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ミシュナ『Bava Kamma』による損害賠償の法理体系 第1回: tam(タム)・muad(ムアド)の法的定義とkeren(角)・shen(歯)・regel(足)の三類型

*本稿では、口伝律法ミシュナの「損害の部」第一篇『Bava Kamma(バヴァ・カンマ)』が規定する、動物および人間による損害賠償の法的根拠を解説する。

 出エジプト記21章を起点に、予見不可能な損害(tam)と常態化した損害(muad)の境界線を、伝統的なハラハーの解釈に基づき詳解。2,000年前の「律法の現場」における緻密な過失責任論を再構築する。


最高権威トーラ(出21章35~36節)における牛の攻撃と所有者の法的責任


 今回から損害と補償について扱う。まずは旧約聖書の最高権威であるトーラから引用する。

 35ある人の牛が隣人の牛を突いて死なせた場合、生きている方の牛を売って、その代金を折半し、死んだ方の牛も折半する。 36しかし、牛に以前から突く癖のあることが分かっていながら、所有者が注意を怠った場合は、必ず、その牛の代償として牛で償わねばならない。ただし、死んだ牛は彼のものとなる。

(出21:35~36)

 この箇所を理解するのは容易ではない。かなり複雑な法理を押さえる必要がある。まず口伝律法「Bava Kamma」1章4節を引用し、tam(タム)とmuad(ムアド)について解説する。

ミシュナにおける損害の区分:tam(予見しない損害)とmuad(見込まれる損害)

 5つのtamがあり、5つのmuadがある。動物は以下の点でmuadではない、―突かず、押さず、噛まず、横にならず、蹴らない。shenとは餌に適しているものを食べるmuadである 。regelは歩いている時に壊すmuadである。muadの牛とは、被害者の所有地で損害を与えるものである。人も。
狼、ライオン、熊、豹、bardelas、蛇はmuadである。

(Bava Kamma 1:4)

 まず用語を詳解する。

①tam

 これは損害を与えるものであるが、通常の仕方で発生する損害ではない。

 例えば、牛は通常人を突いたり、動物を蹴ったりしない。もしそういった仕方で損害を発生させたなら、それは事前に予想しなかったものである。

 「5つのtamがあり」とは、牛は「5つの仕方」でtamであることを言っている。

②muad

 常に一定の仕方での損害が発生することが見込まれる場合である。

 例えば、牛は通常は人を突いたりしない。この点で牛はtamである。しかし他人の草地の中に入るなら、そこにある草を食べてしまう。

 それによって隣人に損害を与えることになる。牛は食べることに関してはmuadである。

 「5つのmuadがある」とは、牛は牛は「5つの仕方」でmuadであることを言っている。

 以上を前提に、このミシュナを少しずつ解説する。

「muadではない(tam)」とされる行動:突く・押す・噛む・横になる・蹴る


 「5つのtamがあり、5つのmuadがある」とは、今述べた通り、動物は5つの仕方においてtamであり、5つの仕方においてmuadであることを言っている。

 上では牛で説明したが、牛に限られない。

 「5つの仕方」の具体的な内容が続く。

 動物は以下の点でmuadではない、―突かず、押さず、噛まず、横にならず、蹴らない。

(再掲 Bava Kamma 1:4)

 これは「muadではない」、つまりtamである点について列挙したものである。動物は以下の点でtamとされる。

①突くこと

②押すこと

③噛むこと

④横になること

 これは壺など、価値のあるものの上に横になることを指す。

⑤蹴ること

 動物は通常、以上のことは行わないと考える。

 先に進む。

所有者の高い注意義務:shen(歯)およびregel(足)のmuad規定

 shenとは餌に適しているものを食べるmuadである 。regelは歩いている時に壊すmuadである。muadの牛とは、被害者の所有地で損害を与えるものである。人も。

(再掲 Bava Kamma 1:4)

 ここでは動物が如何なる点でmuadとされるかを挙げている。つまりここに挙げられているあり方は、通常損害の発生が見込まれるので、所有者には高い注意義務が課せられる。

 始めに用語について説明する。

 「shen(シェン)」とは歯を表す。ここでは他人所有の物を食べ、損害を与えることをshenと言っている。

 「regel(レゲル)」とは足を表す。ここでは歩いている時に踏んで、損害を発生させることを言っている。

 「muadの牛とは、被害者の所有地で損害を与えるものである」が分かりにくい。

ここでmuadのもう1つの側面について説明しなくてはならない。

 例えば牛は「突くこと」に関してはtamであることは、上で確認した。これは通常の牛である。

 しかしもしも3回繰り返して突く場面が見られるなら、その牛は最早「突くこと」に関してtamとは見なされない。muadと見なされる。

 これは私たちの感覚からしても、納得出来ることだろう。

 これに関して、「Bava Kamma」2章4節で詳しく扱われている。

法的地位の転換プロセス:ミシュナ2章4節におけるラビ・ユダとラビ・メイルの論点

 どちらがtamで、どちらがmuadであろうか?muadは3日間警告されたものである 。tamは 、―3日間突くことをしなかったものである。これらはラビ・ユダの言葉である。ラビ・メイルは言う、「muadは3回警告されたものである 。tamは、―子供が触っても、突かなかったものである。」 

(Bava Kamma 2:4)

 「どのような場合にtamであり、どのような場合にmuadであるのか」について、ラビ・ユダとラビ・メイルの見解が示されている。ここでは「突くこと」を典型として取り上げている。

 本文は若干複雑に見えるので、以下の通り箇条書きにする。

【1】ラビ・ユダの見解

 muadとは、3日間連続で突き、その都度所有者に知らされたものである。

 「tamは 、―3日間突くことをしなかったものである」については、一端muadとされたものが、再びtamと認められる条件について言っている。

 それは「3日間他の動物を目にしたが、一度も突かなかった場合」である。

 ラビ・ユダによると、この時牛は再び「突くこと」に関してtamと認められる。

【2】ラビ・メイルの見解

  muadとは、3回連続で突き、その都度所有者に知らされたものである。

 これは1日の内に起こることもあり得る。

 彼によると、tamは「子供が角の間を触っても、突かなかった」ものである。

 halachah(ハラハー)はラビ・ユダの見解である。

 ここでは「突くこと」だけを取り上げたが、動物のtamとされる他の行動「押すこと」や「噛むこと」も同様に言える。

 なぜ、tamとmuadという区別が問題になるのだろうか?それは冒頭で掲載したトーラの問題でもある。

賠償範囲の算定原理:折半(痛み分け)と全額賠償の数学的相殺モデル

 35ある人の牛(tam)が隣人の牛を突いて死なせた場合、生きている方の牛を売って、その代金を折半し、死んだ方の牛も折半する。 36しかし、牛に以前から突く癖のあること(muad)が分かっていながら、所有者が注意を怠った場合は、必ず、その牛の代償として牛で償わねばならない。ただし、死んだ牛は彼のものとなる。

(再掲出21:35~36)

 読んだだけでは細かい点について明確に分からなくても、tamとmuadでは同じ被害を発生させた場合でも、賠償責任の範囲が異なることは理解出来るだろう。

 次のようにまとめられる。

(1)tamが突いた場合

 所有者は事前に予想出来なかったので、お互い様という事で、被害者と痛み分けとする。

 具体的には損害を半分ずつ負担することになる。

(2)muadが突いた場合

 所有者は事前に予想出来たことなので、高い注意義務が課せられる。

 その上で事件が発生したので、彼が全額賠償する。ただし死んだ牛は被害者のものになるので、実損害だけ支払えばよい。

 この原則は次のミシュナで分かりやすく示されている。

 もし2頭のtamが突き合っているなら、その所有者たちは余った分を半分賠償する 。もしそれらがmuadであるなら、全額賠償する。

(Bava Kamma 3:8)

 これは次のことを言っている。

(1)tam同士が突いた場合

 例えば次のような事例である。

①Aの牛がBの牛に100の損害を与えた。

②Bの牛がAの牛に40の損害を与えた。

③相殺すると、AはBに 60の被害を与えたことになる。

この場合、AはBに 30(60の半分) を支払って解決する。

 被害額を折半するのである。

(2)muad同士が突いた場合

 両者共にmuadであったので、上の事例をそのまま使うと、AはBに 60 を支払って解決する。Aは高い注意義務を怠ったので、被害の全額を賠償する。

 さて、話がだいぶそれて膨らんでしまったが、下のミシュナの解説に戻る。

場所的要因および人格的責任:被害者の所有地、人間のmuad性、および野生動物の規定

 muadの牛とは、被害者の所有地で損害を与えるものである。人も。
狼、ライオン、熊、豹、bardelas、蛇はmuadである。

(再掲 Bava Kamma 1:4)

 「muadの牛とは、被害者の所有地で損害を与えるものである」とは、たとえtamの牛であっても、他人の所有地に入ったのなら、muadとして見なすべきという見解を示している。

 例えば「突くこと」に関してtamであっても、他人の所有地に入れたなら、それはmuadと見なし、そこで突いて発生させた損害は、所有者が全額負担するべきというものである。

 これは私たちの感覚に馴染みやすいが、halachahではない。

 「人も」とあるのは、人はmuadであることを言っている。

 「私はそのような事をする人ではなかった」と抗弁し、半分しか賠償しないという主張は許されない。

 「狼、ライオン、熊、豹、bardelas、蛇はmuadである」とは、事前に3回被害が続けて出たとかいう前提なしに、所有者は全額賠償することを覚悟しなくてはならないことを言っている。

 以上を踏まえて、tamとmuadについてまとめる。

体系的総括:keren(角)・shen(歯)・regel(足)におけるハラハーの確立


【1】tam

 動物は基本的に、以下の点に関してtamである。

①突くこと

②押すこと

③噛むこと

④横になること

⑤蹴ること

【2】muad

 もしも3日間続けて被害を出すなら、その動物はその行為に関してmuadとされる。

 用語として、以下の3つが定められている。

①shen(歯)

 餌に適しているものを食べるmuadのこと。

②regel(足)

 歩いている時に壊すmuadのこと。

③keren(ケレン:角)

 これは上には述べなかったが、突いて被害を出す動物をkeren(角)と呼ぶ。

 その他、人間、狼、ライオン、熊、豹、bardelas、蛇はmuadとされる。

 今回の内容は以上である。

(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)

シリーズ目次は以下からご覧になれます。

◉【シリーズ目次】『Bava Kamma』『Bava Metzia』『Bava Batra』の「3つの門」の基本的な法理研究

https://note.com/mishnah/n/n8377d72f85f0


 本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)

https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334


 全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス

https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c


(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)

◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次

 ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。

https://note.com/mishnah/n/n4ccb130fe6ef

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