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カナの婚礼(下)――chaverim(ハヴェリーム)が安心して座れる婚礼の食卓

*聖書の有名なエピソード「カナの婚礼」。イエスが水をぶどう酒に変える奇跡において、「石の水がめ」が使われています。

 これには当時のユダヤ社会における厳格な汚れ(tumah:トゥマ)と清め(taharah:タハラ)の掟が関わっています。石作りであったことは好みによる選択ではなく、花婿の社会的信用を守り、掟に忠実な人々chaverimを繋ぎ止めるための、宗教的かつ実務的な必要性でした。

 今回は、旧約聖書の最高権威であるモーセ五書(トーラ)と口伝律法(ミシュナ)を紐解きながら、当時の人々が共有していた汚れの概念と、石の水がめに託された意味を解説します。


前回の振り返り


 前回は以下の内容を確認した。

  1. 福音書のカナの婚礼は水曜日に催されていたものであること。

  2. 水曜日に婚礼が開かれるのは、初夜の際に花嫁が処女でなかった場合、夫が法廷に訴え出ることが出来る便宜の為であること。

  3. 7日間の婚礼の初日にあたるカナの婚礼において、ぶどう酒を切らすことは単なる不足で済む問題ではなく、契約不履行や社会的信用の失墜を意味し、法的な責任を問われかねない大事であったこと。

(前回の記事はこちらからご覧頂けます)

◉カナの婚礼(上):ミシュナが明かす、「水曜日」の結婚式に隠された理由と「死刑」の影

祭儀的な「汚れtumah:トゥマ)」と「清め(taharah:タハラ)」の基礎知識


 今回はその続きである。それにあたっては、まず汚れ(tumah:トゥマ)と清め(taharah:タハラ)に関する基本を押さえなくてはならない。

 度々説明したように、聖書で言う汚れとは、祭儀的なものである。汚れた者は神殿の敷地や献げ物など、聖別されたものに触ることが出来なくなる。

 一端汚れたら、清めの手続きを経る。それは主にレビ記に規定されているが、福音書から1つ例を取ってみよう。

 さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。 それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。

(ルカ2:22~24)

 この箇所は初子の贖いの掟とごちゃ混ぜになっているので分かりにくいが、マリアが出産による汚れの清めについて、律法の要求に従ったことが書かれている。

 出産による汚れの清めについては、旧約聖書の最高権威であるモーセ五書(トーラ)のレビ記に次のように書かれている。

 イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。
 妊娠して男児を出産したとき、産婦は月経による汚れの日数と同じ七日間汚れている。八日目にはその子の包皮に割礼を施す。産婦は出血の汚れが清まるのに必要な三十三日の間、家にとどまる。その清めの期間が完了するまでは、聖なる物に触れたり、聖所にもうでたりしてはならない。

(レビ12:2~4)

 ここでは男児を出産した母親について、次のことを言っている。

①月経の場合と同程度に7日間汚れていること。
②8日目に(父親は)息子に割礼を施すこと。
③7日経過の後、― (mikveh:ミクヴェで身を清め) ― 更に33日間待機する。

 この内、①は出産直後の汚れの程度は重いことを表している。母親が触った物は汚れるし、夫とは性行為することも出来ない。

 7日間経過した後、mikveh(ミクヴェ)という雨水を溜めたプールで体を清めると、大部分清くなる。人や物に汚れを移すことはなくなるが、まだ完全に清くなっていない。これはmechussar kippurim(メフサル・キップリーム)という状態であり、神殿の敷地に入ったりすることは出来ない。

 その後彼女は献げ物を献げなくてはならないが、それは今回の記事には不要であるので、ここでは立ち入らないことにする。

 さて、今出産から7日間の女性は月経中と同程度に汚れており、「人や物に汚れを移す」ことを述べた。具体的な汚れの程度は、レビ記15章に書かれている。

 女性の生理が始まったならば、七日間は月経期間であり、この期間に彼女に触れた人はすべて夕方まで汚れている。生理期間中の女性が使った寝床や腰掛けはすべて汚れる。彼女の寝床に触れた人はすべて、衣服を水洗いし、身を洗う。その人は夕方まで汚れている。また、その腰掛けに触れた人はすべて、衣服を水洗いし、身を洗う。その人は夕方まで汚れている。彼女の寝床や腰掛けを使って、それに触れたならば、その人は夕方まで汚れている。

(レビ15:19~23)

 月経期間は次のようであると言っている。

①彼女に触れた人は汚れる。
②彼女の使った寝床、腰掛けは汚れている。
③彼女の使った寝床、腰掛けに触れた人は汚れる。

「生命のない物」さえも汚れるという厳格な律法

 ラビたちはこの箇所から膨大な掟を引き出しているが、この記事では本人が汚れるだけでなく、「生命のない物も汚れる」ことに注目して欲しい。その上でもう1度ヨハネによる福音書2章のカナの婚宴の一部を見てみよう。

 そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。

(ヨハ2:6~7)

なぜ「石の水がめ」でなければならなかったのか?


 明確に「清めに用いる石の水がめ」と書かれている。これに関して、口伝律法ミシュナ「Oholot(オホロット)」5章には次のように書かれている。

 もし道具がフン、石、焼いていない土で作られているのなら、それらは全て清いままである。

(Oholot 5:5)

 石作りのものは汚れを受けないことを明記している。物にも汚れを受けるものもあり、汚れを受けないものもある。これは大原則である。イエスが「清めに用いる石の水がめ」を指定したのは、石が汚れを受けない(その中身にも汚れを移さない)材質のものであることが前提になっている。

 婚宴の席には多数の人が参加するが、一般のユダヤ人は、平時清い状態であるとは考えられていない。口伝律法ミシュナ「Chagigah(ハギガー)」には次のように書かれている。

 am haaretz(アム・ハアレツ;一般のユダヤ人)の衣服は、perushim(ペルシーム)にとってはmidrasと見なされる。

(Chagigah 2:7)

 これは難しく見えるだろうが、簡単な内容を言っている。perushimとはこの後解説するが、取りあえず掟を厳格に守る人たちと思ってもらえればよい。手洗いにこだわったファリサイ派のイメージである。

 彼らにとっては、am・haaretz(アム・ハアレツ;一般のユダヤ人)の衣服はmidras(ミドラ)と言っている。midras(ミドラ)は難しい概念だが、ここでは人にも物にも汚れを移す程、重い汚れを持っているという事である。

 つまり、厳格な人にとっては、一般のユダヤ人は皆重い汚れを持った衣類を着ていると言うのである。

 おそらく読者の方々もレビ記に挑戦し、挫折した経験が一度はあると思う。律法に関する用語は複雑で、互いに入り組んでいる。

 汚れに関する掟はその中でも最も難しい箇所になる。

 それはユダヤ教徒も同じであり、一般の信徒は汚れ(tumah:トゥマ)や清め(taharah:タハラ)について、ほとんど理解していない。全体が膨大で、細則が複雑に過ぎるのである。

 従って婚礼のような大勢が集まる場所においても、誰かが水がめを汚し、飲み水全体が汚れたものになりかねない。石の水がめを使うのは、安全な方法なのである。

 次はchaverim(ハヴェリーム)について解説する。しかしここでは記事に必要な最低限のことしか説明しない。詳しく知りたい方は以下の記事を読んで欲しい。

◉ファリサイ派とは何者か?(2)―「仲間(ハヴェリーム)」だけが座れる聖なる食卓

 chaverim(ハヴェリーム)は直訳では友人を表すが、ここでは汚れ(tumah:トゥマ)と清め(taharah:タハラ)に関して、厳しく遵守することを誓い、一定の見習い期間を経て受け入れられた者のことを言う。

 汚れは人間だけではなく、物にも移ることは上に述べた。物に移った場合最も厄介なのは、それを聖なる用途に用いることが出来ない事である。

 例えば穀物、ぶどう酒、オリーブ油は、どれも毎日神殿で献げられる。それが祭儀的に汚れてしまったら、神殿で用いることは出来ない。

 また、次の箇所を見て欲しい。

祭司はイスラエルの人々が主にささげる聖なる献げ物を汚してはならない。

(レビ22:15)

 イスラエルの人々は、収穫の中から一部を祭司に差し出す義務がある。この時祭司に与えられる分はterumah(テルーマー)と呼ばれるが、それがここで「聖なる献げ物」と呼ばれているものである。

 「聖なる献げ物を汚してはならない」とあるのは、それを食べる祭司たちは汚れた状態で触れてはならないということである。勿論その他のイスラエルの人々も、汚れた状態で扱ってはならない。もしも汚してしまったら、それは最早祭司の食べてよいものではなくなる。

最高レベルの清浄規定が守った「花婿の信用」

 このように、モーセ五書(トーラ)では「聖なるもの」、「聖別されたもの」が規定されている。他方で特に定められていないものに関しては、そのような制限は無い。

 この点chaverim(ハヴェリーム)は厳格である。彼らは次の点を誓い、遵守している。

①通常の食べ物であっても、汚れた状態では食べない。
②通常の食べ物であっても、清さを守って食べる。

 従って、彼らは通常、一般のユダヤ人am・haaretzとは食事をしない。


 今、ヨハネによる福音書2章の場面では、石作りの水がめが用意されている。婚礼にchaverim(ハヴェリーム)を招くのであれば、主催者は彼らが安心して口にできる飲み物を用意しなければならない。

「石の水がめ」が6つも並んでいる光景は、「この家は最高レベルの清浄規定を守っている」という証明であり、chaverimに対する信頼の証であった。

 婚礼の期間の初日にぶどう酒が無くなったが、それで花婿が信用を失うことがなく、またchaverim(ハヴェリーム)が席を立たなくてはならない事態も回避出来た。

 私たちは如何なる時も最善を尽くし、神の助けを願わなくてはならない。

(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)

 本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)

https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334


 全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス

https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c


(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)

◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次

 ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。

https://note.com/mishnah/n/n4ccb130fe6ef


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