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ミシュナ『Peah』の法理体系 第9回:ぶどう畑がoleilot(摘み残し)のみである場合の法解釈と「聖別」のタイミング

*今回は、ミシュナ「Peah(ペアー篇)」第7章7節から8節に基づき、ぶどう畑の収穫が全てoleilot(肩もペンダントもないぶどう)であった場合の処理を巡る、ラビ・エリエゼル(Rabbi Eliezer)とラビ・アキバ(Rabbi Akiva)の決定的な法理対立を解説する。

 さらに、畑の「聖別」が実行されるタイミングによって、窮民救済義務がどのように変化するのか、レビ記の逐語直訳やラビ・ヨセ(Rabbi Yose)の見解を交え、手加減抜きの専門性で2,000年前の「律法の現場」を網羅する。


前回の振り返り:revai(植樹4年目の果実)の論争点


 前回は、ミシュナ「Peah(ペアー篇)」第7章6節に基づき、植樹4年目の果実(revai:レヴァイ)を巡る法理と、それについてのBeit Shammai(シャマイ学派)とBeit Hillel(ヒレル学派)の二大学派の対立について解説した。

 主な内容は以下の通りである。

【1】revai(レヴァイ:植樹4年目の果実)の定義

 トーラ(レビ記19章23~24節)に基づき、植樹から3年間の果実は食べてはならず(orlah:オルラー)、4年目に実るもの(revai)は「聖なるもの」として扱われる。

 これらは原則としてエルサレムに運んで消費するか、遠方の場合は換金してエルサレムで食品を購入し、消費しなければならない。

【2】「5分の1の割り増し」と「biur(ビウール)」を巡る対立

 revaiの法的扱いについて、Beit ShammaiとBeit Hillelで意見が分かれている。

①Beit Shammaiの見解

 revaiの買い戻しに際し、5分の1の割増金は不要である。

 一定期間ごとに納め忘れを清算するbiurの義務も適用されないため、期限を過ぎても家に保管しておくことが可能である。それを取り出す必要はない。

②Beit Hillelの見解

 第2の十分の一税(maaser sheni:マアセル・シェニ)の規定が準用されるため、5分の1の割増金を支払う必要があり、biurの義務も負う。従って、期限までにエルサレムへ運ぶか、廃棄しなければならない。

【3】所有権の所在と窮民救済義務

 revaiから貧しい人のための取り分(peah、shichchah、peret、oleilot)を分与すべきかどうかという点でも、両学派の法理が対立している。

①Beit Shammai

 revaiについても通常の作物と同様に窮民救済の掟が適用されるとする。従って、revaiのperetやoleilotについて、貧しい人自身がエルサレムで運び、消費するか、換金してエルサレムで作物を買い、消費する義務を負う。

②Beit Hillel

 revaiは「農夫の所有物」ではなく「神の所有物」であると考える。窮民救済の義務は農夫が所有している物にのみ生じるため、revaiからは貧しい人の分を取り分ける必要はないと主張する。

【4】加工(圧搾)の法的解釈

 Beit Hillelが「全ては圧搾機に行く」と表現している点は、法的に重要な意味を持つ。

 通常、果実とジュースは同等とは見なされないが、ぶどうとオリーブに限っては、それらを潰した酒や油は元の果実と同等と見なされる。

 むしろ、エルサレムへ運搬する際は、果実のままよりもぶどう酒や油の状態で持ち込む方が望ましいとさえされている。

 以上の内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。

◉ミシュナ『Peah』の法理体系 第8回:revai(植樹4年目の果実)を巡る法理――Beit ShammaiとBeit Hillelによるbiur及び「神の所有権」・「農夫の所有権」に関する論争

https://note.com/mishnah/n/n016d66511953


ミシュナ「Peah」7章7節におけるoleilotの帰属論争


 今回はその続きである。口伝律法ミシュナ「Peah」7章7節から引用する。

 ぶどう畑全体がoleilotで覆われている場合、―ラビ・エリエゼルは言う、「それは所有者のものである。」ラビ・アキバは言う、「貧しい人のものである。」
 ラビ・エリエゼルは言った、「『ぶどうの取り入れをするときは、後で摘み尽くしてはならない』(申24:21)-もし全くビンテージがないのなら、どこにoleilotがあるのだろうか?」ラビ・アキバは彼に言った、「『ぶどうも、摘み尽くしてはならない。』(レビ19:10)-たとえ完全にoleilotであったとしても。もしそうであるなら、なぜ次のように書かれているのだろうか、『ぶどうの取り入れをするときは、後で摘み尽くしてはならない』(申24:21)それは収穫の季節の来る前には、貧しい人に権利は無いことを教える為である。」

(Peah 7:7)

 本節はぶどう畑で実ったものが、全て肩もペンダントも無いもの、つまりoleilotであった場合である。この場合、ラビ・エリエゼルは全て所有者のものであるとし、ラビ・アキバは全て貧しい人のものであるとする。

 本文ではそれぞれの理由について書かれている。次のようにまとめることが出来る。

(1)ラビ・エリエゼル(Rabbi Eliezer)の見解

 ラビ・エリエゼルは申命記24章を根拠として引用する。

 「ぶどうの取り入れをするときは、後で摘み尽くしてはならない」(申24:21)

 翻訳では分かりにくいが、「摘み尽くす」という動詞は「te'olel(テオレル)」が使われており、「oleilot」と同じ語根である。

 つまり「摘み尽くしてはならない」は「oleilotを取ってはならない」ことを言っている。まとめると、この箇所のトーラは「ぶどうの取り入れをするときは、oleilotを取ってはならない」という意味になる。

 さて、この申命記24章21節では「oleilotを取ってはならない」ことの条件は、「ぶどうの取り入れをするとき」とされている。もしも立派に実ったぶどうが全く無いならば、「ぶどうの取り入れをするとき」という前提条件が成立しない。そこでoleilotを残す義務も無い。

 ラビ・エリエゼルは以上のように解釈する。

(2)ラビ・アキバ(Rabbi Akiva)の見解

 ラビ・アキバはレビ記19章10節を根拠として引用する。

 ぶどうも、摘み尽くしてはならない。

(レビ19:10)

 この「摘み尽くす」も原文の動詞は「te'olel(テオレル)」であり、「oleilot」と同じ語根である。つまり「摘み尽くしてはならない」は「oleilotを取ってはならない」ことを言っている。

 しかしこのレビ記19章10節では「oleilotを取ってはならない」ことの前提条件が何も示されていない。oleilotであるなら、無条件で貧しい人のものである。従って收穫が全てoleilotであるなら、全て貧しい人のものである。

 ではこの見解では申命記24章21節はどのように解釈するのだろうか?

 ラビ・アキバはラビ・エリエゼルが引用した箇所 「ぶどうの取り入れをするときは、後で摘み尽くしてはならない(oleilotを取ってはならない)」(申24:21)については、oleilotが貧しい人のものになるのは、立派なぶどうを収穫した後であるという、順番を述べていると考える。

 つまり、通常の収穫期が来る前に貧しい人が畑に入ってoleilotを取る権利は無い。1番目に所有者が立派なぶどうを自分の所有物として収穫し、その後に貧しい人がoleilotを収穫しなくてはならない。

 次節に進む。

ミシュナ「Peah」7章8節における「聖別」のタイミングと所有権の移転

 もし誰かがoleilotが識別出来る前にぶどう畑を聖別したならば、oleilotは貧しい人には行かない。もしその後であるなら、oleilotは貧しいのものである。ラビ・ヨセは言う、「彼らはそれらの成長の費用を神殿に納めなくてはならない。」

(Peah 7:8)

 本節でポイントになるのは、聖別のタイミングである。聖別した瞬間、聖別されたものは農夫のものではなく、神殿の所有になっている。

 十分に成長し、立派に実るのか、oleilotになるのか見分けることが出来ない段階であるなら、農夫はぶどう畑全体に対する権限を持っている。

 そこで聖別して、その後にoleilotが生じても、それは貧しい人のものにならない。

 ここでもう一度、レビ記19章10節を掲載する。

 ぶどうも、摘み尽くしてはならない(oleilotを取ってはならない)。

(レビ19:10)

 この翻訳では反映されていないが、原文を逐語で直訳すると、次のようになる。「あなたのぶどう畑から、oleilotを取ってはならない」。つまり「あなたのぶどう畑から」なのであり、個人が所有しているものの中から与えられるのである。

 「もしその後であるなら、oleilotは貧しいのものである」とは、oleilotが識別出来る段階の後で聖別するなら、oleilotは貧しい人のものであることを言っている。

 聖別は自ら所有しているものだけにすることが出来る。oleilotが識別出来るようになった後にぶどう畑を聖別したら、立派に実ったぶどうは農夫自身のものであるので、神殿の所有となる。しかしoleilotは貧しい人の所有物であるので、聖別されない。

ラビ・ヨセ(Rabbi Yose)の経済的法理:神殿資産による「成長の費用」清算義務


 続きには次のように書かれている。

 ラビ・ヨセは言う、「彼らはそれらの成長の費用を神殿に納めなくてはならない。」

(Peah 7:8)

 oleilotが識別出来るようになった後の聖別によって、確かにoleilotは聖別されていない。それは貧しい人のものである。

 しかしこのoleilotを収穫するまでの間、神殿の所有になっているぶどうの木から養分を得て成長している。ラビ・ヨセは、貧しい人はその成長分の価額を神殿に支払うべきであると主張している。

 今回の内容は以上である。

(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)

 シリーズ目次は以下からご覧になれます。

◉【シリーズ目次】ミシュナ『Peah』法理研究

https://note.com/mishnah/n/n2d88667d1089


 本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)

https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334


 全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス

https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c


(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)

◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次

 ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。

https://note.com/mishnah/n/n4ccb130fe6ef

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