なぜ本の内容を忘れてもいいのか?4,000冊の読書から導く「脳のディープラーニング」説
大量の本を読んでも内容を忘れてしまうのは無駄なのか?本記事では、筆者の4,000冊に及ぶ読書体験とAIの「ディープラーニング」の構造を重ね合わせ、読書の本質を解明します。結論として、読書とは内容の丸暗記ではなく、脳のニューラルネットワークに「重み付け」を行い、独自の知の枠組みを構築する行為なのです。
4,000冊の本と「忘却」のジレンマ
「人は一生のうちに、何冊の本を読むのだろうか?」
これはたぶん一般化できるような質問ではない。
それは、本好きの人とそうではない人との差があまりに大きいと思われるからだ。
そこで、少しだいぶ規模は小さくなってしまうが、「自分は今まで何冊の本を読んできたのか?」という質問に変換して、答えを考えてみたい。
仮に、15歳から40年間に渡り毎年100冊ずつ読んだと仮定して計算すれば、4,000冊にもなる。
100冊×40年=4,000冊
年間100冊の仮定は多すぎるだろうか?
大学を卒業する時には、文庫本や新書ばかり1,000冊の本が部屋に所狭しと並んでいた。入社の面接で読んだ本の数を聞かれた時、あまり多く言うと引かれてしまいそうで怖くて、サバを読んで500冊と過少申告した覚えがある。
学生のころは時を忘れて一日に3冊読破したりなど、割と無茶な読書をしていたことがある。読み終えた頃には空が白んでいたが…
社会人になると流石にそんなことをする余裕はなくなったが、興味の赴くまま本屋で本を買い漁っては読む習慣はその後も続いた。インターネットが普及した現在では、その真偽はともかくとしてネットで検索すると大抵の答えは出てくるが、当時は知識を本に求めるしか術がなかったのだ。
ライフステージや仕事の繁忙などで年代による波はあったとは思うが、均して考えれば年間100冊の仮定は、あながち間違ってはいない気がする。
それにしても、4,000冊である。ずいぶんと読み散らかしてきたものだ。
4,000冊の内訳は今となっては不明であるが、純文学から、SF、推理小説、哲学、心理学、古代史、考古学、雑学、科学、仕事に関係する専門書、政治、経済、社会学、資産運用、定年後、などなど、その時々に興味を持ったテーマの本を手当たり次第に、かつ集中的に読んだ。
ひとつの視点に囚われたくなかったので、別の見解を示す本を敢えて意識的に選択もした。
本は貯めこむことなく定期的に古本屋に売っていたが、家に引き取りに来た古本屋さんに「旦那さんは、何かの研究者なんですか?」と妻が聞かれるほど、雑多な本を読んでいた。
今振り返ってみて、この4,000冊の本が自分を形作り、そのときどきの人生の選択を支えてきたことは間違いない。
「人生で必要なことは全て本で学んだ」
かつての流行本の題名になぞらえたら、そう表現できるかもしれない。
ところで、4,000冊の本から得た知識は自分の頭の中でどのように整理され、仕舞われているのだろうか?
この記事では、頭の中の知の枠組みについて考えてみたい。
知の保管庫は「内なる図書館」か?
それを考える上で参考となるのが、相互フォロワーであるlionさんの次の記事だ。
この記事の中で、「読んでいない本について堂々と語る方法」(ピエールバイヤール著)という本が紹介されている。lionさんの座右の書である。この本の中で書かれているのが、<内なる図書館>という概念だ。
もっとも自分はこの本を読んでいないため、解釈はlionさんの記事を参考にさせていただいている。
<共有図書館>の主観的要素である<内なる図書館>について考えるならば、頭の中の<内なる図書館>の中に、ある本がどこに位置付けられるのか、隣には何の本が置いてあるのか、ある本と別の本との関係性はどういう関係性なのかを自分なりに知っているということではないかと思う。
自分のイメージした<内なる図書館>は、頭の中に存在する書庫だ。
現実の図書館と同様に棚が整然と並んでいて、一定の分類法則に従って、本が整理・収納されている。書庫の内容は人によって異なるが、その人独自の法則によって本が整理・収納されているため、必要に応じていつでもそれらを取り出して参照することができる状態にある。
<内なる図書館>は本がきっちりと整頓された棚であり、研究者の頭の中の知の枠組みとしては好都合であるし、実際にそうなのだろう。
研究者ならば職業上、一冊一冊の内容を深く吟味して咀嚼し、論考を展開する時に必要に応じてリファレンスとして引用できるように、本のどのページに何が書かれているかまで把握しておく必要があるだろう。
しかし、これは自分の頭の中の知の枠組みとは少し違う気がする。
自分の場合でも、深く印象に残った本については、<内なる図書館>のような棚に仕舞われているように感じる。
自伝的小説の傑作とされる「人間失格」(太宰治著)、近代科学の哲学的方法論を説いた名作である「方法序説」(ルネ・デカルト著)、斬新なトリックを用いた推理小説の名作「そして誰もいなくなった」(アガサ・クリスティ著)、なぜ西洋において資本主義が発達したかを宗教的な側面から解明した「プロレスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(マックス・ウェーバー著)、資本主義の矛盾を論じ労働者に団結を呼びかけた「共産党宣言」(カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス著)、現代物理学の金字塔である量子力学の理論化に貢献した天才物理学者の名著「部分と全体」(ヴェルナー・ハイゼンベルグ著)などは、確かに<内なる図書館>の棚に仕舞われている。
これらの本は内容の詳細までは忘れてしまっているが、本棚から取り出して、本の重要な部分は説明できそうだ。
しかし、これらの本は自分の読んだ本全体の極一部分にしか過ぎない。大多数の本は、題名も著者名も忘却し、本に書いてあった具体的な内容を想起することは、もはや難しい状態にある。
ただ、具体的には思い出せないからと言って、全てを忘れてしまっているというのも少し違う。賛否両論を含む多数の本から抽出されたエッセンスのような物が、確かに自分の脳には刻まれて残っている。
そして、外から新たな情報が入ってきたときに、脳に刻まれたエッセンスを自動的に参照して「あー、このパターンだな」と認識できるようになっているのだ。
大量のデータ(本の内容)を入力することで、脳にエッセンスとして記憶して、必要な時にそのエッセンスを用いて判定するシステムは、最近のAIブームで持て囃されているディープラーニングにとても似ている気がする。
つまり、自分の頭の中の知の枠組みは、<内なる図書館>モデルではなく、<ディープラーニング>モデルが合っているような気がするのだ。
読書は脳のディープラーニングである
過去においてAIには3回のブームがあったとされている。そのうち2回目のブームは80年代で、その頃学生だった自分は、見様見真似でPCでAIを模したプログラムを走らせては遊んだ記憶がある。
そして現在の3回目のブームでは、ディープラーニングという新しい概念の実用化で、AI技術が驚くほどの進化を遂げている。その成果がLarge Language Model(LLM)というAIモデルで、Chat-GPTなどがその代表格だ。
ディープラーニングの仕組みについては、次の記事でわかりやすく解説されている。この記事を参考に話を進めてみる。
脳の仕組み
さきほど、自分の頭の中の知の枠組みはディープラーニングに似ているようなことを書いたが、実はAIにおけるディープラーニングは、人間の脳の仕組みであるニューラルネットワークを参考にして考えられたモデルの一つなのだ。
その意味では、両者は似ていて当然とも思える。
ニューロンとは脳細胞のことで、一人の人間の頭の中には約860億個のニューロンが存在していると言われている。ニューロン同士はシナプスと呼ばれる接合部で繋がれており、シナプスを介在してニューロンからニューロンへ電気信号が伝達される。
一つのニューロンには1,000~10,000個のシナプスが接続されていて、その数に対応したニューロンからの電気信号がそのニューロンへ入力されている。逆に、一つのニューロンからは1,000~10,000個の軸索が延び、シナプスを介してその数に対応したニューロンへ電気信号が出力されている。
その結果、シナプスの総量は100兆個以上に達すると考えられている。人間の脳は実に巨大なネットワークなのである。
このシナプスを介したニューロン同士の繋がりをニューラルネットワークと呼ぶのだ。
ニューラルネットワークは機能別に層構造を有することが知られているが、層の数が多い物を特にディープラーニングと呼んでいるようだ。容易に想像が付くように、層の数が多いほど高度な処理が可能となる。
ディープラーニングはニューラルネットワークの部分集合というのが正確な表現のようだが、この記事では簡単のために、ディープラーニング=ニューラルネットワークとして取り扱う。
下図は、人間の脳のニューラルネットワークの模式図を示している。

(1) 隣のニューロンから入力信号に、重み w を付けた合計(重み付き和)として受信する
(2) 受信した入力信号が、ニューロンの固有値(閾値θ)を超えると発火する
(3) ニューロンが発火すると出力信号 y を発信する
※本来のニューロンが発する信号はあり/なしのみ
一つのニューロンには多数のニューロンからの電気信号が入力されているが、全て同じ重み(重要度)で入力されている訳ではない。重要な情報を伝えるニューロンからの信号は重み(重要度)が大きく、そうではないニューロンからの信号は重み(重要度)が小さく設定されている。
そして、重み(重要度)を持った入力信号の合計値がある値(閾値)を超えたら、そのニューロンが発火し、次のニューロンに信号が送られる仕組みとなっている。
この重み(重要度)は学習により決定される。大量のデータを学習し、正しい答えが導き出せるように重み(重要度)の値が調整されていく。これこそが、脳のニューラルネットワークにおける記憶のメカニズムなのだ。
コンピューターでの再現
脳のニューラルネットワークは、有機物であるニューロン(脳細胞)やシナプス(接合部)で構成されているが、ニューロン間の情報の伝達という機能だけに着目すると、その仕組みを数式で表現することが可能となる。
数式で表現さえできれば、後はコンピューターでの計算が可能だ。
AIとは、脳のニューラルネットワークをコンピューター上の仮想空間に再現する試みと言うことができる。
その時用いられるモデルが、ディープラーニングというモデルなのだ。
ディープラーニングで高度な機能を実装するには多数の人工ニューロンが必要で、それに伴い計算量が膨大になる。
近年AIブームが再び盛り上がっているのは、ディープラーニングの研究が進んだことに加え、半導体の集積化によりコンピューターの計算能力が飛躍的に向上したことが背景にあると考えられる。
AIを支える技術の下地が整い機が熟したのだ。
再び上記記事を参考に、ディープラーニングのモデルについて見てみよう。
下記は、「3×4の画素で構成される画像が〇か×かを判定するモデル」の例だ。ディープラーニングと言うには層数が少ないが、説明の簡便のため、入力層、隠れ層、出力層の3つの層で構成されている。

入力層
・入力された情報を一切加工せず次の層へ受け渡す。
隠れ層
・重要度が付加された情報を受け取り、パターン検知処理を行う。
・処理結果は次の層に受け渡す。
出力層
・重要度が付加された情報を受け取り、判定処理を行う。
重要度
・パラメータ(重みwとバイアスθ)で表す。
入力層の12個のニューロンは画像データの画素に対応したニューロンで、それぞれの出力が隠れ層の3個のニューロンの入力となっている。隠れ層の3個のニューロンは特徴量を表わすニューロンで、それぞれの出力が出力層の2個のニューロンの入力となっている。出力層の2個のニューロンは「〇か×かの判定」に対応したニューロンだ。
上記のネットワークで多数の画像を用いて「〇か×かの判定」を学習させると、自動的に、重要な情報伝達経路の重み(重要度)の値が大きく、重要ではない情報伝達経路の重み(重要度)の値が小さく調整されていく。
上図において「〇の判定」については、青い矢印が重要な情報伝達経路に相当し、学習後には重み(重要度)の値が大きくなっている。
この状態のネットワークに、任意の画像を入力すれば「〇か×かの判定」を正確にしてくれる。言い換えると、学習で重み(重要度)の値が調整されたネットワークは、「〇と×の概念」を記憶しているのだ。
上記の例では、隠れ層の3個のニューロンが特徴量を表わすニューロンとして設定されている。特徴量とは画像の性質を代表する量で、上記の例では「〇か×」の特徴をよく表現する量が選ばれている。
上記例では特徴量が予め設定しているが、隠れ層の数をもっと増やすことで特徴量自体をネットワークに抽出させることも可能となる。例えば、写真データの学習では、どの部分に着目して判定せよと予め決めておかなくても、ネットワーク自身が勝手に着目する部分(特徴量)を設定し、2つの写真が同一人物かを判定することなどができるのだ。
また、上記は画像データの判定例であるが、対象は画像のみとは限らない。ディープラーニングでは、言葉の意味も教え込むことができるのだ。例えば「かわいい」物を学習させれば、「かわいい」の概念を記憶させることができる。
「猫のつぶらな瞳」や「小さな動物がお母さんの後を一生懸命追いかける姿」や「雨の日に小さな長靴と傘をさしている幼児」や「アイドルが微笑む顔」を見れば「かわいい」と判定できるのだ。
読書はディープラーニング
ここまでディープラーニングの概要について見てきたが、やはり自分の頭の中の知の枠組みは、<ディープラーニング>モデルが合っているような気がする。
考えても見れば、読書とはディープラーニングそのものだ。
本のエッセンスが「重み付け」となる
ある分野の本を多く読むことは、その本に書かれている内容を学習データとしてディープラーニングで学習し、ニューロンとニューロンの間の情報伝達経路の重み(重要度)の値を決定する行為に他ならない。
ニューロンネットワークに、本から抽出された重要な概念が記憶され、新たな情報が入力された時に、その概念との関係性が判定されるのだ。
そうした読書を積み重ねることで、知の枠組みが構築されるのだ。
もちろん脳の構造は複雑で、単純な<ディープラーニング>モデルのみで全てが語れるわけではないだろう。
しかし、我々の脳の機能の一部が<ディープラーニング>モデルのような形で記憶し、概念を理解しているのは間違いない事実なのだ。
良質なデータ(本)が精緻な枠組みをつくる
読書がディープラーニングで知の枠組みを構築する作業だとするならば、学習で用いられるデータの質と量が重要になるのは必然だ。
現代はインターネットから容易に情報を得られる社会である。しかしネットの情報は99%誤情報という噂もある。それはちょっと極端な主張だとしても、事実誤認や意図的な誤情報、偏った主張で溢れかえっているのは間違いがない。また、検索エンジンのアルゴリズムの影響で、同じような主張ばかりが表示され、偏った情報に晒される危険性が指摘されている。
偏った学習データで学習したAIが間違った回答を出すように、偏った情報ばかりに晒された人間に偏った考え方が刻み込まれてしまうことは、想像に難くない。
それを避けるためには、脳のネットワークが完成する前に、若い頃から良質な書に触れることが重要だと思う。特に古典と言われる本に触れることが重要だ。古典には時代に合わなくなっている部分も含まれているが、普遍的な価値があり、その意義は現代でも失われていないように思える。
本をディープラーニングの学習データと考えた場合、その量も重要だ。偏った主張ではなく視点を変えた多くの本を読むことで、より精緻でバランスの取れた良質な知の枠組みが築かれることだろう。
忘れることは人間に許された特権
ここまで、読書によるディープラーニングで知の枠組みを構築するなどとカッコイイことばかり書いてきたが、現実の自分の知の枠組みは年齢とともに崩れ始めているのが実際のところだ。
目の衰えとともに、ここ数年は本を1冊も読めていない。使われないニューロンネットワークの結びつきは緩くほどけ始めているイメージだ。また、加齢とともに脳細胞は死滅し記憶も失われ始めていることだろう。
しかし、忘れるというのも悪いことばかりではない。
嫌な記憶は消え、楽しい記憶だけが残る。使われなかった記憶が失われ、使った記憶だけが残る。
AIは学習したことを忘れることはないが、人間は忘れることができる。
忘れるのは人間だけに許された特権と言えるのかもしれない。
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【免責事項】
※本記事の脳科学およびAI技術に関する解説は、筆者の個人的な見解や比喩を用いた考察であり、学術的・専門的な正確性を保証するものではありません。
