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ミシュナ『Sanhedrin』法理研究 第5回:動産・不動産・人間の市場価値査定における法廷人数と、獣姦事件・人を殺した牛(muad)の事件を裁く23人法廷(1章3節〜4節)

*本記事は、古代ユダヤ教の口伝律法をまとめたミシュナの記述に基づき、歴史的・法学的な視点から当時の裁判制度を解説する学術的な内容である。

 一部のセクションにおいて、現代の視点からは不快に感じられる可能性のある倫理的・刑罰的な表現(獣姦や死刑等に関する律法規定)が含まれるが、これらは宗教古典テキストの忠実な読解と言説の解説を目的としたものである。あらかじめご了承されたい。

 本稿は口伝律法ミシュナ第4部『Nezikin(ネジキン)』に属する『Sanhedrin(サンヘドリン)』の第5回目の解説である。

 今回は『Sanhedrin』1章3節の後半から4節を取り上げ、精読する。神殿への寄付誓約(erech)において、現金に代えて動産・不動産、あるいは人間の市場価値を充てる際の法廷人数(3人および10人)の根拠を、レビ記27章から紐解く。

 さらに、『Sanhedrin』1章4節が規定する「死刑裁判」の対象について、人間のみならず「獣姦に使われた動物」や「人を殺した牛(muad)」が23人の法廷で裁かれねばならない刑法理を解説する。


前回の振り返り:chalitzahにおける3人法廷の聖書的根拠と、maaser sheniおよびrevaiの換金査定における類推解釈

 前回は『Sanhedrin』1章3節の続きを取り上げ、レビラート婚を解消する儀式(chalitzah:ハリツァー)と、maaser sheni、revaiなど聖別された作物の換金に必要な査定手続きについて、その判事人数と聖書的根拠を解説した。

 主な内容は以下の通りである。

【1】chalitzahの法理と3人法廷

 chalitzahとは、兄弟が子供を残さずに亡くなった際、その妻を娶る義務を拒絶あるいは解消するための儀式である。

①儀式の内容

 亡夫の兄弟が義務を拒む場合、法廷の立ち会いのもとで、義理の姉妹が彼の靴を脱がせ、顔に唾を吐き、定められた定句を述べる。

②3人法廷の根拠

 申命記25章9節に、この儀式を「長老たちの前で」行うべきと記されている。「長老たち」という複数形表記は最小人数の「2人」を意味し、そこに多数決を可能にするための奇数調整として1人を加えた「3人」の判事が必要であると解釈される。

【2】価値不明の聖別物の査定法理

 「4年目の果実(revai:レヴァイ)」や「maaser sheni(マアセル・シェニ)」は、エルサレムに持ち運ぶか、換金してそのお金をエルサレムで消費する必要がある。これらが傷んでいるなどして価値が定まっていない場合、その換金価格を決定するために3人の判事による査定が必要である。

 この「3人」という人数の根拠は、以下の類推解釈に基づいている。

①hekdesh(ヘクデシュ)との関連

 レビ記27章において、神殿の為に聖別した家畜や器物などのhekdeshを評価する際、「祭司」という言葉が3回登場することから、その査定には3人が必要とされる。

②「5分の1の割増規定」による連結

 hekdeshを買い戻す際には、相当額に「5分の1」を加える必要がある。maaser sheniの買い戻しについても、同じレビ記27章内で「5分の1」の割増規定がある。

③結論

 同じ買い戻し規定(5分の1の割増)を持つことから、hekdeshの査定人数(3人)がmaaser sheniにも適用されると結論付けられる。

 maser sheniに関する掟は基本的にrevaiに準用されるので、revaiの査定にも3人の判事を要すると解される。

【3】ゲマラによる実務的視点

 ミシュナが「3人の判事」とする一方で、ゲマラ(議論集)ではより実務的な見解も示されている。

①専門家による評価

 判事ではなく、その産品の価値を正しく判断できる「3人の商人」によって評価されるべきという説がある。

②入札制

 産品を買い戻したい人々の間で入札を行い、最高入札価格に従うという手法も示されている。

 以上の内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。

◉ミシュナ『Sanhedrin』法理研究 第4回:chalitzahの法廷人数根拠と、hekdesh(聖別物)の類推解釈に基づくmaaser sheni及びrevaiの査定法理(1章3節)

https://note.com/mishnah/n/n793b99a99f5d


ミシュナ『Sanhedrin』1章3節:動産・不動産・人間の市場価値査定法理


 今回は口伝律法ミシュナ「Sanhedrin」1章3節の続きである。まずは本文を引用する。

 動産の査定は3人による。

(Sanhedrin 1:3)

エレフ(erech)の階層的価額規定と動産査定における3人法廷の論拠


 トーラのレビ記 27章1~8節では、自分の価値(評価額)を神殿に寄付すると誓った場合、その人の年齢や性別に応じた標準的な価額が定められていることが記されている。箇条書きにすると、下の通りになる。

【1ヶ月以上 〜 5歳以下】

男性:5シェケル
女性:3シェケル

【5歳超 〜 20歳以下】

男性:20シェケル
女性:10シェケル

【20歳超 〜 60歳以下】

男性:50シェケル
女性:30シェケル

【60歳超〜】

男性:15シェケル
女性:10シェケル

 この年齢と性別による価額をerech(エレフ)と呼び、複数形はarachin(アラヒン)である。誓いの定句は「私は誰々のerechを聖別します」である。必ずしも自分のerechではなく、他の人のerechを誓い、寄付してもよい。

 例えば自分の子供のerechを寄付することも出来る。

 ミシュナ本文に「動産の査定は3人による」とあるのは、もし寄付の誓約をした者がそれを果たすための現金を持っていない場合、代わりに動産を寄付することが認められていることによる。

 Tanna Kammaは、支払いに充てられる動産の価値を定めるためには、3人の法廷による評価が必要であるとする。なぜ3人の判事が必要かという点については、次の論理で考えられている。

 すなわち神殿の所有物となっている物を買い戻す際に、その価額を評価するために3人の判事が必要であった。それと同様に、erechの義務を果たすために、神殿へ動産を寄付する際の評価にも3人でよいとする。

 これはまた、評価者が1人だけでは査定において誤りを犯す可能性があるので、神殿に関わる手続きにおいて正確を期すために、複数の目(3人)による合議が求められたともされる。

ラビ・ユダの見解(祭司要件)とハラハー(法規範)における排除の論理


 続きには次のように書かれている。

 ラビ・ユダは言う、「その内の1人は祭司でなくてはならない。」

(Sanhedrin 1:3)

 ラビ・ユダ(Rabbi Judah)によると、3人の判事の内の1人は祭司でなくてはならない。その根拠は次のトーラの箇所に求められている。

  祭司はそれを評価する。その相当額は祭司の良し悪しの評価いかんによる。

(レビ27:12)

 伝統的な注釈では、「なぜTanna Kammaがこの見解を採用したのか分からない」と述べている。しかしハラハーはTanna Kammaの見解を採用しており、Maimonides(Rambam)も祭司の条件を排除している。

不動産および人間(市場価値)の査定における10人法廷と全員一致原則


 続きには次のように書かれている。

 不動産の場合は9人と祭司1人である。

(Sanhedrin 1:3)

 上にはerechの義務を果たす為に動産を充てる場合であったが、この箇所は不動産を充てる場合である。あるいは神殿の為に聖別した不動産を買い戻す場合である。いずれにしても、不動産の評価に関わる判事の人数について述べている。

 不動産の場合に10人の判事を要するのは、ゲマラによると、erechについて書いている箇所から、神殿財産の贖いに関する箇所に至るまで、全部で10回「祭司」の単語が使われていることによる。レビ記27章1~25節の範囲を指していると思われる。

 これは文字通り10人の祭司が関わらなくてはならないという意味ではなく、その内祭司は1人でよいと解釈されている。

 偶数の人数が示されていることに疑問が生じるが、不動産の評価は全員一致でなくてはならないので、問題が無いとされている。そこで奇数人数の為の調整が行われていない。

 続きには次のように書かれている。

 同様のことは人についても言える。

(Sanhedrin 1:3)

 これは人がerechではなく、ある人の市場価値を神殿に寄付することを誓った場合である。人の市場価値を査定するのも、10人であり、その内の1人は祭司であることを要する。

 人間の市場価値は奴隷として売買する時に基準となるものであるが、奴隷は律法において不動産の掟が準用される。そこで、人の市場価値の査定には、不動産の場合と同じく10人(その内1名は祭司)とされている。

ミシュナ『Sanhedrin』1章4節:死刑裁判の管轄と動物の刑法理


 次節に進む。「Sanhedrin」1章4節には次のように書かれている。

 死刑は23人の法廷で裁かれる。獣姦に使われた動物の裁判は23人の法廷で裁かれる。次のように言われている通りである。「いかなる動物とであれ、これに近づいて交わる女と動物を殺さねばならない。彼らは必ず死刑に処せられる。」(レビ20:16)また、「動物と交わった男は必ず死刑に処せられる。その動物も殺さねばならない。」(レビ20:15)

(Sanhedrin 1:4)

 死刑に関わる裁判に23人の判事を要する理由については、「Sanhedrin」1章6節で扱っているので、後の回に解説することにする。

獣姦に関わる動物の裁判手続きと23人法廷の管轄権


 「獣姦に使われた動物」とは女性と性交した雄の動物、または男性と性交した雌の動物のことである。

 レビ記20章15~16節により、以下の3者はいずれも死刑に処せられる。すなわち獣姦を行った男性、女性、動物である。動物は獣姦に関わったので、そのまま手続きなしに殺されるのではない。人と同様に殺されることが判決で下される。

石打ちにされる牛(tamとmuad)の法的区分と出エジプト記21章の解釈


 続きには次のように書かれている。

 石打にされる牛は23人の法廷で裁かれる。次のように言われている通りである。「牛は石で打ち殺され、所有者もまた死刑に処せられる。」(出21:29)。所有者が処刑される仕方で、牛は殺される。

(Sanhedrin 1:4)

 これは出エジプト記21章28~29節に関わる裁判である。牛は通常律法上tam(タム)と見なされるが、tamとは人に危害を加えない動物である。

 しかし一定の条件を満たした場合、人に危害を加える危険の高いmuad(ムアド)として扱われる。当然ながら、muadと見なされる状態になった場合、所有者の管理責任は重くなる。

 そのように考えると、出エジプト記21章29節は、muadの牛が誰かを殺してしまった場合、所有者も処刑されなくてはならないことを言っているように見える。

 しかしそれは正しくない。なぜならトーラの他の箇所には次のように書かれている。

殺人動物の処刑手続きにおける23人法廷の必要性と所有者の民事賠償責任(出21:30)

 20もし、憎しみを込めて人を突くか、故意に人に物を投げつけるかして、死なせるか、 21または、敵意を抱いて殴りつけて、人を死なせた場合、手出しをした者は必ず死刑に処せられる。彼は殺害者である。

(民35:20~21)

 所有している動物によって死刑になることはなく、自ら意図的に人を殺害した場合に死刑になる。そこで出エジプト記21章29節は、人が裁判によって処刑までの手続きが取られるように、人を死なせた動物も、裁判によって処刑されることを言っていると解釈されている。

 この場合の所有者に課せられる責任については、出エジプト記21章の続きに次のように書かれている。

 もし、賠償金が要求された場合には、自分の命の代償として、要求されたとおりに支払わねばならない。

(出21:30)

 muadの所有者は賠償金を支払わなくてはならないことになる。

 今回の内容は以上である。

(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を進めるためのご支援をいただければ幸いです)

 シリーズ目次は以下からご覧になれます。

◉【シリーズ目次】ミシュナ『Sanhedrin』法理研究

https://note.com/mishnah/n/n8cf87c1bb399

 本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【全体目次Vol.2】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.201〜No.300)

https://note.com/mishnah/n/na80e65fb273e

 全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス

https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c

(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)

◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次

https://note.com/mishnah/n/n4ccb130fe6ef

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