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『Bava Batra(バヴァ・バトラ)』法理研究 第3回:遺言による相続分指定の禁止原則と「贈与」文言による物権・収益権分離の法理

*口伝律法ミシュナ『Bava Batra』8章4~7節を厳密に解読。父母の遺産相続における差異と婚姻契約書(ketubah)の扶養規定、トーラの規定に基づく「遺言による相続分指定の禁止」と「贈与」文言による法理的有効化、死後贈与における「所有権」と「果実収益権」の分離帰属を徹底解説する。


前回の振り返り


 前回は相続順位の法理、カナンの土地の分配の法理、ツェロフハドの娘たちの相続について扱った。以下、それぞれの項目について要点を振り返る。

【1】相続順位の法的優先順位

①相続の順位

 聖書(民数記27章8~11節)とミシュナに基づき、厳格な相続順位が定められている。

息子 > 娘 > 父親 > 兄弟 > 叔父 > 最も近い親族

②代襲相続の原則

 ある人に相続の優先権がある場合、その子孫も優先される。

 例えば、息子が既に死んでいても、その子供(孫)がいれば、故人の娘よりも優先して相続する。

③父親の特例

 子供に先立たれた父親は、その子供の財産相続において、他の全ての親族よりも優先される。

【2】カナン土地分配をめぐる二大説

 約束の地(カナン)に入った際の土地分配には、2つの解釈が存在する。

①エジプトを出た世代に従って分配されたとする説

 荒野で死んだ父祖たちの名に従って分配され、それを相続人が引き継ぐという考え方。

②カナンに入った世代に従って分配されたとする説

 実際に土地に入った人数で分配し、その後で父祖の家系に遡って調整を行うという複雑な数理モデル。

【3】ツェロフハドの娘たちと「3つの地」

 息子がいなかったツェロフハドの娘たちの訴えにより、彼女たちは「3つの地」を相続したとされている。その内訳は以下の通りである。

①父親(ツェロフハド)自身の相続分

 エジプトを出た世代の一人としての権利。

②祖父(ヘフェル)からの相続分

 ツェロフハドの父ヘフェルもエジプトを出た世代であり、その相続分を息子であるツェロフハドが受ける権利。

③長子権による加算分

 ツェロフハドはヘフェルの長男であったため、聖書の規定(申命記21章15~17節)に基づき、通常の2倍の分け前を受け取る権利があった。

 このように、ツェロフハドの娘たちは女性でありながら、父親が長子として持つべき権利(2倍の分け前)も含めて正当に相続したことが、法理的に示される。

 以上の内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。

◉『Bava Batra(バヴァ・バトラ)』法理研究 第2回:相続順位の法理とツェロフハドの娘たちにおける土地分配の数理的検証

https://note.com/mishnah/n/n275f42ea4fb5

ミシュナ「Bava Batra」8章4節:父母の遺産相続における優先順位の差異とketubahに基づく扶養義務


 今回はその続きである。口伝律法ミシュナ「Bava Batra」8章4節から引用する。

 息子も娘も、相続に関しては同じ掟に従う。ただし息子は父に関しては2倍を相続し、母に関しては2倍を相続しない。娘たちは父の地所で養われるが、母の地所からは養われない。

(Bava Batra 8:4)

 まず「息子も娘も、相続に関しては同じ掟に従う」について、上でも復習した通り、息子は娘よりも相続順位では優先する。

 しかし相続の仕方そのものでは、息子と娘で違いがある訳ではない。勿論、長男は2倍の相続分を持っている点は異なる。

 「息子は父に関しては2倍を相続し、母に関しては2倍を相続しない」とは、長男が2倍を相続する原則は、父親の相続財産についてのみであり、母親の遺産には適用されないことを言っている。

 「娘たちは父の地所で養われるが、母の地所からは養われない」について、父親が死んだ後、娘たちは成人するまで、または結婚するまで父親の地所で扶養される。

 それは相続順位よりも優先する。なぜならketubahにおいて、父親は「妻との間に生まれる娘を、自分の財産から扶養する」と明記するからである。

 娘たちは母親の財産では扶養されない。それはketubahで記載されることではない。

 母親の財産は全て息子たちが相続する。

 次節に進む。

ミシュナ「Bava Batra」8章5節:トーラ不変更原則に伴う「遺言による相続分指定の禁止」と「贈与」文言による有効化

 「私の長男は2倍の分を相続しない」、または「私の息子はその兄弟たちと共に相続しない」と言うなら、―彼は何も言っていない。なぜなら彼はトーラに矛盾することを言っているから。

(Bava Batra 8:5)

 次の相続分の指定は無効とされる。

①長男は2倍を相続しない。

②特定の息子は相続しない。

 なぜなら「トーラに矛盾することを言っているから」である。

 次である。これは今の原則に拠らない特則である。

 口頭で息子たちに分配する者 、ある者の分を多くし、ある者の分を少なくし、または長男の分を他と等しいものとするなら、彼の言葉は守られる。

(Bava Batra 8:5)

 これは相続分の指定ではなく、臨終の床における贈与である。この形態の贈与は文書によっては認められず、口頭でのみ許される。

 意思表示は生前に行うが、効果は死後に完成する。

 続きである。

 しかしもし彼が相続においてこう言うなら、彼は何も言っていない。もし彼が書くなら、―始めにおいてであろうと、中間、または終わりにおいてであろうと、―それが贈与であるとするなら、彼の言葉は守られる。

(Bava Batra 8:5)

 今の内容をもしも相続分の指定として言ったのなら、前に見たようにそれは有効ではない。トーラに悖る意思表示であるからである。

 その後の部分が分かりにくいが、次のように書いた場合、いずれも有効とされることを言っている。

①「この畑はAに贈与される。彼が相続するのである」

 「贈与」の言葉が最初に出てくる。

②「この畑はAが相続する。彼に贈与される。彼が相続するのである」

 「贈与」の言葉が中間に出てくる。

③「この畑はAが相続する。彼に贈与されるのである」

 「贈与」の言葉が最後に出てくる。

 以上のように、「贈与」の文言が使われているなら、相続とは見なされずに有効とされる。

 次の箇所に進む。

ミシュナ「Bava Batra」8章7節:健康な者の死後贈与における定型句「今日から、そして死んだ後」の法的効力

 誰かが自分の財産を息子たちに与える署名をするなら、書かなくてはならない、「今日から、そして死んだ後」これらはラビ・ユダの言葉である。ラビ・ヨセは言う、「そうする必要はない。」

(Bava Batra 8:7)

 これは死の床においてではなく、健康な状態で死後の為に贈与したい場合である。

 誰かが再婚しようとした時、新しい妻とのketubahの為に、今所有している一定の不動産が担保にならないようにしたいと望んだとする。

 亡き前妻の息子たちの為に遺したいのである。しかし生きている間は果実に対する権利は保持したい。それを有効に文書にする。

 この場合「今日から、そして死んだ後」と書かなくてはならない。これは「効果は今日から発生するが、死んだ時に完全に満たされる」くらいの意味である。

 具体的には土地の所有権自体は受贈者に移るが、そこから生じる果実への権利は死ぬまで保持するという事である。

 ラビ・ヨセは「そうする必要はない」と言う。なぜなら文書には日付が記されるからであり、それで意図は明白であるから。

ラビ・ヨセの見解がhalachahとされる。

 続きである。

物権変動の制限:父親(処分権者)と息子(受贈者)間における果実処分権および未収穫作物の帰属法理

 もし誰かが財産を死後に譲ることに署名するなら、彼はそれらを売ることは出来ない。なぜなら息子たちに与えられているから。息子たちはそれらを売ることは出来ない。なぜならそれらは父親のものであるから。もし父親が行って売るなら、彼の死までは売られている。もし息子たちが行って売るなら、買い主は父親の死まで権利を持たない。父親は収穫した作物を望む人たちに与えてよい。残しておいたものは相続人のものになる。

(Bava Batra 8:7)

 これは今のケースを継続している。順番に解説する。

もしも父が「今日から、そして死んだ後」の文書を書くなら、その不動産は売却出来ない。なぜなら所有権は受贈者に移っているからである。

 他方で受贈者も売却することは出来ない。なぜなら父親が果実への権利を保持しているから。

 しかし父親がそれでも土地を売却した場合、果実の権利は買主に移っている。ただ、その効果は彼の死までしか継続しない。

 もしも受贈者が売るなら、買主は父親の死まで果実の権利を取得しない。

 「もし父親が行って売るなら、彼の死までは売られている。もし息子たちが行って売るなら、買い主は父親の死まで権利を持たない」とは、以上のことを言っている。

 次の「父親は収穫した作物を望む人たちに与えてよい」とは、文書を書いた後も父親は果実の権利を保持するので、自由に与えることが出来ることを言っている。

 最後の「残しておいたものは相続人のものになる」はやや複雑である。

 既に地面から切り離してあるものは、相続の対象になるので、原則通り相続人の共有になる。

 他方でまだ地面に付随しているものは、受贈者のものになる。父の死と共に、土地とそれに付随するものは、受贈者のものになるからである。

 今回の内容は以上である。

(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)

シリーズ目次は以下からご覧になれます。

◉【シリーズ目次】『Bava Kamma』『Bava Metzia』『Bava Batra』の「3つの門」の基本的な法理研究

https://note.com/mishnah/n/n8377d72f85f0


 本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)

https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334


 全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス

https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c


(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)

◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次

 ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。

https://note.com/mishnah/n/n4ccb130fe6ef

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