レビ記1章における「焼き尽くす献げ物(olah:オラー)」の祭儀規定:口伝律法『ミシュナ』に基づく奉仕手順と空間的制約の全容
*聖書学における従来の抽象的な説教を排し、口伝律法『ミシュナ』の記述を基軸に「焼き尽くす献げ物(olah)」の儀礼的実態を解析する。語源的定義から、祭壇における家畜(牛・羊・山羊)のavodah(アヴォダー)と鳥類の奉仕の決定的な差異、血の注ぎ(zerikah:ゼリカー)における空間的規定までを網羅。日本語圏における聖書解釈の再構築を目的とした、手加減抜きの専門研究。
「olah(オラー)」の定義:上昇する煙と心の中の罪の贖い
今回から献げ物について扱うが、レビ記の順番通り、最初に焼き尽くす献げ物(olah:オラー)について解説する。まず名称の「olah」であるが、これは「上昇する」ことを表している。これについては、ラビたちの間で幾つかの見解が示されている。
①献げ物の全てが煙となり、神の前に「上昇する」こと。
②人の心の中で「浮かんだ」罪の為に献げるものであること。
この2番目の点については意外に思うかもしれないが、ヨブ記の冒頭には次のように書かれている。
4息子たちはそれぞれ順番に、自分の家で宴会の用意をし、三人の姉妹も招いて食事をすることにしていた。 5この宴会が一巡りするごとに、ヨブは息子たちを呼び寄せて聖別し、朝早くから彼らの数に相当するいけにえをささげた。「息子たちが罪を犯し、心の中で神を呪ったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつもこのようにした。
この「いけにえ」は焼き尽くす献げ物とされる。ヨブはユダヤ人ではないが、olahは異邦人でも献げることが出来る。
彼は息子たちの心の中の罪について気遣い、焼き尽くす献げ物を献げたのである。
「olah」の意味するところについては、他の見解も示されているが、これ以上は立ち入らない。
トーラを引用する。
あなたたちのうちのだれかが、家畜の献げ物を主にささげるときは、牛、または羊を献げ物としなさい。
「牛、または羊」とあるが、この「羊」の原語は羊も山羊も表すものである。従って正確には「牛、羊、または山羊」となる。次である。
3牛を焼き尽くす献げ物とする場合には、無傷の雄をささげる。奉納者は主に受け入れられるよう、臨在の幕屋の入り口にそれを引いて行き、 4手を献げ物とする牛の頭に置くと、それは、その人の罪を贖う儀式を行うものとして受け入れられる。
まず牛を焼き尽くす献げ物として献げる場合、雄に限定される。雌であってはならない。
また献げ物を献げるのは、任意の場所であってはならない。荒野時代は臨在の幕屋、後代においては神殿に持って行くことになる。
いけにえに傷があってはならない。これはレビ記22章に具体的に示されている。
献げ物の適格性:レビ記22章における「傷」の規定と神殿維持のための聖別
22目がつぶれたり、足が折れたり、傷ついたりしているもの、こぶのあるもの、できものや疥癬のあるものなど、このような動物を主にささげてはならない。そのいずれも祭壇で燃やして主にささげてはならない。 23牛や羊で手足の不釣り合いのものや、発育不全なものは随意の献げ物とすることはできるが、満願の献げ物としては受け入れられない。 24また、睾丸が押しつぶれたり破れたり、引き裂かれたり切り取られたものを主にささげてはならない。あなたたちの国でこのようなことをしてはならない。 25あなたたちはこれらの動物を外国人から入手して神の食物としてささげてはならない。それらの動物は傷や欠陥のあるもので、決して受け入れられない。
この内、22節については特に問題はない。23節に「牛や羊で手足の不釣り合いのものや、発育不全なものは随意の献げ物とすることはできる」とあるが、これは誤解を招く表現である。
むしろ、「随意の献げ物とすることはできる」ではなく、「神殿の為に聖別することが出来る」という意味である。祭壇に献げるのではなく、神殿の維持の為に、その価値が献げられるという事である。それは神殿宝物庫の管理になり、傷があっても許容される。
また「満願の献げ物」はより直接的な翻訳では「誓いによる献げ物」である。単純に献げることを誓った場合や条件が成就したことによる献げ物であることを言っている。
25節は複雑な言い方をしているが、異邦人がしているように、傷のあるものを献げてはならないことを強調している。例えば異邦人は神々に捧げるいけにえを去勢した。その美しさを維持する為である。ユダヤ教徒はそのようなことをしてはならない。
話を焼き尽くす献げ物(olah)に戻す。
家畜の献げ物における「avodah(アヴォダー)」:semichah(セミハー)からshechitah(シェヒター)、holachah(ホラハー)、zerikah(ゼリカー)まで
これら傷のないいけにえに按手するが、按手はsemichah(セミハー)と呼ばれる。両手で全ての力を込めて頭を押すが、この時に自分の罪を告白する。次である。
5奉納者がその牛を主の御前で屠ると、アロンの子らである祭司たちは血を臨在の幕屋の入り口にある祭壇の四つの側面に注ぎかけてささげる。
祭司が献げ物に関してする主要な奉仕はavodah(アヴォダー)と呼ばれる。以下の通りである。
①shechitah(シェヒター)
屠ること。
②kabbalah(カバラー)
屠られたいけにえの血を祭器具kli shareit(クリ・シャーレット)で受けること。
③holachah(ホラハー)
血を祭壇に運ぶこと
④zerikah(ゼリカー)
血を振りかけること。
この短い節において、①~④の全てが行われていることになる。
祭壇の空間規定:血のzerikahと焼き尽くす献げ物の赤いライン以下の原則
「祭壇の四つの側面に」振りかけることを言っているが、これは以前どこかの記事で触れた。祭壇の北東箇所と南西箇所に立ち、角に振りかけて血が2つの側面に広がるようにするのである。
焼き尽くす献げ物の血は、祭壇を取り巻く赤いラインよりも下に振りかけなくてはならない。写真だけ貼付しておく。

なお4つのavodahの内、②~④は全ての種類の献げ物において、祭司が行わなくてはならない。それ以外の者が行った場合は無効になる。
次に進む。
ミシュナ「Tamid」に見る屠殺場の構造:石柱・フック・大理石テーブルの物理的配置
6奉納者が献げ物とする牛の皮をはぎ、その体を各部に分割すると、 7祭司アロンの子らは祭壇に薪を整えて並べ、火をつけてから、 8分割した各部を、頭と脂肪と共に祭壇の燃えている薪の上に置く。 9奉納者が内臓と四肢を水で洗うと、祭司はその全部を祭壇で燃やして煙にする。これが焼き尽くす献げ物であり、燃やして主にささげる宥めの香りである。
ここでは「皮を剥ぐこと」、「各部に分割すること」、「洗うこと」のイメージがつきにくい。
まず「皮を剥ぐこと」、「各部に分割すること」について、口伝律法ミシュナ「Tamid」3章5節を見てみよう。
・・・屠る場所は祭壇の北側に位置し、その場所には8つの小さい石の柱が立っている。それぞれの突端に過ぎの正方形が付けられ、鉄のフックが3つそこに嵌め込まれている。そこに彼らはいけにえを引っかけ、皮を剥ぐ。柱の間には大理石のテーブルが置かれている。
「屠る場所」は下の写真の黄色の領域において行う。「8つの小さい石の柱」は赤く囲っている場所である。その「柱の間には大理石のテーブル」が置かれていて、その上でいけにえを分割することになる。

次に洗う場所であるが、同じ写真の下の青い囲いの中と思われる。

後は祭壇上で燃やすことになる。以上で牛についての焼き尽くす献げ物についての解説を終えた。
次に羊か山羊をolahにする場合だが、これは牛の場合と並行しており、特に改めて付け加えることはない。しかし鳥の場合は大きく異なる。まずトーラを引用する。
鳥の献げ物における特例:山鳩・家鳩の制限と「melikah(メリカ:首をもぎ取る方法)」の技法
14鳥を焼き尽くす献げ物として主にささげる場合には、山鳩または家鳩を献げ物とする。 15祭司はそれを祭壇にささげ、祭壇で燃やして煙にする。まずその首をもぎ取って、血を祭壇の側面に絞り出す。 16次に、餌袋とその中のものを取り除き、祭壇の東側の灰捨て場に捨てる。 17それから翼を持って胴を引き裂くが、祭司はこれを裂き切らずに、祭壇の燃えている薪の上で煙にする。これが焼き尽くす献げ物であり、燃やして主にささげる宥めの香りである。
焼き尽くす献げ物の牛や羊、山羊は雄と決まっていたが、鳥はそうではない。雄でも雌でも可能であり、傷のない雄とかいう要求は無い。
山鳩(雉鳩)と家鳩についてだが、実は成長段階については制限がある。
①山鳩
成長し、大人になったものに限定される。
②家鳩
家鳩はまだ若いものに限定される。
これは大人になった山鳩、また若い家鳩の性格が、イスラエルの持つべき態度やあり方を象徴しているという事らしい。
牛や羊などの家畜を献げる場合はshechitah(屠殺)という方法を取らなくてはならない。しかも先ほど述べた通り、焼き尽くす献げ物の場合は祭壇北側のリングの所で行う。
鳥の場合は別の仕方で準備する。
祭壇の南東部に鳥を持って行き、親指の爪で鳥の首の後ろを押し、骨に至るまで切る。そのまま喉と気管を切断する。家畜のように刃物は用いない。この方法をmelikah(メリカ)と呼ぶ。
鳥の焼き尽くす献げ物の方法は、ミシュナ「zevachim」6章に詳しいので、それを引用する。
祭壇南東部での奉仕と貧者への配慮:ミシュナ「Zevachim」が規定する空間儀礼
どのように鳥の焼き尽くす献げ物は献げられるだろうか?スロープを上り、出っ張り(sovev;ソヴェヴ)に行き、南東部の角まで来る。鳥の頭の後ろにmelikahを行い、引き裂き、その血を祭壇の壁に流す。頭を取り、その傷口を祭壇に向け、塩をふり、火の中に投げる。それから体の部位に取りかかり、餌袋を取り除き、それに付いている羽と尾も取る。それらは灰の場所に投げる 。彼は引き裂くが、それを完全に分けない。しかしもし分けてしまったら、それも有効である。彼はそれに塩をふり、火に投げる。
順番に解説する。まず「スロープを上り、出っ張り(sovev:ソヴェヴ)に行き、南東部の角まで来る」の部分が重要である。

図の黄色いしるしが付けられている箇所がそこである。スロープを上りきらずに、側道から入って行く。そこで鳥にmelikahを行い、その血を祭壇に流すのである。見ての通り、この場所は祭壇を取り巻く赤いラインよりも上になる。
「頭を取り、その傷口を祭壇に向ける」とあるのは、血を注ぐ為の措置である。その後「塩をふる」。祭壇で燃やすものは、全て塩を振らなくてはならない。こうした頭を火に投げ込む。
「それから体の部位に取りかかり、餌袋を取り除き、それに付いている羽と尾も取る。それらは灰の場所に投げる」が分かりにくいが、祭司は先程の祭壇の南東部に立ったまま、餌袋は「灰の場所」に投げ捨てる。
「灰の場所」は大体下の写真の辺りである。

基本的には羽や尾は本体に付いたままである。それを引き裂いてはならない。
後の回で扱うが、鳥の献げ物は貧しい人にのみ許される選択肢として提示される場合がある。彼らが恥ずかしい思いをしないように、外観を美しく保つ配慮でもある。
後は頭の場合と同じである。
今回の解説は以上である。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉【完全体系】旧約聖書「五種の献げ物」の法理学的再構築:トーラ及びミシュナの視座による祭儀構造の詳解
https://note.com/mishnah/n/n88a4520aa574
本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス
https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。
https://note.com/mishnah/n/n4ccb130fe6ef
