それでも憚るべき事情があるという点が争点になっている。
その前に、この大麦を献げるのはニサンの月の16日であるが、刈り入れも16日である。この点が私たちの時間概念では混乱するので、以下のように整理する。次のようになる。
つまり
①日没と共にニサンの月の16日が始まる。
②この夜間にomerの刈り入れを行う。
③夜が明け、omerを神殿に献げる。
という流れである。
以上を前提に上記引用の「Menachot」10章1節を解説する。まず前半部分は次のようにまとめられる。
問題はニサンの月の16日が安息日であったら、どうするのかである。
【1】ラビ・イシュマエルの見解
ニサンの月の16日が安息日の場合、3セアから最も良質の1セアを精選する。
ニサンの月の16日が安息日以外の場合、5セアから最も良質の1セアを精選する。
【2】ラビたちの見解
ニサンの月の16日が安息日でもそれ以外の日でも、3セアから最も良質の1セアを精選する。
このようにラビ・メイルは安息日であるなら、その点を考慮するべきであると主張する。ラビたちはその点区別しない。
halachah(ハラハー)はラビたちである。
次に10章1節の後半部分だが、こちらはラビ・ハニーナとラビたちの見解についてである。
【1】ラビ・ハニーナの見解
ニサンの月の16日が安息日の場合、1人で作業する。
ニサンの月の16日が安息日以外の場合、3人で作業する。
【2】ラビたちの見解
ニサンの月の16日が安息日でもそれ以外の日でも、3人で作業する。
この点でも、ラビたちの見解がhalachahとされる。
次節に進む。
omerの掟は、それが最も近い所から来るべきであるという事である。もしエルサレムに最も近い畑が熟していないなら、どこから持って来てもよい。かつてガゴット・ツェフィフィンから来たことがあった。
ここでは神殿から最も近い畑から取ってくるようにという原則が示されている。掟は出来るだけ早く実行するという基本に拠っている。
エルサレムを出て熟した大麦を探す時、最初に見付かるようなものが良いという事である。
「かつてガゴット・ツェフィフィンから来たことがあった」とあるのは、戦乱の為に畑が荒廃した時に、エルサレムから遠くの地から持って来たことを言っている。
次節に進む。
国家的セレモニーとしての刈り入れ:ボエトス派を退ける「公開確認」
どのようにであろうか?法廷の代理人たちが祭りの前日に出て行って、まだ土に付随したままの状態で束にする。そうすることで、刈り取るのが容易になる。全ての近くの町々は集まり、大きなセレモニーを催す 。暗くなると、彼は彼らに尋ねる 。「太陽は沈んだか?」彼らは答える。「はい」。「太陽は沈んだか?」、「はい 」。「この鎌か?」、彼らは言う、「はい」。「この鎌か?」、彼らは言う、「はい」。「このバスケットか?」、彼らは言う、「はい」。「このバスケットか?」、彼らは言う、「はい」。安息日の場合、彼は彼らに言う、「この安息日か?」、彼らは言う、「はい」。「私は刈り取ってよいか?」、彼らは彼に言う、「はい」。「私はその刈り取ってよいか?」、彼ら彼に言う、「はい」。それぞれの質問を3回、そして彼らは彼に言う、「はい、はい、はい」。なぜこれら全てが必要なのか?Baytusimがモツァエイ・yom tovにomerを刈らないと主張したからである。
これは長いので順番に解説する。「どのようにであろうか?法廷の代理人たちが祭りの前日に出て行って、まだ土に付随したままの状態で束にする」とは、以下のことを意味する。
omerの束を作る方法として、まだ土から刈り取ることなく、先っぽの方を束にまとめるという事である。それを行うのは「祭りの前日」、ニサンの月の14日に行う。上述の通り、刈り入れは16日である。
「全ての近くの町々は集まり、大きなセレモニーを催す」とあるのは、この作業は少数の役人だけの農作業ではなく、国家的なプロジェクトとして位置付けられていることを物語っている。
この箇所で急に16日について語っていることを注意して欲しい。刈り取りのセレモニーはニサンの月の16日である。
以上を前提に役人と会衆たちのやり取りを箇条書きにする。
①「太陽は沈んだか?」 「はい」
除酵祭の1日目はyom tovで収穫が許されないので、日没後、確かに日付が変わったかを確認している。
②「この鎌か?」 「はい」
式の進め方について確認している。
③「このバスケットか?」 「はい」
④「この安息日か?」 「はい」
上記の通り、その日が安息日にあたったら、刈り入れを行ってよいことを確認しなくてはならない。
⑤「私は刈り取ってよいか?」 「はい」
適法に行われていることを確認する。
それぞれの質問は3回尋ねられ、会衆は3回答える。
これらの項目が公の場で宣言されるのは、Baytusim(ボエトス派)を退ける為であるとする。ボエトス派について詳しくは分からないが、サドカイ派の一部、あるいは似通った考えの人たちとされる。
彼らはトーラを解釈する為の口伝律法を否定し、トーラの言葉の字義通りの解釈を主張した。特にここでは、トーラ本文で「安息日の翌日」と書かれているので、この儀式も日曜日に行わなくてはならないと主張していたものである。
これは既に説明した通り、「除酵祭の1日目の翌日」を意味する。
以上で「Menachot」10章3節の解説を終わりにする。次節に進む。
ハラハーが定める加工工程:穀粒の保護と火による精製
彼らはそれを刈り取り、バスケットに入れて神殿に持って行く。彼らはそれを焼く、掟を果たす為に。これらはラビ・メイルの言葉である。しかしラビたちは言う、「彼らは(柔らかい)や茎でそれを叩く、穀粒が潰れることのないように。それからパイプの上に置くが、それには穴が開けられていて、火が全体を焼くようにするのである。彼らはそれを神殿の敷地に広げ、風がその上に吹き付ける。彼らはそれを製粉所に置き、イッサロン取り出す、それを13回こすことになる。残りは贖われ、誰でも食べることが出来る。
刈り取られた大麦は神殿へと運ばれる。その後について、ラビ・メイルと他のラビたちの見解が記されている。
まずラビ・メイルの見解について、トーラを確認する。
初穂の献げ物を主にささげる場合は、麦の初穂を火で炒ってひき割りにしたものを初穂の献げ物としてささげよ。
ラビ・メイルはこの節を根拠として、omerは穀粒をまだ取らない内に、直接火にかけることを主張している。
これに対して他のラビたちは、穀粒はもみ殻から取らなくてはならないとする。この時点ではまだ穀粒は柔らかいので、「穀粒が潰れることのないように」配慮した道具で叩いて表に出す。
また、直接火にかけるのではなく、「パイプの上に置く」。そして焼く。
このラビたちの見解がhalachah(ハラハー)とされる。
次に「彼らはそれを神殿の敷地に広げ、風がその上に吹き付ける」とある。この「神殿の敷地」が具体的にどこになるのか気になるが、正統なユダヤ教の参考書は言及していない。
そこで一応の見解も他所で示されているが、ここでは触れないことにする。
3セアから1イッサロンへ:不純物を完全に排する「極微の精選」
次の「彼らはそれを製粉所に置き、イッサロン取り出す、それを13回こすことになる」とは、収穫した「3セア」(22リットル以上)という大量のものから、最も細かく、最も純粋な部分だけを選り分け、最終的に「1イッサロン」(約2.2リットル)取り分けることを言っている。
これによって目に見えないほど微細な殻や不純物を完全に除去し、「絹のように滑らかで真っ白な粉」を作り上げたらしい。
聖別された大麦の「贖い」:神殿奉仕から一般市場への開放
最後に「残りは贖われ、誰でも食べることが出来る」とある。この時収穫した大麦は神殿の為に取られたものなので、聖性を持っている。そのままでは私的に消費してはならない。
しかし一端用いる分を精選したら、残りは贖ってよい。贖いの方法については参考書に紹介されていないが、トーラには次のように書かれている。
30土地から取れる収穫量の十分の一は、穀物であれ、果実であれ、主のものである。それは聖なるもので主に属す。 31もし、十分の一の一部を買い戻したいときは、それに五分の一を加えて支払わなければならない。
買い戻す時に割増分を加えるのは、聖別した本人が買い戻す場合だけである。他の者が買い戻す場合には、本体の価額のみ支払う。
おそらく神殿の役人が残りの部分を買い戻す手続きとしてそのように行われ、一般の市場に開放するという流れであったと思われる。しかしこれは個人的な見解であるので、参考にのみ留めて欲しい。
今回の内容は以上である。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉三大祭りの法理学全説:トーラとミシュナから復元する過越祭・除酵祭(Pesach:ペサハ)、七週祭(Shavuot:シャヴオット)、仮庵祭(Succot:スコット)(全18記事・完結)
https://note.com/mishnah/n/n8fa728c36e30
本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス
https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。
