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イエスの離縁禁止――トーラの権威とミシュナへの抵抗

 マタイによる福音書19章におけるイエスの「離縁禁止」の言説を、旧約聖書の最高権威であるモーセ五書(トーラ)と口伝律法ミシュナの法体系から検証します。

 具体的には申命記24章の規定する正当な離縁の理由についての解釈、離縁の際に義務となる夫からの経済的扶養義務、妻の背信行為による権利の喪失等、離縁を巡る重要事項を網羅。

 当時の婚姻は、相互扶養と経済的保障に基づく契約であり、特定の状況下では離縁は「義務」として命じられていました。これらを踏まえた上で、イエスの主張がいかに当時のユダヤ社会において論理破綻した「暴言」であり、既存の法運用を根底から無効化する異質な権威であったかを浮き彫りにします。



 新約聖書マタイによる福音書15章における、イエスの「korban(コルバン)」批判は、往々にして「形式主義的な律法学者への道徳的批判」として語られてきました。しかし、その背景にあるユダヤ教口伝律法『ミシュナ』の法体系を無視しては、この論争の本当の是非を見出すことは出来ません。

 本稿では、旧約聖書(タナハ)とミシュナ(特に「Nedarim:ネダリーム」)を一次史料とし、正統なユダヤ教参考書を元にこの場面を検証。

 神と人の所有関係を変更させる「聖別」の本質、祭壇が持つ聖性と瑕疵の修復、そして何より、頑なな誓いを「最初から存在しなかった」ものとする、法廷の遡及的無効判断について詳述します。

ファリサイ派の不可解な質問 

 
 マタイによる福音書19章において、ファリサイ派とイエスは次のように語り合っている。

 ファリサイ派の人々が近寄り、イエスを試そうとして、「何か理由があれば、夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と言った。イエスはお答えになった。「あなたたちは読んだことがないのか。創造主は初めから人を男と女とにお造りになった。」そして、こうも言われた。「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」すると、彼らはイエスに言った。「では、なぜモーセは、離縁状を渡して離縁するように命じたのですか。」イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、モーセは妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない。言っておくが、不法な結婚でもないのに妻を離縁して、他の女を妻にする者は、姦通の罪を犯すことになる。

(マタ19:3~9)

 会話の口火を切ったのはファリサイ派であるが、もしも彼らがファリサイ派であるなら、「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか?」という質問はあり得ない。それは疑問の余地がない事だからである。

 申命記24章の冒頭には、この問題に関して次のように書かれている。

 人が妻をめとり、その夫となってから、妻に何か恥ずべきことを見いだし、気に入らなくなったときは、離縁状を書いて彼女の手に渡し、家を去らせる。その女が家を出て行き、別の人の妻となり、次の夫も彼女を嫌って離縁状を書き、それを手に渡して家を去らせるか、あるいは彼女をめとって妻とした次の夫が死んだならば、彼女は汚されているのだから、彼女を去らせた最初の夫は、彼女を再び妻にすることはできない。これは主の御前にいとうべきことである

(申24:1~4)

 トーラと呼ばれるモーセ五書は、モーセが神から直接受けた内容である。モーセはそれを忠実に書き留めた。従ってこれらの書は旧約聖書の中でも最も権威が高い。そこに離縁についての手続きが書いてあるのだから、「離縁することは律法に適っているでしょうか?」という質問はそもそも念頭にすら浮かばない事である。

 しかしイエスはこの質問に対して、次のように答えている。「あなたたちの心が頑固なので、モーセは妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない。」(8節)

 これではあたかも申命記のこの箇所が、モーセの創意によって書かれたかのようである。ユダヤ教の立場から言うなら、馬鹿馬鹿しい主張ですらある。

 しかし教会においては、イエスのこの言葉は重要である。結婚の単一性、不解消性を表す箇所として尊重される。カトリック教会においては、そもそも離婚という概念すら無い。

 これらの立場の違いは置いておいて、上に引用した離縁についての申命記の本文を1つずつ解説したいと思う。

 まず最初に「妻に何か恥ずべきことを見いだし、気に入らなくなったときは、離縁状を書いて彼女の手に渡し、家を去らせる」(1節)とある。ここから次の点を引き出すことが出来る。

 つまり夫が離縁状(get:ゲト)を書き、渡すのであり、逆ではないのである。律法においては、夫が妻を離縁することになる。その理由については、「気に入らなくなったとき」とある。これが具体的に何を言っているのかが、ラビたちの間で議論になっている。

離縁の正当な理由は何か?

 口伝律法ミシュナ「Gittin(ギッティン)」9章10節を見てみよう。次のように書かれている。

 Beit Shammaiは言う。「男は妻を離縁してはならない、もし彼女の内に姦淫を見出さないなら」。次のように書かれている。「妻に何か恥ずべきことを見いだし」(申24:1)。Beit Hillelは言う。「たとえ彼女が彼の食べ物を燃やしても、次のように書かれている。「妻に何か恥ずべきことを見いだし」 。ラビ・アキバは言う。「たとえもっと美しい女を見付けたときも、次のように書かれている。「気に入らなくなったときは」

(Gittin 9:10)

 本文が分かりにくいが、上記申命記の文言「気に入らなくなったとき」が如何なる時を指しているのか、三者三様の見解を記録したものである。これによると、それは

①姦淫した時である。
②食べ物を燃やしてしまった時である。
③他に素敵な女性を見付けた時である。

 とされる。2番目については、家事において粗相をしてしまった程度になるが、これはむしろ①のような重大な背信行為が無くても、夫婦間に回復不能な亀裂が生じている場合とされる。このような場合、婚姻関係で縛ることは不幸という考えに基づく。

 3番目は最も緩やかな見解である。

 この内、2番目の見解が正統なものとされるが、基本的に夫が離縁状を書き、妻に渡すという構図は変わらない。しかし本人が渡し、あるいは受け取る必要はない。離縁状が確かなものであるなら、夫の代理人が渡し、妻の代理人が受け取ることが出来る。

 これはあまり知られていない事であろうと思うが、結婚する時、夫はketubah(ケトゥバー)と呼ばれる証書を書くことになっている。結婚証書と一応は訳すことが出来る。

結婚証書(ketubah:ケトゥバー)とは

 そこには自分がもしも妻に先立つなら、もしくは妻を離縁することになるなら、一定の金額を渡さなくてはならないことが明記される。現代の感覚ではあり得ないが、彼らは結婚に先立って、離縁または死別の際の妻の扶養について定めることが求められたのである。

 口伝律法ミシュナ「ketubot」1章には次のように書かれている。

 処女のketubahは200ズズである。やもめのものは100。処女であるやもめ、離縁された者、erusinの後にchalitzahを行った者 、-これら全ての場合、ketubahは200ズズであり、彼女たちに対して、その処女性を問題にする訴えをすることが出来る。

(Ketubot 1:2)

 これは結婚する時の女性の立場に従って、ketubah(ケトゥバー)で幾ら保証しなくてはならないかを定めたものである。

 中身について説明する前に、気になる用語について解説する。

 「erusin(エルーシン)」とはしばしば婚約と訳されるが、実際は既に婚姻関係は正式に成立となる第1段階である。

 彼らの結婚は2段階にから成っている。

1段階目(erusinまたはkiddushinキッドゥーシン):婚姻関係に入るが、父の家に滞在している期間。1年程度とされる。

2段階目(nisuin ニスイン):夫の家に移り、完全に結婚が完成する。

 次にchalitzah(ハリツァー)であるが、これは皆さんも読んだことのある儀式であろう。

 もし誰かが子供を残さずに死んだ場合、その兄弟は未亡人となった妻を娶り、子供を産んで故人の家名を継がせなくてならない。もしも彼が義理の姉妹を娶ることを拒んだ場合、以下の儀式を行う。

 彼女(未亡人)は町の門に行って長老たちに訴えて、こう言うべきである。「わたしの義理の兄弟は、その兄弟の名をイスラエルの中に残すのを拒んで、わたしのために兄弟の義務を果たそうとしません。」町の長老たちは彼を呼び出して、説得しなければならない。もし彼が、「わたしは彼女をめとりたくない」と言い張るならば、義理の姉妹は、長老たちの前で彼に近づいて、彼の靴をその足から脱がせ、その顔に唾を吐き、彼に答えて、「自分の兄弟の家を興さない者はこのようにされる」と言うべきである。

(申25:7~9)

 この儀式がchalitzah(ハリツァー)と呼ばれるものである。

 話を戻すが、結婚証書ketubahで保証される額は、立場に従って次のようになる。

①処女:200ズズ(ズズは貨幣単位)
②再婚、寡婦 :100ズズ
③処女のまま寡婦になった者、婚約(erusin)後に離縁・chalitzah(ハリツァー)を行った者:200ズズ

 処女であることは、契約の重要な項目になっているが、これについては今回は深入りしない。

 夫の務めだけでなく、妻の務めについても結婚証書ketubahの内容となり、相互扶養義務が課せられる。ミシュナにも次のように書かれている。

 これらの仕事は女性が夫の為にしなくてはならない。粉を挽くこと、焼くこと、洗うこと、料理すること、子供の面倒を見ること、ベッドを作ること、羊毛で作ること。

(Ketubot 5:5)

 ファリサイ派の人々にイエスに「何か理由があれば、夫が妻を離縁することは、律法に適っているか」と質問しており、上掲申命記24章でもそれが夫の権利としていることから、男性側の強い立場ばかり強調されているように見えてしまう。

 しかし結婚証書ketubahの内容は上記のように相互扶助のものであり、それ程軽々しく離縁出来る訳ではない。200ズズという額は1人の人間が1年間生活するために必要な最低限の生活費を賄うものである。現代の感覚では、数万ドル(数百万円)になるらしい。

 200ズズ所有している者は貧困層ではないので、落ち穂拾いにも参加出来ない。

 次に、上記申命記が「彼女をめとって妻とした次の夫が死んだならば、彼女は汚されているのだから、彼女を去らせた最初の夫は、彼女を再び妻にすることはできない」(申24:3~4)について解説する。この部分はトーラが結婚の聖性をどのように捉えているかを示しているからである。

律法の教える「結婚が終わる時」

 これに関してはミシュナ「Yevamot(イェヴァモット)」10章1節を紹介する。

 夫が異国に行って、証人が来て彼女に「あなたの夫は死んだ」と言い、彼女が再婚し、その後に夫が戻って来るなら、―彼女は2人から去らなくてはならない。彼女は両者から離縁状を求める。彼女はどちらからもketubahを受けることはない。

(Yevamot 10:1)

 夫がイスラエル国外へ出かけ、誰かが聖地にいる妻に対して「あなたの夫は死んだ。私は証人である」と言い、それを鵜呑みにして彼女が他の男性と結婚した場合のことを言っている。

 しかし実際には夫は生きていて、帰宅した状況である。この時、彼女は今の夫と別れなくてはならない。なぜなら正当な夫が実は生きていて、戻ってきたからである。彼女の後の結婚は不法になる。

 しかしそれだけでは済まない。彼女は第1の夫とも別れなくてはならない。その理由は上記に引用した申命記に書いてある。

 彼女は汚されているのだから、彼女を去らせた最初の夫は、彼女を再び妻にすることはできない。

(申24:4)

 夫のいる身で他の男に体を許したら、最早その結婚生活は継続してはならない。それを申命記は述べている。申命記が述べているという事は、神がモーセを通して命じているという事である。

 しかも、この場合「彼女はどちらからもketubahを受けることはない」という。これは上に説明した結婚証書で約束していた、離縁された場合に受けるべきお金のことを言っている。もしも処女で結婚していたなら、200ズズを受け取れない。

 彼女は夫が本当に死んでいるかどうか、十分な調査もせず、軽はずみに他の男と結婚した。だからその離縁にあたっては、どちらからも約束されていたお金を受け取れないのである。

 この「Yevamot」の箇所は何を教えているのか。結婚は他の男との関係によって、正当に終わることを言っているのである。

 結婚は不解消性のものではなく、その後の両者のあり方によって、終わらなくてはならないことを規定している。

 イエスは「神が結んだのだから、離縁は無効である」と主張する。これは単なる解釈の相違ではない。申命記では特定の状況では離縁が義務として命じられているが(申24:4)、それを無視し、法の運用を不可能にするものである。

 当時の律法学者たちにとっては、対話の余地すらない暴言と映ったであろう。


(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)

 本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)

https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334


 全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス

https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c


(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)

◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次

 ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。

https://note.com/mishnah/n/n4ccb130fe6ef

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