ミシュナ『Oholot』の法理 第10回――墓地不明地(beit hapras)における耕作制限、土壌の3手幅処置規定、および異邦人の土地・空気の汚れ
*本稿は、口伝律法ミシュナ『Oholot(オホロット)』18章3節〜6節の法理を詳細に注解する。
beit haprasの中でも周辺に墓地が存在するが、正確な位置が不明となった土地における、作物種別(根の深さ)に応じた耕作・植樹の可否基準、及び「接触(maga)」「運搬(masa)」「天幕(ohel)」による死体による汚れの伝播経路を解説。
更に土地をtahorにする為の「3手幅」の土壌排除・客土による作業手続き、ラビ・シモンの「1.5手幅」の異説も詳解。最後にbeit haprasを移動する際の汚れを受ける条件、異邦人の国の土地・空気の汚れについても、伝統的注解に基づき徹底的に網羅する。
前回の振り返り
前回はミシュナ『Oholot(オホロット)』18章1節から2節に基づき、「beit hapras(ベイト・ハプラス)」におけるぶどうの収穫法理と、死体破片の飛散を防ぐための農業規定について解説した。
主な内容は以下の通りである。
【1】ぶどう酒用ぶどうの収穫と汚れの受容
Beit haprasで育つ作物は、地に付随している間は清い(tahor:タホル)状態であるが、収穫後に「7つの液体(果汁など)」で湿らせると汚れを受け入れる状態になる。
この点ぶどう酒用のぶどうは特異であり、収穫の瞬間に果汁が出るが、ラビの定めた規定によって、この時に汚れを受容する状態になる。
そこでbeit haprasに入った作業者(av hatumah:汚れの父)から汚れが移るリスクが生じる。これに対し、二大学派が異なる解決策を提示している。
①Beit Hillelの見解
収穫前に作業者と道具に「清めの水」を2回振りまくという厳格な準備を条件に、収穫を認める緩和措置を提示している。
ただし収穫したぶどうは、beit haprasに入っていない者に渡され、圧搾する場まで運ばれる。
②Beit Shammaiの見解
Beit Hillelの緩和策を認めず、原則に従った物理的な回避を提示する。
ナツメヤシの皮など汚れを受けない素材で鎌の柄を包むか、汚れを受けない「石の鎌」を用い、作業者が直接ぶどうに触れないように収穫すべきだと主張する。
【2】ラビ・ヨセによる限定解釈
ラビ・ヨセは、上記の収穫方法が認められるのは「既にぶどうが実っている場所がbeit haprasになった場合」のみであるとした。
もし意図的にbeit haprasに種を蒔いた場合は、ぶどう酒への加工は許されず、市場で食用として売らなければならない。
【3】死体破片の飛散リスクと農業規定(18章2節)
死体の破片が散らばった土地では、収穫方法によって種まきの可否が決まる。
①「引き抜き(抜根)」を伴う作物
土を掘り起こして死体の破片を飛散させる恐れがあるため、種を蒔くことは禁止される。
②「刈り取り」を行う作物
土を乱さないため、種まきが許容される。
③残渣処理
もし植物を引き抜いた場合は、根に付着した破片を除くため、ラビたちによると穀物は2回、豆類は3回こし器でこす必要がある。
藁やもみ殻は土地の外に出さず、その場で焼却しなければならない。
【4】汚れの伝播経路の限定
「死体の破片が散らばった土地」において、汚れは「接触(maga:マガ)」または「運搬(masa:マサ)」によってのみ伝わり、「天幕(ohel:オヘル)」による空間共有では伝播しない。
以上により、トーラの禁止命令は絶対に遵守する前提で、ラビの規定という枠組みの中で、祭儀的な清ささを保ちつつ、いかに農業生産を継続させるかという厳格な論理を明らかにしている。
これらの内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。
◉ミシュナ『Oholot』の法理 第9回――口伝律法における「beit hapras」の収穫緩和措置と死体破片の飛散論理
https://note.com/mishnah/n/nf0abb5afcd6b
ミシュナ『Oholot』18章3節:墓地不明地における種まき・植樹の可否とtumah伝播経路
今回はその続きである。口伝律法ミシュナ「Oholot」18章3節から引用する。
墓地が分からなくなった土地について、如何なる種を蒔いてもよい。しかし樹木は植えてはならない。また、実を付けないもの以外の木は、残してはならない。
その土地は接触または運搬、ohelによってtumahを移す。
これは周辺に墓地があるのは確実であるが、正確な場所が分からなくなった場合である。
この場合「如何なる種を蒔いてもよい」。引き抜いて収穫するものであれ、鎌で刈り取るものであれ、作物の種を蒔くことが許される。
これらの作物は浅いところに根を張る。墓はそのような浅い土中に直接埋める形では作らないので、種を蒔いても、耕作しても、それで死体の破片が散らばる心配が無い。
他方で「樹木は植えてはならない」。樹木は深いところにまで根を張る。意図せずして墓の中を荒らす可能性が考慮される。
「実を付けないもの以外の木は、残してはならない」とは、実を付ける樹木を残しておくと、人々がbeit haprasに入るという意識を希薄にして、收穫に来るリスクが大きくなるからである。
「その土地は接触または運搬、ohelによってtumahを移す」については、説明は不要であろう。すなわち墓の位置が不明になった土地について、maga、masa、ohel、いずれの方法でも汚れを移すことになる。
次はbeit haprasを元のtahorの土地に戻す為の手続きである。
ミシュナ『Oholot』18章5節:3手幅の土壌操作によるbeit haprasをtahorの土地に戻す手続き
どのようにbeit haprasをtahorにするのだろうか?そこから3手幅取り除き、またはそこに3手幅置き、もし彼が(畑の)2分の1から3手幅取り、他の2分の1に3手幅置くなら。
ラビ・シモンは言う、「たとえ彼が1と2分の1手幅取り、または1と2分の1手幅加えてもtahorである。」
まず1段落目から解説する。そこでは3つのケースが示されている。
①地表から3手幅取り除くこと
1手幅 = 8~10cmであるので、3手幅は24~30cmになる。農具が入り、死体の破片が散らばる限界が3手幅と定義されるので、その分だけ取り除く方法である。
②地表に3手幅加えること
上記①の逆である。上から3手幅加える方法。
③畑の2分の1は3手幅取り除き、畑の2分の1は3手幅加えること
これは上記①、②を両方用いた仕方である。
ラビ・シモンによる1.5手幅の異見と耕作による死体破片除去の法理
2段落目はラビ・シモンの見解を記している。
ラビ・シモンは、農具によって死体の破片が散らばる深さを1.5手幅までしか考慮しない。そこで土を取り除くのであれ、加えるのであれ、1.5手幅で足りるとする。
続きには次のように書かれている。
もしbeit haprasが動かせないくらいの石で敷き詰められたら、それはtahorである。ラビ・シモンは言う、「beit haprasを耕した者は、それをtahorにする。」
「もしbeit haprasが動かせないくらいの石で敷き詰められたら、それはtahorである」とは、石が汚れを受けないということと、この場合では土が掘り起こされる心配がないという事から言われている。
ラビ・シモンの「beit haprasを耕した者は、それをtahorにする」という見解は、畑から石を取り除く者は注意深く作業を行うので、beit haprasを耕したなら、死体の破片も全て取り除いたと見なすことが出来ることを言っている。
次に進む。
ミシュナ『Oholot』18章6節:安定・移動媒体(石、人、動物)を介したmasaによる汚れの成立条件
誰かがbeit haprasの中を歩く時、動かない石の上、あるいはとても頑強な人や動物の上に乗っているなら、tahorである。しかし動く石の上、あるいは十分に頑強でない人や動物の上に乗っているなら、tameiである。
人が汚れる条件の1つにmasa(運ぶこと)があった。これは必ずしも持ち上げて動かす必要はなく、間接的に動かすことでも足りる。
beit haprasを歩く場合、何らかの仕方で土を動かすような状況をであるのなら、動かした人は汚れることになる。
以上を前提に本文を整理する。
「誰かがbeit haprasの中を歩く時、動かない石の上、あるいは十分に頑強な人や動物の上に乗っているなら、tahorである」について、「動かない石の上」は分かりやすい。
石が安定しているので、土が動かされない状況である。
「十分に頑強な人や動物の上に乗っている」は分かりにくいが、下になっている人や動物が安定していて、土をかき乱さない状況を言っている。
これらの場合、beit haprasの上を移動する人は汚れない。
残りの「動く石の上、あるいは十分に頑強でない人や動物の上に乗っているなら、tameiである」は、今説明した状況の反対を言っている。
土を動かした(masaした)のであるから、tameiになる。
この節の続きである。
異邦人の土地における山・岩・海・砂場の汚れの境界と「空気の汚れ」規定
異邦人の土地の山や岩の上を歩く者はtameiである。海や砂場ならtahorである。
砂場とは何であろうか?波が打ち付ける場所である。
異邦人の国においては、どこに死体を埋めるのか分からない。彼らの国の土地は全て死体の破片が散らばっているものと見なされる。
岩の上に死体を置くことはしないが、その上には異邦人の国の塵や土が堆積する。そこで岩の上でも汚れたものと見なされる。
ただし波が打ち付けている場所は、この意味では汚れていない。そこで、外国へ行って波打ち際しか歩いていない者は、この意味ではtameiではない。
しかしラビたちは異邦人の国の空気も汚れたものと定めた。従って、波打ち際しか歩いていない者であっても、tameiと見なされる。
以上で「Oholot」に関する一応の解説を全て終えた。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉【シリーズ目次】ミシュナ『Oholot』法理研究
https://note.com/mishnah/n/n84019ea0b112
本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス
https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。
