福音書の『やもめ』をミシュナで読み解く:200ズズの権利とガリラヤの生存権
*聖書の「やもめ」は単なる救済対象の弱者だったのでしょうか?
本稿では、口伝律法『ミシュナ』の記述を紐解き、彼女たちが持っていた「200ズズの請求権」や、ガリラヤ地方特有の「生涯扶養権」の実態を解説します。
結婚契約書(ケトゥバー)に刻まれた緻密な法的保護と、25年の時効というリアリティ。2,000年前の「律法の現場」から、福音書が描く真実に迫ります。
はじめに:福音書に描かれる「やもめ」の姿
福音書においては、度々やもめが登場する。
イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。
これは貧しいやもめがレプトン銅貨2枚(当時の最小通貨)という全財産を捧げた様子を描いており、イエスは「捧げる金額ではなく、その姿勢(心)を重視したものである。
もう1つ、よく使われる箇所がある。
ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』」それから、主は言われた。「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。
これは不正な裁判官のもとに通い続け、しつこく頼んで願いを聞き入れてもらうやもめのたとえである。失望せずに祈り続けることの大切さを説いている。
これらの物語において、やもめは当時のユダヤ社会における「最も弱い立場の者」の象徴であり、全存在を神に委ねる姿勢の模範として描かれている。
今回はこれらを踏まえ、旧約聖書の最高権威であるモーセ五書及び口伝律法ミシュナを元に検証したいと思う。
それにはまず、当時のユダヤ社会における結婚契約書(ketubah;ケトゥバー/(複数形)ketubot:ケトゥボット)について話さなくてはならない。
結婚の際、夫は妻に対して「ketubah(ケトゥバー)」という契約書を作成する。その中で夫は先に自分が死んだ場合、妻が夫の遺産からあらかじめ決められた一定額を受け取る権利を明記する。
生存権としての「200ズズ」:ミシュナの規定
この権利は一般的な額があり、処女で結婚した場合は200ズズ、再婚の場合は100ズズとされている。口伝律法ミシュナ「Ketubot」1章には次のように書かれている。
処女のketubahは200ズズである。やもめのものは100。
200ズズは独身者が1年間生活できる最低限の保障額としての価値を持っている。 しかしそれは「貧しい」状態ではない。具体的には、200ズズ所有する者は貧者への施しを受けることが出来ない。
夫亡きあとの二つの選択肢
結婚契約書(ketubah:ケトゥバー)への金額の記載は、夫の死後に女性が経済的に路頭に迷わないための保障であったことになる。
より具体的な原則も定められている。
もしやもめが言うなら、「私は夫の家から離れたくない」、相続人たちは「父の家に帰って下さい、私たちはあなたを養いません」と言うことは出来ない。むしろ、彼らは彼女の夫の家で彼女を養わなくてはならないし、彼女の名誉に相応しく、住まいを与えなくてはならない。
もし彼女が言うなら、「私は夫の家から離れたくない」、相続人たちは言うことが出来る、「私たちと一緒にいるなら、あなたを養います。そうでないなら、養うことは出来ません」と。もし彼女が理由として、彼女自身若く、彼らも若い点を挙げるなら、彼らは彼女が父の家にいる間、養わなくてはならない。
これを理解するには、当時のユダヤ法において夫が亡くなった後、妻には2つの選択肢があったことを知る必要がある。それは次の通りである。
①結婚時に約束されたketubah(100ズズまたは200ズズ)の支払金を受け取り、実家に帰る。
②ketubah(100ズズまたは200ズズ)の支払金を受け取らず、亡き夫の家に留まる。この場合、ketubahを受け取らない代わりに、夫の遺産(相続人)によって生涯「住居」と「食事(扶養)」を保障される。
上掲の「もしやもめが言うなら、『私は夫の家から離れたくない』、相続人たちは『父の家に帰って下さい、私たちはあなたを養いません』と言うことは出来ない」とは、やもめが夫の家から離れたくない意思を表明しているのに、相続人たちが追い出してはならないことを言っている。
そこで、この箇所はやもめの生存権を規定したものとも言われる。
次の段落、「もし彼女が言うなら、『私は夫の家から離れたくない』、相続人たちは言うことが出来る、『私たちと一緒にいるなら、あなたを養います。そうでないなら、養うことは出来ません』」とは、もしも亡き夫の家に居続けるなら、相続人たちは彼女を養うが、そこから離れるなら、扶養の義務はないことを言っている。
地域で異なる「やもめの権利」:ガリラヤとユダヤの格差
しかしこれには重要な例外規定もある。
もし彼女が理由として、彼女自身若く、彼らも若い点を挙げるなら、彼らは彼女が父の家にいる間、養わなくてはならない。
もし、やもめがまだ若く、相続人(義理の息子や親族)も若い独身男性などがいる場合、同じ家に住み続けることは「不適切な関係」や「近親相姦」、あるいは周囲の「噂話(名誉を傷つけること)」を招く恐れがある。
このような正当な理由がある場合は、彼女が実家に住むようになっても、相続人は彼女を扶養し続けなければならない。彼女の安全と名誉を守る為である。
ただし、この点に関しては地域差もある。次のように書かれている。
もし彼が「あなたはやもめになったなら、生涯私の家に住み、私の財産によって扶養される」と書かなくても、彼は有責である。なぜならそれが法廷によって確立された条件であるから。エルサレムの人たちは、このように書いたものであった。ガリラヤの人々はエルサレムの人々のように書いたものであった。ユダヤの人々は書いたものである。「相続人があなたにketubahを与える時まで」。つまりもし相続人が望むなら、彼らは彼女にketubahを与え、彼女を去らせてよい 。
まず、これは話が戻るのだが、「もし彼が『あなたはやもめになったなら、生涯私の家に住み、私の財産によって扶養される』と書かなくても、彼は有責である」とは、ketubahに具体的な扶養条項を書き忘れたとしても、夫はその義務を免れないことを言っている。
残した妻の扶養は個人の契約を超えた社会的な義務であることを明記したものである。
その後の文章がこの節の本題で、複雑であるが、次のことを言っている。
ガリラヤ・エルサレムに住む人々
夫が亡くなった後、妻が望む限り、生涯(再婚するまで)亡き夫の財産で養われ、その家に住む権利があるとする。上記「ketubot」12章3節の原則通りである。ユダヤ(南)に住む人々
相続人がketubah(200ズズまたは100ズズ)の現金を一括で支払った時点で扶養義務は終了し、彼女を家から去らせることが出来る。
こちらは「扶養し続ける(分割払い)」か「一括で払って縁を切るか」を選択可能で、相続人側に有利な規定である。
「やもめの訴え」と25年の時効
最後に、冒頭に引用したしつこい、やもめの話を彷彿とさせる規定についてである。まずはketubot 12章から見てみよう。
彼女が夫の家にいる限り、彼女はketubahを請求できる。彼女が夫の家にいる限り、彼女は25年の終わりまでにketubahを回収出来る。というのも、25年の間にketubahの価額に相応な好意を得ることが出来るから 。これらはラビ・メイルの言葉である。彼はこれをラッバン・シモン・ベン・ガマリエルの名前で語った。しかしラビたちは言う、「彼女が夫の家にいる限り、彼女は制限なしにketubahを請求できる 。彼女が父の家にいる限り、彼女は25年の終わりまでにketubahを回収出来る。もし彼女が死んだなら、彼女の相続人たちは25年の終わりまで、ketubahを請求できる
これは次のように整理される。
① ラビ・メイルの説
夫の家で25年間も扶養(食事、住居、衣類)を受けていれば、その間に受けた恩恵の総額は、本来受け取るはずだったketubahに匹敵すると考える。
そこで25年により、彼女のketubahの請求権は消滅する。
② その他のラビたちの説(通説)
その他のラビたちは、彼女が「どこに住んでいるか」によって期限を使い分ける。
・夫の家に留まっている場合(制限なし)
相続人の家で扶養を受けている限り、何年経っても(たとえ25年を過ぎても)、彼女は「やはり現金でもらって出ていきたい」と請求する権利を保持する。
・自分の実家(父の家)に帰った場合
実家に帰り、夫の家からの扶養を受けなくなった時点を起算点とする。25年間1回もketubahの請求をしないなら、それは権利を放棄したものと見なされ、消滅時効が適用される。
結論:旧約聖書から見た福音書のやもめの扱い
タルムードにおいては、「孤児の訴えはやもめの訴えに優先し、やもめの訴えは一般の人の訴えに優先する」と原則が定められている。
やもめや孤児は社会的に守ってくれる存在がいない為、裁判が遅延することは、彼らにとって致命的な生活困窮につながるからである。福音書の不正な裁判官のたとえは、この原則を踏まえたものであろう。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)
本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス
https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。
