ミシュナ『Temura(テムラー)』の法理 第1回:レビ記27章における「いけにえの交換禁止」、身体刑規定、及び初子(bechor:ベホール)の聖別場所と帰属の定義
*本稿はモーセ五書(トーラ)レビ記27章が規定する「いけにえの交換(temura)」の禁止命令について、口伝律法ミシュナ第5部『Kodashim』の『Temurah(テムラー篇)』を参照して解説するシリーズ1回目である。
今回は『Temura』1章1節を扱い、違法な交換宣言が「法的有効性」を持つ論理的構造、および39回の鞭打ち刑が科されるユダヤ法(ハラーハー)の厳格な二重罰則規定を解説。
さらに、賠償の献げ物(asham)、贖罪の献げ物(chatat)、初子(bechor)の所有権の帰属および聖別場所を巡る、ラビ・ヨハナン・ベン・ヌリとラビ・アキバの高度な法理論争を、伝統的な注解に基づき手加減抜きで詳解する。
レビ記27章における「いけにえの交換(temura)」の禁止規定と法的有効性
今回からtemura(テムラー:テムラとも表記される)について扱う。temuraは代替物を表し、またそれは代わりとなった家畜をも表す。まずはトーラから引用する。
9もし、主への献げ物として家畜を携える場合、主にささげるものはすべて、聖なるものとなる。 10それを他のものと替えたり、良いものを悪いものに、あるいは悪いものを良いものに替えてはならない。もし、その家畜を他の家畜と替えるならば、それも、替えたものも、聖なるものとなる。
トーラは「いけにえ」を交換することを禁止しており、それは代わりとなる「いけにえ」の方がより上等であっても認められない。「元の『いけにえ』が傷を負ったので、代わりにこちらの家畜を使おう」という配慮も許されない。
temuraはこの代わりにしようとした家畜を表すものである。temuraは次のような宣言によって効力を生じる。つまり「この聖別されていない『いけにえ』は、この献げ物の代わりとなる」、またはこれに類する言葉による。
上掲レビ記27章の本文にある通り、この宣言によって元の献げ物の聖性は奪われない。
導入はこの程度にして、以下、口伝律法ミシュナ「Temura」を参照しながら、この掟の詳細を解説する。まずは1章1節から引用する。
ミシュナ『Temurah』 1章1節:女性の法的主体性と39回の鞭打ち刑の根拠
全ての人はtemuraをすることが出来る、男も女も。これはtemuraが許されているという事ではない。むしろ、もし彼がtemuraをするなら、それは有効であり、彼は40回の鞭打ちを受ける。
冒頭の「全ての人はtemuraをすることが出来る、男も女も」は、男性でも女性でも、ある家畜について、既に献げ物として取り分けられたものの代わりになることを有効に宣言することが出来るというものである。
上掲レビ記27章10節の主語について、日本語の翻訳では反映されていないが、原文では「彼」と男性名詞になっている。そこで女性についてはtemuraを有効に行うことが出来ないのではないかとも思われるが、実際は女性も含まれると解釈されている。
次に「これはtemuraが許されているという事ではない」と書いてある。有効にtemuraをすることが出来るというのは、それが律法上許容された行為であることを意味しないという事である。
temuraはトーラで明確に禁止された行為である。そこで「彼は40回の鞭打ちを受ける」と書かれている。「40回」と書かれているが、実際は39回であることは、以前の記事で解説した通りである。
知識に不安を感じる方の為に、以下リンクを貼っておく。
◉ミシュナ『Makkot(マッコート)』の法理 第5回――ナジル人の禁止規定・衣類のkilayim(キルアイム)の禁止規定における罪の個数、及び申命記25章「b'mispar arba'im(ベミスパル・アルバイーム)」における39回の鞭打ち刑の解釈
https://note.com/mishnah/n/ne16c90a44343
ユダヤ法理における「禁止命令」と「肯定的命令」の並置による身体刑免除と、その例外
しかしこの箇所はもう少し詳しい論点を含んでいる。もう一度レビ記27章10節の部分を掲載する。
それを他のものと替えたり、良いものを悪いものに、あるいは悪いものを良いものに替えてはならない。もし、その家畜を他の家畜と替えるならば、それも、替えたものも、聖なるものとなる。
ここではまずtemuraをしてはならないという禁止命令が書かれている。その後で「もし、その家畜を他の家畜と替えるならば、それも、替えたものも、聖なるものとなる」と書かれているが、この部分は単にtemuraの結果だけを意味しているのではない。
「temuraを犯した場合、元の献げ物もtemuraも、両方とも聖別されたものにしなくてはならない」という肯定的命令をも言っている。
トーラにおいては次の規則が認められている。つまり禁止命令が肯定的な命令と並んで書かれている場合、もしも禁止命令を犯してしまったなら、肯定的な命令を行うことで身体的な罰則を免れるというものである。
この典型的な例が窃盗である。トーラには次のように書かれている。
あなたたちは盗んではならない。
すなわちこのような罪を犯すならば、彼はその責めを負い、その盗品、横領品、・・・(中略)・・・すべて返さねばならない。
そこで、窃盗の罪を犯してしまっても、それを返還するなら、身体的な刑罰である鞭打ち刑は免れると解釈される。
話をtemuraに戻すが、以上の論理で考えると、temuraを犯した場合、元の献げ物もtemuraも、両方とも聖別されたものとして扱うなら、鞭打ち刑を免れそうである。
しかしトーラ本文で「それを他のものと替えたり・・・替えてはならない」(上掲レビ27:10)と禁止命令が2つ書かれている。そこで「元の献げ物もtemuraも、両方とも聖別されたものとして扱う」という肯定的命令を実行したとしても、鞭打ち刑は免れないとされている。
続きには次のように書かれている。
asham(賠償)とchatat(贖罪)の構造的共通点
祭司は自分の献げ物にtemuraを作ることが出来るし、イスラエルの民もそうである。しかし祭司は贖罪の献げ物、賠償の献げ物については出来ない。ラビ・ヨハナン・ベン・ヌリは言った、「しかし祭司はbechorについては出来ないだろうか?」ラビ・アキバは彼に言った、「贖罪の献げ物と賠償の献げ物は祭司への贈り物である。」
一見したところ、このミシュナは難解に見える。今回は192個目の記事であるが、過去の記事を読んできた読者なら、理解出来る内容である。
「祭司は自分の献げ物にtemuraを作ることが出来るし、イスラエルの民もそうである」とは、それぞれ自分の所有である家畜について、temuraすることが出来ることを言っている。それは祭司でも、その他のイスラエルの民でも違いはない。
しかし自分が所有していない家畜に対して、temuraをすることは出来ない。
次に「祭司は贖罪の献げ物、賠償の献げ物については(temura)出来ない」の箇所である。まず、トーラを引用する。
2賠償の献げ物は焼き尽くす献げ物を屠る場所で屠る。血は祭壇の四つの側面に注ぎかける。 3脂肪は全部切り取ってささげる。それは脂尾、内臓を覆っている脂肪、 4二つの腎臓とそれに付着する腰のあたりの脂肪、腎臓と共に切り取った肝臓の尾状葉である。 5祭司はこれを祭壇で燃やして主にささげ、煙にする。これが賠償の献げ物である。 6祭司の家系につながる男子は皆、これを食べることができる。これは聖域で食べねばならない。これは神聖なものである。 7贖罪の献げ物も賠償の献げ物も指示は同じであって、献げ物は罪を贖う儀式を執行する祭司のものである。
先に進む前に、賠償の献げ物はasham(アシャム)と言い、贖罪の献げ物はchatat(ハッタート)と呼ぶ。以下、原文の読み方も用いることにする。
賠償の献げ物(asham)の献げ方は、贖罪の献げ物(chatat)と同じである。ただしashamは血を祭壇に塗ることはしない。
ashamとchatatとの共通点は以下のようにまとめられる。
①祭壇の北側で屠る。
焼き尽くす献げ物と同様、kodshei kodashimは祭壇の北側で屠らなくてはならない。ashamもchatatも、kodshei kodashimである。
②血は祭壇の四つの側面に注ぎかける。
③脂肪部分を燃やす。
上掲レビ記7章3~5節で書かれている部分である。
④祭司のみが神殿の敷地の中で食べる。
この点は和解の献げ物(shelamim:シェラミーム)と異なる。shelamimはエルサレムの城壁内で食べればよいが、ashamとchatatは祭司のみ、神殿の敷地内で食べることが出来る。
以上を前提に「祭司は贖罪の献げ物、賠償の献げ物については(temura)出来ない」(Temura 1:1)の内容を解説する。
上で見た通り、ashamとchatatの脂肪が祭壇で焼かれた後、肉の部分は祭司に与えられる。従って祭司がこれらの献げ物の「所有者」であるかのように考え、temura出来ると誤解するかもしれない。
しかし祭司が与えられるのは、既に屠られ、祭壇で脂肪が焼かれている「いけにえ」の肉である。temuraが行われるのは、元の献げ物の「いけにえ」が生きている間に限る。
従って、祭司は賠償の献げ物と贖罪の献げ物に関して、temuraをすることは出来ない。
続きには次のように書かれている。
初子(bechor)の生前権利と聖別場所:ラビ・アキバが導く「所有者の家」のhalachah(ハラハー)
ラビ・ヨハナン・ベン・ヌリは言った、「しかし祭司はbechorについては出来ないだろうか?」ラビ・アキバは彼に言った、「贖罪の献げ物と賠償の献げ物は祭司への贈り物である。祭司は贖罪の献げ物と賠償の献げ物についてtemuraをすることが出来ないように、bechorについてもするべきではない。」
この箇所を理解するには、bechor(ベホール:初子)についての基本的な知識を確認しなくてはならない。まずトーラを引用する。
11主があなたと先祖に誓われたとおり、カナン人の土地にあなたを導き入れ、それをあなたに与えられるとき、 12初めに胎を開くものはすべて、主にささげなければならない。あなたの家畜の初子のうち、雄はすべて主のものである。 13ただし、ろばの初子の場合はすべて、小羊をもって贖わねばならない。もし、贖わない場合は、その首を折らねばならない。
牛、羊、山羊の内、最初に胎を開く初子は「主のもの」として祭司に与えられる。ただしろばについては、小羊で贖うか、そうでない場合はろばの首を折らなくてはならない。
詳しい知識を確認したい方は、下のリンクから確認して欲しい。
◉初子の聖別と贖いにおける口伝律法『ミシュナ』の法理(前編)――「Bechorot(ベホロット)」第1章:聖性の定義、免除の類推、および挙証責任の原則
https://note.com/mishnah/n/n09f10702e52f
◉初子の聖別と贖いにおける口伝律法『ミシュナ』の法理(後編)――『Bechorot』第4章および『Zevachim』5章における「養育義務」と「聖別保持」の法的根拠
https://note.com/mishnah/n/n026098c60365
ここで重要なことは、bechorが生きている間に祭司に与えられるという事である。
祭司はashamとchatatに関してtemura出来なかった。それは「いけにえ」が死んでから祭司に与えられるので、当然ではある。しかしbechorは生きている間祭司に与えられる。
ラビ・ヨハナン・ベン・ヌリが問題にしているのは、この点である。
ラビ・アキバは次のように答えた。再掲する。
贖罪の献げ物と賠償の献げ物は祭司への贈り物である。祭司は贖罪の献げ物と賠償の献げ物についてtemuraをすることが出来ないように、bechorについてもするべきではない。
chatatとashamはトーラが祭司に与えているものである。同様に、bechorもトーラが祭司に与えているものである。従ってラビ・アキバは、chatatも、ashamも、bechorも、同じ規則に従うべきであると主張する。
ラビ・ヨハナン・ベン・ヌリは反論する。続きを掲載する。
ラビ・ヨハナン・ベン・ヌリは彼に言った、「祭司は贖罪の献げ物と賠償の献げ物のいけにえについて、それらが生きている間には何の権利もない。祭司はbechorを生きている間に受け取るのに、あなたは同じであると言うのだろうか?」ラビ・アキバは彼に言った、「しかし既に言われている、『その家畜を他の家畜と替えるならば、それも、替えたものも、聖なるものとなる』(レビ27:10)。元のいけにえの聖性はどこで生じているのだろうか?所有者の家において、temuraが有効であるのは、それが所有者の家にある間である。」
ラビ・ヨハナン・ベン・ヌリが最初に言っているのは、上の論理である。ashamとchatatは死んだ後、祭司は権利を得るので、生きている間には権利を持たない。
しかしbechorは生まれた瞬間に祭司のものになる。それなのに、bechorをasham、chatatと同じように扱うのはおかしいのではないかという主張である。
ラビ・アキバの返答をまとめると、以下のようになる。
①元々の「いけにえ」が聖別されたのは、所有者の家においてである。
②トーラの本文から、temuraという行為は、元々の「いけにえ」を聖別したのと同じ場所(所有者の家)で行うものと解釈される。
③bechorは生まれた時、所有者の家にいる。しかし生まれた瞬間祭司のものである。
④従って、bechorに関しては、所有者も祭司もtemura出来ない。
今回の内容は以上である。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉【シリーズ目次】ミシュナ『Temura』法理研究
https://note.com/mishnah/n/n6974756a85bf
本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス
https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。
