あなたは何に突き動かされて生きているか

 私は、よくも悪くも仕事に突き動かされて生きてきた10年だったと思う。そして仕事というものがなくなった今、私を動かすものは目の前の欲求ーお腹がすいたからご飯が食べたい、寂しくて仕方ないから誰かに話をきいてほしい、疲れたから眠りたいという基本的なーくらいなもので、それ以外には何もないことにはたと気がつく。熱心に手押し相撲をしていた片割れに、ふっと手を放されてパタリと座り込んでしまうような呆気なさと似た感覚といっしょに。

 悔しくて涙が止まらない夜の帰り道、長らく準備してきた提案が成功して自分は無双だと自惚れたり、商談への緊張感で胃がやぶれそうな朝も、愚痴を言いながら互いを労わるれ仲間の存在に救われたり、クライアントに怒られて味わった挫折感も全部、仕事によって生まれていた経験・感情だった。

 そんなの当たりまえのことだけど、人生が何かの道をどこかの方向に進んでいく諸行だとしたときに、前へ前へと駆動させるのに不可欠なもの。車に対するエンジン、電気ケトルを沸騰させる電気、植物にとっての日光。それくらい決まりきっていたら考えなかったと思うけど、人を突き動かすものは人によって違うし、人生のフェーズや取り巻く状況によっても変わるものだと思うので、私は結構この問いを定期的にくりかえすことが大事なんじゃないかと思っている。「何に突き動かされて生きているか」

 そしてこと私にとって仕事というのは、さまざまな要素を含んだ集合体だがその中の何が最も動力をもっているのかと言えば「焦り」だ。仕事を分解すると、業務内容・職種・職場の同僚・上司・オフィス環境・収入・労働時間などの、いわゆる仕事を構成する一般的な要素ー求人を構成するハード情報的なものーから、自分が得意とする仕事・苦手とする仕事・成長につながる仕事・やりがいを感じる仕事などの、自分にとってどんな意味があるかという切り口、クライアントに提供している価値・生み出される売上利益などの社会の誰に役立っているのかという切り口など、さまざまあると思う。

 何がその人を仕事に駆り立てるのかというのは、この要素の何を重要視し、仕事によって得たいと思っているかということと等しいと思う。生きていくのに必要な収入を得るため・やりがいのある仕事で人生に充実感を得たいため・スキルを得たいためなど。

 私の場合は「社内の同僚や上司に迷惑をかけないようにしないと」「クライアントに迷惑をかけて怒られないようにしないと」「こんな質問したら何も考えてない仕事のできないやつと思われるから何とか解決しないと」「こんなことで人を頼ってはいけないから自分で完遂しないと」といった焦りたちが毎朝私を起こし、会社に向かわせ、13時間パソコンに張り付かせ、土日を削って勉強させていた。
 
 そしてもっと根本的な欲求に紐づく焦り「誰よりも優秀でいなければ」「誰からも嫌われないよう慎重に動かねば」といった焦りたちは、上司との評価面談で前向きな振り返りを述べさせ、できるかもわからない高い目標を口走らせ、クライアントからの無理な要求にもNoを言わせず、とにかく働きつづけることでしか自分は価値を発揮できないという思考を固定させた。長らく固定されたその自分を苦しめる思考は堅物で、自分の行動や理性を司る脳の機能に癒着し、もはや無意識下でもしっかり働くほどであったと思う。

 のちに私はこれらの焦りが、私の中の”八方美人”と”優等生”という妨害者特性によって招かれたものであることを知るのだけど(これから詳細の記事は書く)、とにかく自分の意識や意志には関係なく、溢れ出る焦りが焦りを生み出し、焦りに忙殺され、暴走する焦りに追いかけまわされ、自分は操縦席に座っているのにもはやコントロールせずに呆然と座っていることしかできずに、制御不能なまでに膨れ上がっていた。

 ただ、焦りがあったから、周りから泥臭いと言われるような仕事を成し遂げたり、役割を超えて期待に応える努力ができたとも思う。そう思える程度にとどめられるのが焦りとの共存戦略上、とても重要なのだけど、32年間生きてきてフォーカスすべき自分の一部だと捉えたのが今朝。適応障害で働くことができないと医師に診断され、休職して2ヶ月経った9月の中旬3連休。ずっとずっと考えていた次のキャリア、人生の展望、理想の未来。煮詰まって寝れなくなって睡眠薬が手放せなくなるほどには、焦りと不安で眠れない連日連夜、今日もそんな夜を明かした朝。

 仕事に突き動かされてきた私と私の人生がぱたりと止まってしまった感覚をもちながら、その仕事の中の焦りから解放されたものの、また別の焦りに突き動かされる日々。「仕事が見つからず無収入なままだったらどうしよう」「復帰できたとてエンジンがかからなかったらどうしよう」これは焦りという側面もありながら、不安の色がかなり濃いかもしれない。焦りは動、不安は静というイメージがあって、今湧き出てきているのは不安の様相を呈しているような気がする。

 たぶん、自分が今まで休日も働いていたのはこれが怖かった。ずっと走り続けてきたところで足を止めること。エンジンが切れる、焦りというパワーが湧いてこなくなること。だから、焦りつづけられるように働き続けていたのかもしれない。焦らないと動かない自分を知っているから、焦る。そして私は、焦ると動いてしまう特性がある。「仕事が見つからず無収入なままだったらどうしよう」と思った日から、副業でやっていたライティングの応募をしまくったり、何かと役立ちそうなAIの勉強をしたり、語学やプログラミングの勉強をしたり、求人を身漁ったり、精力的に活動していた。

 でもどれも続かなかった。たぶん、焦りを埋めるための行動だったから。仕事が一定、2年半つづいたのは監督的存在ー仕事仲間や相手がいたからだと思う。そう思うと、自分ひとりで完結できる焦りに対する行動は、自分の焦りを埋めることが達成されたら、もしくは焦りを埋めることが達成されないものとわかったら止まる。つまり私を駆り立てていたのは、大事な人たちとの関係や評価を守りたいと願う焦りーそして彼は不運なことに「働きつづけることでしか自分の価値を発揮できない」という無意識のベールに覆われた環境のなかで、自分の根源なんて見失いながら、ただその機能を果たそうとしていた。

 人間的に言えば焦りは「今すぐ手を打たなければ手遅れになる」という本能の働きらしい。検索結果の上位3件くらいの記事が言っていたので大きく間違っていないと思う。あらゆる経験を思い返してみても納得感がある定義だし、この機能を理解したうえで共存していく必要がある。つまり、焦りから必要以上に、そしてあたかもポジティブな動機に見せかけられながら、駆り立て急きたてられるような生き方から卒業する時期なのかもしれない。

 重要な動力ほど、強力だ。コントロールができなくなるほどに。だからこそ「何に突き動かされて生きているか」という問いをゆるやかに思い出しながら、それが非常にポジティブな動力源なのだとしたら受け止め助長し、ネガティブな要因となってしまっているなら緩和したりなくしたり、そんなことを繰り返すことが自分の精神を守り、自分の心と仕事を両立させる上でとても重要なことだと思う。

 そしてポジティブな動力源をいかに増やすか、という方にシフトできると心の健康が持続させやすかったりするんだとも思う。自分にも最初はあったはずで、正常に燃えていたと思うのだけど、一歩道を踏み外すと途端に消え入ってしまう弱さと儚さがあるもの。なんだとまずは自覚をもつことか一歩だろうか。

 この2ヶ月、生きる屍のような気持ちで過ごしていたのだけど、その時間と気持ちを昇華させたくて書いた雑記は以上です。ここに至るまでの思考や自分の価値観の言語化や、ある思考のとらわれからの解放など、自分を少しずつ変化させる転機やきっかけについては少しずつnoteに更新していく予定


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