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ミシュナ『Temura(テムラー)』の法理 第8回:異邦の地における初子(bechor)・家畜十分の一税(maaser beheimah)の祭壇義務とラビ・アキバによるハラハー、および贖罪の献げ物(chatat)における3つの餓死規定の論理

*本稿はモーセ五書(トーラ)レビ記27章が規定する「いけにえの交換(temura)」の禁止命令について、口伝律法ミシュナ第5部『Kodashim』の『Temurah(テムラー篇)』を参照して解説するシリーズ8回目である。

 前半では、異邦の地(聖地の外)で聖別された初子(bechor)および家畜の十分の一税(maaser beheimah)が持つ聖性の扱いについて、トサフォート(Tosafot)の解釈(Bava Kamma等)やラビ・アキバが申命記14章から導き出した「聖地限定性」の論理を検証する。

 後半では、第4章1節へ進み、シナイ山におけるモーセの伝承(Halachah LeMoshe MiSinai)が規定する「chatat(贖罪の献げ物)の5つの致死規定」のうち、chatatの子、chatatのtemura、所有者が死んだchatatの3つについて、asham(賠償の献げ物)との構造的差異を交えながら、その厳格な排除のロジックを解明する。


前回の振り返り:asham(賠償の献げ物)における雄規定と、bechor(初子)・maaser beheimah(家畜十分の一税)の売却・贖い(買い戻し)禁止および聖性継承の総括


 前回は、ミシュナ『Temura』第3章3節後半から5節を取り上げ、賠償の献げ物(asham)における雄規定、および初子(bechor)と家畜の十分の一税(maaser beheimah)に特有の聖性継承と売却・贖い(買い戻し)の禁止について詳説した。

 主な内容は以下の通りである。

【1】賠償の献げ物(asham)における規定と例外処理

 ashamはolahと同様に「雄」でなければならないという規定がある。

①不適格な聖別

 誤って雌をashamとして聖別した場合、その動物は傷を負うまで放牧された後に売却され、その売上金で改めて雄のashamにする家畜を購入する。

②売上金の帰属

 もし既に別のashamを献げ終えている場合、その売上金は「神殿の自発的な献げ物の箱」に入れられ、共同体のolahの費用に充てられる。

③temuraの排斥

 ashamのtemura(およびその子孫)は、たとえ雄であっても祭壇に献げることは一切認められない。ashamは罪の贖いの為に献げるが、その為に律法で禁止された行為によるもの(temura)を用いることは不適切であるという考えに基づいている。

【2】初子(bechor)と家畜の十分の一税(maaser beheimah)の聖性

 これら2つの聖別された家畜には、他とは異なる独特の法理が適用される。

①無限の聖性継承

 temuraやその子孫であっても、元のbechorやmaaser beheimahと同じ聖性が無限の世代まで引き継がれる。

②贖い(買い戻し)の禁止

 通常のいけにえ(olahなど)は傷を負った際に売却して聖性を硬貨に移し、改めていけにえにする家畜を購入出来るが、bechorとmaaser beheimahは律法上、硬貨によって贖うことが不可能である。

【3】世俗的利用と商業的売却の厳格な禁止

 bechorやmaaser beheimahが傷を負い、売却する際にも厳しい制限がある。

①市場での売却禁止

 通常のいけにえとは異なり、公の市場で売ることは禁じられている。

②正確な重量計測の禁止

 リトラ(石や鉄で作られた分銅)で肉の分量を正確に計って売ることは禁止されている。

 bechorの売上は祭司、maaser beheimahの売上は所有者の利益となる。そこで①、②の禁止事項に従い、私的な場所で概算によって売らなくてはならない。

 市場価格で売ることは、いけにえを用いて個人的な利益を得ることになる。他方で、概算で売ることは安価に売るように促されるからである。

【4】構造的差異(chatatとasham)

 シナイ山におけるモーセの伝承(Halachah LeMoshe MiSinai:ハラハー・レモーシェ・ミシナイ)に基づき、贖罪の献げ物(chatat)とashamの扱いには差異がある。

 chatatのtemuraは「餓死」させなければならないが、ashamのtemuraは「傷を負うまで放牧」するという処理の違いがある。

 以上の内容に不安を感じる方は、以下リンクから確認して欲しい。

◉ミシュナ『Temura(テムラー)』の法理 第7回:賠償の献げ物(asham)における雄規定の論理、および初子(bechor)・家畜の十分の一税(maaser beheimah)の売却に関する法理

https://note.com/mishnah/n/nff07b92a53c1


異邦の地におけるbechorおよびmaaser beheimahの法理(『Temura』 3章5節)


 今回はbechor(ベホール)とmaaser beheimah(マアセル・ベヘマー)の続きから開始する。

 全ての献げ物は聖地の外からも持って来られる、初子とmaaser beheimahを除いて。しかしもしbechorとmaaser beheimahが持って来られるなら、それらに傷が無いなら、それらは献げられる。もし傷があるなら、所有者が食べる。

(Temura 3:5)

 もしも聖地の外で家畜をいけにえとして聖別するなら、その者はそのいけにえをエルサレムに携えて祭壇で献げなくてはならない。

 この点、異邦人の土地のbechorとmaaser beheimahは別であり、エルサレムの神殿で祭壇に献げる義務は無い。むしろ傷を負うまで放牧し、その後に食べることが許される。

 タルムードの注釈書であるTosafot(トサフォート)によると、この箇所は「聖地の外からbechorやmaaser beheimahを持って来てはならない」という意味に解釈しているようである。

 しかしミシュナ『Bava Kamma(バヴァ・カンマ篇)』のTosafot注釈によると、「聖地に来て、エルサレムでbechorやmaaser beheimahを献げたいなら、許容される」という意味で解釈されている。

 どちらにしても、異邦人の土地に住んでいるなら、bechorやmaaser beheimahを神殿に連れて来る義務はない。

 その根拠になっているのはトーラである。

 ただ、あなたは、ささげるべき聖なる献げ物と満願の献げ物を携えて、主の選ばれる場所に行かねばならない。

(申12:26)

 この箇所の「ささげるべき聖なる献げ物」に、異邦人の土地におけるbechorとmaaser beheimahは含まれないと解釈されている。

 次は「もしbechorとmaaser beheimahが持って来られるなら、それらに傷が無いなら、それらは献げられる。もし傷があるなら、所有者が食べる」の箇所である。

 異邦人の土地のbechorとmaaser beheimahは神殿に連れて来る義務は無く、許容されないという見解もあることはたった今述べた。ここではもし無傷で連れて来られるなら、それは祭壇で献げられることを言っている。

 もしそれらに傷があるなら、贖いはされずに食べられる。ただしbechorはあくまで祭司に律法上の権利があるので、元の所有者は自分で食べてはならない。それは祭司に与えなくてはならない。

ラビ・アキバのハラハー:申命記14章に基づく聖地限定性の論理


 しかし実際のhalachahは上記の見解ではなく、ラビ・アキバの見解である。ラビ・アキバはたとえbechorとmaaser beheimahを神殿に連れて来たとしても、祭壇に献げてはならないとする。

 この見解は申命記14章から根拠を得ている。

 23あなたの神、主の御前で、すなわち主がその名を置くために選ばれる場所で、あなたは、穀物、新しいぶどう酒、オリーブ油の十分の一と、牛、羊の初子を食べ、常にあなたの神、主を畏れることを学ばねばならない。 24あなたの神、主があなたを祝福されても、あなたの神、主がその名を置くために選ばれる場所が遠く離れ、その道のりが長いため、収穫物を携えて行くことができないならば、 25それを銀に換えて、しっかりと持ち、あなたの神、主の選ばれる場所に携え、 26銀で望みのもの、すなわち、牛、羊、ぶどう酒、濃い酒、その他何でも必要なものを買い、あなたの神、主の御前で家族と共に食べ、喜び祝いなさい。

(申14:23~26)

 申命記14章23節の中でbechorについて触れている。次の24~26節でmaaser sheniについて述べている。

 maser sheniの適用を受けるのは、聖地の作物だけである。その直前でbechorについて書かれていることから、ラビ・アキバは、bechorも聖地のものでなくてはならないと解釈する。

 maser beheimahに関しては、穀物のmaasrとの比較から、やはり聖地のものでなくてはならないと解釈する。穀物のmaaserは聖地においてのみ適用される掟である。

 以上でbechorとmaaser beheimahについての解説を終えた。

 次に「Temura」4章に入る。ここでは贖罪の献げ物(chatat:ハッタート)とtemuraの関係について扱われている。まずは4章1節から引用する。

chatat(贖罪の献げ物)の5つの致死規定とtemura(『Temura』 4章1節)

 chatatの子、chatatのtemura、所有者が死んだchatatは餓死させられる。

(Temura 4:1)

 順番に解説する。

 「chatatの子」とは、母親がchatatとして聖別された後に生まれた子である。

 子は母親と同じ聖性を持つが、贖罪の献げ物として祭壇に献げることは出来ない。

 贖罪の献げ物として祭壇で献げられる為には、具体的に「これこれの罪の贖いの為に」聖別されなくてはならない。chatatの子は自動的に聖別されたので、この条件を満たさない。

 他方で、chatatは賠償の献げ物(asham:アシャム)と同じく、自発的に献げることは出来ない。トーラで規定された状況において、義務で献げるだけである。

 ミシュナ本文の通り、chatatの子は餓死させられなくてはならない。

 次に「chatatのtemura」についてである。ashamのところで学んだ通り、罪の贖いの為の献げ物として、トーラで禁止されているものを用いることは出来ない。temuraはレビ記27章で明確に禁止されているものである。

 ミシュナ本文の通り、chatatのtemuraは餓死させられなくてはならない。

 最後に「所有者が死んだchatat」についてである。

 通常、いけにえの所有者が死亡した場合、相続人がそのいけにえを献げる。しかしchatatは所有者の罪の贖いの為に献げるので、死亡したら献げる意味が無い。そこでミシュナ本文の通り、所有者が死んだ場合、chatatは餓死させられなくてはならない。

 シナイ山におけるモーセの伝承(Halachah LeMoshe MiSinai:ハラハー・レモーシェ・ミシナイ)によると、5つの場合のchatatは餓死させられる。その内の3つを今回見たことになる。つまりchatatの子、chatatのtemura、所有者が死んだchatatである。

asham(賠償の献げ物)との処理における構造的・伝承的差異


 これらのchatatは何かしら積極的な行動によって殺すのではない。囲いの中に入れ、水も食べ物も与えずに死なせるのである。

 もしもHalachah LeMoshe MiSinaiが無いならば、ashamと同じく傷を負うまで放牧され、その後に売却されたであろう。しかしモーセからの伝承によって、上に解説した通りの扱いになる。

 残りの2つのchatatについては、次回扱うことにする。

 今回の内容は以上である。

(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)

 シリーズ目次は以下からご覧になれます。

◉【シリーズ目次】ミシュナ『Temura』法理研究

https://note.com/mishnah/n/n6974756a85bf


 本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)

https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334


 全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス

https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c


(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)

◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次

 ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。

https://note.com/mishnah/n/n4ccb130fe6ef

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