“生きてて楽しいことありますか?”って聞かれて、マジで困った話
「最近、楽しいことある?」
「生きてて、なんかワクワクすることある?」
「なんかさ、好きなこととか夢中になれるもの、ないの?」
こういうことを聞かれる場面、けっこうある。
でも、私はいつも、困る。
いや、ほんとになんもないわけじゃない。
たとえば、ちょっとおいしいもの食べたときとか、
天気がよかったときとか、
noteで優しい言葉をもらったときとか、
その瞬間は「わ、ちょっと嬉しいな」と思う。
でも、「楽しいこと」とか「夢中になってるもの」とかって、
“それっぽく”ないといけない空気、ありません?
旅行とか
趣味とか
推し活とか
筋トレとか
自己実現とか
なんかそういう“人生が充実してそうな何か”を答えないと、
「えっ、何もないの?」って言われそうな圧。
だから私はときどき思う。
「“生きてて楽しいことありますか?”って質問、実はちょっと怖い」
“楽しい”って、あるんだけど、すぐ消える
私にとっての“楽しい”って、
すごくちっちゃくて、すぐ消えるやつなんです。
noteで1件「スキ」された瞬間とか
誰かの文章に「うわ、これすご」って思ったときとか
コンビニで買ったプリンが美味しかったときとか
でもそういうのって、
“楽しいこと”としてカウントされない感じ、ないですか?
「楽しいこと」より、「困らないこと」のほうが欲しい
正直、
今の自分が心底求めてるのって、
ワクワクよりも、「詰まらずに生きられること」。
急に何かを決めろと言われない
無理やりテンションを求められない
ぼーっとしてても咎められない
そういう“困らない暮らし”のほうが、
私にとっては“幸せ”に近い。
本音:楽しく生きてなくても、生きてるんだよ
べつに楽しくなくても、
毎日、なんとかやってる。
それだけで、すごいじゃん。
でもこの社会って、
「夢は?目標は?やりたいことは?楽しいことは?」って
ずーーーっと訊いてくる。
まるで、楽しく生きてない人は“失格”かのように。
でも私は、
“楽しいことを言語化できない人間”にも、ちゃんと居場所があってほしいって思ってる。
おわりに
noteで文章を書いてる理由、
たぶんこのへんにある気がする。
「私は今これを思ってるよ」ってだけの言葉を
誰かが読んでくれて、
「わかるー」って思ってくれたら、
その時だけは、ちゃんと嬉しい。
楽しいことがなくても、
今ここにいる自分を、
ちょっとだけ褒めてあげたいなって思います。
