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ミシュナ『Temura(テムラー)』の法理 第5回:第3章1節における献げ物(kodashim)の子およびtemuraの子の聖性継承法理、ならびにラビ・エリエゼルとラビたち(Chachamim)による論争とhalachah(ハラハー)の確定

*本稿では、口伝律法ミシュナ『Temura(換置)』第3章1節を精読し、献げ物のいけにえ(kodashim)から生まれた子およびtemuraの法的位置付けと聖性の自動継承プロセスを解析する。

 和解の献げ物(shelamim)における按手(semichah)、随伴供物であるnesachim(ネサヒーム:minchah+ぶどう酒)、奉納(tenufah:テヌーファー)の義務規定を整理するとともに、申命記15章19節の使役・剪毛禁止を根拠に子を献げることは出来ないと解釈するラビ・エリエゼルの説と、それを退けるラビたちの論争を網羅。

 さらにラビ・シモン伝承における世代間(子・孫)の法解釈の相違、ラビ・ヨシュアとラビ・パピアスによる過越祭の実証的証言を経て、中世の代表的権威RavおよびRambam(マイモニデス)が帰結した「無限世代への聖性適用」の最終法意(halachah)までを網羅的に詳解する。


前回の振り返り:ミシュナ『Temura』第1章6節における適用除外の原則と家畜十分の一税(maaser beheimah)論争


 前回は、ミシュナ『Temura』第1章6節を扱い、レビ記27章の伝統的な注釈に基づき、どのような場合にtemuraの規定が適用されないのか、例外(適用除外の原則)について詳解した。

 主な内容は以下の通りである。

【1】鳥・穀物の献げ物における適用除外

 鳥の献げ物や穀物の献げ物(minchah:ミンハ)に対して交換を宣言しても、temuraは成立しない。

 根拠として、レビ記27章10節に「家畜(behemah:ベヘマー)」という言葉が明記されており、これは牛、羊、山羊などの個体を指すため、鳥や穀物は対象外と解釈される。

【2】共同体・共有の献げ物における適用除外

 共同体のいけにえ(例:日毎の焼き尽くす献げ物)や、複数人で共有しているいけにえについては、temuraを行うことは出来ない。

 根拠として、レビ記27章10節の主語が単数形(「彼は」)であることから、temuraは「個人」による行為に限定されると解釈される。

【3】神殿維持のための家畜(Bedek ha-Bayit:ベデック・ハ・バイト)

 祭壇で献げられる「いけにえ」ではなく、神殿の修理や道具購入などの「神殿維持費用」として寄付された家畜も、temuraの対象外となる。

 聖性の違いとして、いけにえは、その動物の「本質」が聖別されている。神殿維持のための寄付は、その動物の「金銭的価値」が聖別されており、売却すれば聖性は売上金に移る。

 レビ記27章9節が「主への献げ物(祭壇への供物)」について述べているため、temuraは金銭価値としての聖別には適用されないと解釈されている。

【4】ラビ・シモンによる比較解釈(家畜の十分の一税)

 ラビ・シモンは、家畜の十分の一税(maaser beheimah:マアセル・ベヘマー)の規定(レビ記27章32~33節)を用いて、上記の原則を補強している。

 家畜の十分の一税は「個人所有」かつ「祭壇で献げられる」ものであることから、temuraの掟がこれに準用されていることは、temuraが「個人所有の祭壇用のいけにえ」にのみ適用されることを示していると主張した。

 以上の内容に不安を感じる方は、以下リンクから確認して欲しい。

◉ミシュナ『Temura(テムラー)』の法理 第4回:鳥・穀物の献げ物(minchah)・共同体の献げ物・神殿維持(bedek habayit:ベデック・ハ・バイト)の家畜などのtemura適用除外原則、及び家畜の十分の一税(maaser beheimah)との比較論争

https://note.com/mishnah/n/nf79ea32a22cf


和解の献げ物(shelamim)における子とtemuraの子の聖性継承法理


 今回はその続きである。口伝律法ミシュナ「Temura」3章を扱うが、ここではtemuraとkodashimの子供の位置付けについて解説する。

 ここの「kodashim(コダシーム)」は献げ物のいけにえを指している。

 temuraとkodashimの子供に共通しているのは、他の動物から聖性を得ていることである。temuraはいけにえから、kodashimの子供は母親から聖性を得ている。

 両者の間で異なるのは、所有者が代わりを宣言することでtemuraの聖性が生じるが、kodashimの子供は生来聖性を得ていることである。

 どちらも聖別されていることには変わりないが、全てのtemura、全てのkodashimの子供が祭壇に献げる資格を備えているのではない。

 今回は「Temura」3章1節を参照し、和解の献げ物(shelamim)の場合を解説する。

 これらは、元のいけにえの子とtemuraが元々のkodashimと同様のものである。shelamimの子とshelamimのtemura、それらの子とそれらの子の子と無限に至るまで、これらは皆shelamimと見なされる。

(Temura 3:1)

 前回見た通り、shelamimのtemuraとshelamimの子供は、完全にshelamimの資格を持っている。

 それらは普通のshelamimと同様の仕方で祭壇に献げることが出来る。復習を兼ねてshelamimの献げ方について触れておく。

トーラに基づくshelamimの祭壇奉納規定:按手(semichah)・随伴供物(nesachim)・奉納(tenufah)

 1献げ物を和解の献げ物とするときは、牛であれば、雄であれ雌であれ、無傷の牛を主にささげる。 2奉納者が献げ物とする牛の頭に手を置き、・・

(レビ3:2)

 この通り、所有者は献げ物となるいけにえに按手する。いけにえが牛である場合も、羊、山羊である場合も同じである。

 shelamimを献げる時には、穀物の献げ物(minchah:ミンハー)とぶどう酒も献げなくてはならない。このminchahとぶどう酒のセットはnesachim(ネサヒーム)と呼ばれている。その分量はいけにえの種類(牛、羊、山羊)に従っており、民数記15章に明記されている。

 和解の献げ物に特徴的なのは奉納(tenufah:テヌーファー)である。トーラを引用する。

 28主はモーセに仰せになった。
 29イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。
 和解の献げ物を主にささげる者は、その中から次のものを主にささげよ。 30彼は燃やして主にささげる物を自分の手にささげ持つ。すなわち胸の肉に脂肪を載せてささげる。奉納する胸の肉は主の御前に奉納物とする。 31祭司は脂肪を祭壇で燃やして煙にするが、胸の肉はアロンとその子らのものとなる。 32あなたたちはこの和解の献げ物のうち、右後ろ肢を礼物として祭司に与えなさい。 33右後ろ肢は、アロンの子らのうちで和解の献げ物の血と脂肪をささげる祭司のものである。 34なぜなら奉納物の胸の肉と献納物の右後ろ肢は、イスラエルの民がささげる和解の献げ物のうちから、わたしが取り分けて、祭司アロンとその子らに与えたものだからである。これはイスラエルの人々が守るべき不変の定めである。

(レビ7:28~34)

 この箇所は奉納(tenufah)について述べている。tenufahの手続きについて、以下のようにまとめられる。

①所有者は胸の上に脂肪を載せる。

 胸の肉は祭司に与えられるものであり、脂肪は祭壇で焼かれるものである。

 ここには書かれていないが、「右後ろ肢」、その他の部位も一緒に持たれていると解釈される。

②所有者は肉の下に手を入れて持ち、祭司が所有者の手の下に自らの手を据える。

③所有者と祭司は、胸の肉と脂肪(と右後ろ肢も含む全ての部位)を東西南北、上下に奉納する。

 temuraもshelamimの子供も、元のshelamimと同様に扱う。そこで祭壇に献げる場合、按手を行い、minchahとぶどう酒も献げ、tenufahも行う。

 次の「それらの子とそれらの子の子と無限に至るまで、これらは皆shelamimと見なされる」(Temura 3:1)については、何代後であっても、shelamimのtemuraの子供、またshelamimの子供は元のshelamimと同じ聖性を持つことを言っている。

 この点がtemuraのtemura、shelamimの子供のtemuraと異なる。temuraのtemura、shelamimの子供のtemuraは成立せず、無効であった。しかしshelamimのtemuraの子供、またshelamimの子供の子供は元のshelamimと同じ聖性を持つのである。

 文章のみではやや複雑なので、以上の内容を箇条書きにまとめる。

(1)元のshelamimと同じ聖性を持つもの

①shelamimのtemura、及びshelamimのtemuraの子孫

②shelamimの子供、及びshelamimの子供の子孫

(2)temuraとして無効であり、聖性を持たないもの

①shelamimのtemuraのtemura

②shelamimの子供のtemura

 続きには次のように書かれている。

 それらは按手、ぶどう酒、胸と足の奉納を要する。

(Temura 3:1)

 この内容については既に述べた。shelamimのtemura、shelamimの子供。及びそれらの子孫は、元のshelamimと同じ聖性を持ち、和解の献げ物として献げる場合、通常の方法で献げることを言っている。

 続きには次のように書かれている。読んだだけでは分かりにくいが、取りあえず目を通して欲しい。

ミシュナ 『Temura』 3章1節 におけるラビたちの論争

 ラビ・エリエゼルは言う、「shelamimの子はshelamimとして献げてはならない。」しかしラビたちは言う、「献げてよい。」

(Temura 3:1)

 ラビ・エリエゼルは上記の見解に異論を唱えている。ここから何人かのラビが登場するが、ミシュナを幾つかに分割しながら順番に解説する。

 まず、ラビ・エリエゼルはトーラの次元においては、「shelamimの子はshelamimとして献げてよい事に同意する。しかし彼によると、ラビたち(ハハミーム:Chachamim)は、shelamimの子供は祭壇で献げてはならないという規定を定めた。

 ラビ・エリエゼルは、ラビたちが「shelamimの子供は餓死させなくてはならない」という規則を定めたと主張する。なぜなら、もし祭壇で献げることを認めると、それが子供を生むことを期待し、また、そうしている間に世俗の仕事をさせたり、毛を刈ったりする危険があるからである。

 聖別したいけにえを世俗の仕事に従事させたり、その毛を刈ったりしてはならない。トーラに次のように書かれている。

 聖別したいけにえを世俗の仕事に従事させたり、その毛を刈ったりしてはならない。

(申15:19)

 ここでは初子についてしか述べていないが、その他の献げ物のいけにえについても準用されると解釈されている。

 さて、ラビ・エリエゼルの主張に対して、ラビたちはそのような規定は過去に定められていないと主張する。従って、shelamimの子供を和解の献げ物として献げることが出来るとする。

 続きには次のように書かれている。

ラビ・シモン伝承が示す子世代・孫世代の法的差異と群れ形成の予防措置

 ラビ・シモンは言った、「ラビ・エリエゼルとラビたちはshelamimの子の子に関しては、またはtemuraの子の子に関しては一致している。それは献げてはならないのである。彼らの意見が異なるのは、何なのであろうか?子である。ラビ・エリエゼルは言う、『献げてはならない。』しかしラビたちは言う、『献げてよい。』」

(Temura 3:1)

 この箇所は、上の議論が別の仕方で伝承されていることを示している。上の議論では、ラビ・エリエゼルは如何なる場合でもshelamimの子供を献げることは出来ないと主張し、ラビたちは常に許容される主張した。

 ラビ・シモンは若干異なった仕方でこの議論について伝承を受けている。彼によると、ラビ・エリエゼルとラビたちの見解が一致しないのは、子どもの世代だけであり、孫の世代以降に関しては一致している。

 次のようにまとめられる。

 ラビ・シモンによると、ラビ・エリエゼルは如何なる場合でもshelamimの子供を献げることは出来ないと主張し、ラビたちは子どもの世代を献げることは出来るが、孫以降は許容されないと主張した。

 なぜならいけにえの飼い主は、いけにえを持っていくのを引き延ばし、shelamimの群れを作ってしまう危険があるからである。従って、ラビ・シモンによると、ラビたちであっても、許容されるのは子どもの世代までとなる。

 この議論の最後の部分であり、結論にもなる。

歴史的証言による実証と中世権威(Rav・Rambam)による最終ハラハーの画定

 ラビ・ヨシュアとラビ・パピアスはshelamimの子について、それはshelamimとして献げられることを証言した。ラビ・パピアスは言った、「私たちは雌牛を持っていて、それを過越祭で食べた。その子はその祭日に食べたのである。」

(Temura 3:1)

 ラビ・ヨシュアとラビ・パピアスは上記のラビたちの見解を支持して証言している。特にラビ・パピアスは母親の雌牛をshelamimとして食べ、子供もshelamimとして食べたという事実を述べている。

 なお、ラビ・ヨシュアとラビ・パピアスが孫以降の世代について言及していない点が気がかりである。

 これに関して中世の代表的な注釈者・法学者であるRavとRambamは、この「Temura」3章1節の始めにあった通り、孫以降の世代もshelamimとして献げることが出来ると解釈している。

 大多数のラビがこの見解を支持している。

 今回の内容は以上である。

(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)

 シリーズ目次は以下からご覧になれます。

◉【シリーズ目次】ミシュナ『Temura』法理研究

https://note.com/mishnah/n/n6974756a85bf


 本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)

https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334


 全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス

https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c


(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)

◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次

 ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。

https://note.com/mishnah/n/n4ccb130fe6ef

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