2018年 多良岳
さて大村湾東岸、佐賀県境の多良岳の話だが大村のことを知るには避けては通れないとしてもこれまた面倒そうだ。機内から始めて見たときは放射状に峰々が広がるすっきりとした地形に思えた。だがいろいろ探ってみるとそう単純な話ではない。各峰々のあちらこちらには少しとんがった山があり一まとめに「多良岳」とはいうもののそれぞれ名前の付いた「~~岳」が時期も場所も別々に噴火を起こしている。溶岩や火山灰、火砕流の化学組成や固まり方も微妙に異なりいろんな時代のいろんな鉱物要素の岩石が縦横斜めのパズルのように組み合わさって現在の美しい形になっている。富士山が過去に何度も割れ目噴火を起こし「化粧直し」を続けてきたという話を思い出した。
簡単に私の知識の範囲で火成岩のことを説明するとこうだ。先ずはその成り立ちで大きく三つ分類できる。マグマが噴火して地表に出たり地表にごく近い所で急激に固まったものと地下のマグマだまりがゆっくり冷えてそのまま岩石になったもの、それに火山の空中への噴出物である火山灰や礫、火砕流などが降り積もったものである。
最初のものには「流紋岩」、「安山岩」や「玄武岩」が挙げられる。地下で固まったもののうち比較的上部が「花崗岩」、深いところのものが「かんらん岩」、このかんらん岩は主として地球のマントルを構成する岩石でもある。滅多に地表には露出しない。あと噴出物の堆積の多くは「凝灰岩」ということになる。ただこの凝灰岩も素人にとってはややこしい。基本的には柔らかく崩れやすい石なのだが高温高圧の火砕流に依るものとなれば「溶結凝灰岩」と言って非常に硬く高温にも耐えかつ風化にも強い石となる。このように凝灰岩にはその起源によって「~~凝灰岩」というのが多数存在し一言では語れないのだ。
安山岩や玄武岩は基本的には海洋プレートを構成する岩石であるがマグマが地表に噴火することで主に火山の山体として大陸プレートにも多く存在する。また海洋プレートが沈み込む際にもプレートから突き出た火山島のような部分は比重とは関係なく陸のプレートに乗り上げてそのまま後ろからも押され陸地を登っていく。秩父の石灰岩と玄武岩がその例だ。安山岩と玄武岩の区別も未だ微妙なところは自分でも解ってはいない。ただ冷えて固まる際の作用で縦方向の直線上の割れ目である「節理」と横方向の「片理」が玄武岩に多く見られると言うことぐらいだ。「柱状節理」と言う言葉は東尋坊などあちこちの観光地で馴染みのある単語だと思う。実際のところその節理の有無、鉱物要素の微妙な違い、比重、あと見た目の粒子の感じで呼び分けてはいるが安山岩より軽い流紋岩も含めてその差はグラデーション的で区別する線引きがあるわけではない。私の知識ではそう考えている。
地図目線だけではなく水平方向からも考えてみた。概ね多良岳山体の地下には「先多良岳」由来の安山岩質の岩盤が広がっているようである。古第三期というからやはり五、六千万年前からの話だろう。日本列島が出来る前、大陸での出来事だ。
地上にみられる峰々の中腹域は主に玄武岩、ただ過去の噴火の経緯によっては安山岩質も点在しているようだ。それぞれ露頭している地名も記されてはいるが本当にややこしくて頭にはすんなり入らない。時代的には古第三紀から新第三期にかけての様だから二、三千年前から一千万年前ぐらいか。大陸沿岸部が割れて日本海を造りながら日本列島が太平洋に向かって門のように開いて行く、まさにその頃だ。最後に山頂に近い部分は比較的新しい安山岩質で構成されているようである。「新しい」とは言ってもまだまだ人類がやっと生まれたかどうかの時代までの話だが。
ここでまた私に「変な」推理が生まれた。安山岩と玄武岩が水平方向に層になって存在していることでサイエンスゼロで見た「西之島」のことを連想した。地球が冷えてやっと安定した頃、地球表面の全ては海だったという。そして大陸が生まれる過程のカギが現在の西之島の活動にあるとの仮説だ。同じ海洋地殻の中でも比較的軽く浅い場所から噴出した流れやすい柔らかい安山岩質の溶岩ともう少し深いマントルに近い場所から出てきた硬い目の溶岩、おそらく玄武岩質のものだろうとと思うがこれらが交互に噴火を繰り返すことによって海面上の大きな島を造りいずれ大陸になったのではないかと言う話である。
多良岳の活動を考えればこの列島が生まれた時期とも重なる。どちらが結果でどちらが原因かも解らない。西之島のことを当てはめて良いのかどうかも疑問だ。調べきれていないが「黒い安山岩」も気になる。ただ日本列島の西の蝶番に位置する場所で大陸とまでは言え無いがこれだけの規模の造山活動が起こっている。安直な言葉だが「壮大」としか言いようがない。
細かなところを見ればさらに気になる点もある。前に述べた郡川の迂回もそうだし多良岳の各峰々が佐賀方面も含めて「放射状」と言ったが大村市街の扇状地に他の峰より張り出した琴平岳の岩体は上流側の半分が東西方向に少し折れ曲がっている。下流側半分、高速ICまで突き出た部分は稜線部を均しオフィスパークが立地しているが空港のデッキから見ても多良岳全体の山体とは別に明らかにポッコリと目立っている。市街地には三城館跡などもっと平野部に突き出た台地もあるが標高や規模の面で明らかに異なる。これらは他の諫早方面との境にある峰とも矛盾しない向きだし違和感はない。琴平岳から郡川に沿ってさらに上部の中流域には噴火の記述のある規模の大きい中岳の岩体もあるがこの間には先に述べた南河内から田下町で合流する川が遮っていて同じ由来ではなかろう。だが琴平岳の単独噴火の記述も見つけられない。いずれにしても何かの理由で大量の水量を抱えた郡川を斜め方向に受け止める形でこの岩体が存在している。
ついでに言えば上流部の黒木渓谷や南河内の盆地的な地形も東西にずれている。浸食だけでは説明がつかない。あくまでも素人が航空地図で見る限りの話だが中岳を中心とした小規模なカルデラ陥没のようにも見える。このことも記述には見つけることが出来なかった。読み足りないだけかも知れないが。やっぱりこの地域の最大河川である郡川の流れと大村市街地の関係、それと先ほどの黒い安山岩。これはもう少し調べねばならない。
とにかくその「壮大な想像力」を以ってすると日本列島が出来てからだけでもなく、人類が生まれこの島国に住むようになってからだけでもない。それ以前からの遠い四十六億年の歴史があって今現在の「大村」がある。そのことだけは間違っていない。
