実話 ⑯『肉体のキャンバス』〜渋谷のキャバ嬢ふたりをSM女王様に変えてしまった話
第16章:怒号の診察室とパニックの螺旋
一、医師の怒声と歪んだ優先順位
「……膀胱鏡だと!?」
診察室の静寂を破り、初老の医師の怒号が響き渡った。机を叩くような勢いで体を乗り出し、白髪の眉を吊り上げて俺を睨みつける。
「君ねぇ! 膀胱鏡検査がどれだけ患者の身体に負担をかけるか分かっているのか!? 素人がインターネットの生半可な知識で、軽々しく医師に指示を出すんじゃない! まずは処方する抗生剤と消炎剤で様子を見る。それが医療の基本だ!」
「あ……はい……すみません……」
俺は医師の物凄い剣幕に押され、それ以上何も言えなくなった。
この一週間の間に、すでに別の病院で二度も膀胱鏡をぶち込まれているなど、口が裂けても言えるはずがなかった。これ以上食い下がれば、精神科への受診を勧められるか、警察に通報されかねない。
「処方箋を出しておきますから、調剤薬局で受け取って帰りなさい」
気まずい空気のまま診察室を追い出され、会計を済ませてクリニックを出る。
手に持った薬袋を見つめながら、俺の頭の中に真っ先に浮かんだのは、自分の身体の心配ではなかった。
(……ちなつに、どう報告しよう……)
自分が置かれている絶望的な状況よりも、「ちなつへの報告」を何より優先しようとしている自分に気づき、ハッとした。それどころか、俺の脳内では恐ろしいほど歪んだ思考が回転し始めていた。
(『医者に生意気だってめちゃくちゃ怒られました』って報告したら……あいつ、絶対大喜びするだろうな……)そう思い、ニヤリと笑う自分がいた。
医者に叱責された屈辱すらも、ちなつを喜ばせるための「お土産」として消費しようとしている。自分の尊厳が壊れていく感覚に、背筋が寒くなると同時に、怪しい高揚感が喉の奥にこみ上げてきた。
二、すました待機画面と二重の優越感
帰宅後、俺はすぐにちなつへ有料メールを送信した。
『病院に行ってきました。医者に膀胱鏡を頼んだらすごく怒られました』
夕方、彼女から短い返信が届いた。
> ちなつ:
> 『ウケる(笑)今夜のライブチャットで詳しく報告しなさい』
>
またライブチャット。ログインすれば、またあの悪夢のような「実験」が待っているかもしれない。恐怖で胃が縮み上がる思いだったが、夜が近づくにつれて、俺の鼓膜は彼女の声を欲して激しく拍動していた。
夜になり、サイトにアクセスする。
ログイン前の検索画面では、ちなつの部屋は「待ち合わせ中」というステータスになっていた。
サムネイルに映るちなつは、リングライトを浴びて、どこまでも可憐で清純そうな「アイドル的キャスト」のすました顔で画面を見つめていた。
(フッ……この女の本性を知っているのは、世界中で俺だけだ……)
画面の向こうで可愛いポーズをとっている彼女が、裏では男の身体を玩具として踏みにじる恐ろしい加虐者であることを、俺だけが掌握している。謎の優越感に浸りながら、俺は数分間、ログインせずにその待機画面をじっと眺めていた。
意を決して部屋にログインする。画面が切り替わった瞬間、ちなつは媚びを含んだ笑顔を一瞬で消し去り、底意地の悪い笑みを浮かべた。
「ちょっと、なおき。さっきからずっと待機画面見てたでしょ?」
「え……? あ、いや……」
入室していなくても、プレビュー画面を誰かが閲覧していることはキャスト側の管理画面で分かる仕組みになっているようだった。俺は焦って言い訳を取り繕った。
「ち、違います! 入る直前にちょっとトイレに行ってて……」
「あはは! トイレ? なんだ、ちゃんとおしっこ出るようになったんだ(笑)。つまんない」
腹を抱えて笑うちなつ。その軽快な笑い声に、俺は昨夜の激痛とパニックの記憶が津波のように蘇ってくるのを感じた。
三、無慈悲な煽りと精神のスタンプラリー
「で? 医者に怒られたって何?」
画面越しに身を乗り出して尋ねてくるちなつに、俺は昨夜の出来事を必死で話し始めた。
「昨日の夜……本当に身体の中に何かが残ってるんじゃないかって思ったら、パニックを起こしそうになって……。今朝一番で別の病院に行って、エコーの影を見て『膀胱鏡で確認してください』って言ったら、素人が指示するなって医者にものすごく怒られて……」
ちなつは俺の真剣な訴えを、まるでバラエティ番組でも見ているかのように「ウケるー!」と大笑いしながら聞いていた。
彼女の楽しそうな反応とは裏腹に、自分の口で恐怖を言語化したことで、俺の心は再び暗い底へと引きずり降ろされていった。冷や汗が全身から吹き出し、心臓が痛いほど早鐘を打つ。
(本当に……もし、奥で腐ってたらどうしよう……。敗血症になって、手遅れになったら……)
激しい動悸と呼吸の浅さ。これが世にいう「パニック障害」の症状なのか。死の恐怖が脳を支配し、俺は画面の向こうの彼女にすがるような声をあげた。
「ちなつ様……本当に残ってないですよね……? 大丈夫ですよね……? おしっこ出るんだから取れたってことですよね……っ」
泣きつき、救いを求める俺。
しかし、ちなつは俺がメンタルを限界まで病んでいることを見抜くと、今日一番の底意地の悪い笑みを浮かべ、甘ったるい声で容赦なく追い打ちをかけた。
「え? いや、絶対残ってるよ。今ごろ奥の方でだんだん腐ってきてるよ。明日あたり、熱が出て大変なことになるんじゃない? きっと絶望的だよ♥」
「っ……!!」
息が止まった。
パニックで本気で苦しんでいる人間に対して、あまりにも無慈悲で、容赦のない毒牙。一瞬、あまりの残酷さに本当に狂ってしまいそうになった。
だが——
ヘッドホンを通して脳髄に直接流し込まれたその過激な言葉と、画面の中で心底嬉しそうに俺の絶望を嗜んでいるちなつの顔を見た瞬間、俺の奥底に眠る「Mのスイッチ」が、ガチャリと音を立てて完全に切り替わった。
(……ああ……たまらない……)
パニックを起こしそうな人間を、救うどころかさらに絶望の底へ叩き落として楽しんでいる。
彼女にとって、俺の身体も、命も、精神すらも、ただの「使い捨ての玩具」でしかないのだ。その絶対的な主従関係と、徹底されたモノ扱い。圧倒的な暴力性に、脳が痺れるような凄まじい快感が全身を駆け巡った。
恐怖と興奮がぐちゃぐちゃに混ざり合い、俺は恍惚とした表情で呟いていた。
「……ッ……モノ扱いで躊躇のないちなつ様……大好きです……っ。かっこいいです…素敵です」
俺の反応を見たちなつは、一瞬驚いたように目を見張り、次の瞬間、腹を抱えて爆笑した。
「ギャハハハ! ウケる!お前すぐスイッチはいるじゃん。いい感じで 壊れてんじゃん! よし、じゃあ次はお前をパニック障害にして遊びやすくしちゃおう♥ 病院だけじゃなくて、精神科のスタンプラリーも同時開催ね!」
ヘッドホンから響く悪魔のような宣告。
その夜も俺は、彼女の「取れなくする遊び」の完璧な道具として、精神も肉体も彼女の気まぐれに差し出し続けたのだった。
