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「本気で推し活に挑めない」理由の論理的解明──感情の右脳派と分析の左脳派が交差するオタクの行動心理

同じ「推し活に本気になれない」悩みでも、右脳派は「感情の暴走と自己崩壊」を恐れ、左脳派は「対象の解釈・分析」を優先し迷いが生じる。本記事では2名のnoteクリエイターの記事を起点に、推し活の構造を脳の特性から解剖。「解釈こそが左脳派の推し活である」という冷徹かつ肯定的な結論を提示する。


推し活における「右脳と左脳」の構造的断絶

人間は脳の働かせ方によって「右脳派」と「左脳派」に分類されるという。

かつては脳の欠損から類推するしかなかった脳の機能も、MRI技術の進歩により、大まかに右脳が「感情・創造」を、左脳が「論理」を司ることが視覚化されてきた。

興味深いのは、人類が言葉を獲得した動物であるという点だ。言語による高度なコミュニケーションを成立させるため、私たちは覚醒時、論理を司る左脳を優位に立たせて右脳が暴走しないよう制御している。

この左脳による制御力の強弱が、そのまま論理重視の「左脳派」と感情・創造重視の「右脳派」というパーソナリティの違いを生んでいる。

さらに言えば、人類の長い狩猟・採集社会における分業と淘汰の歴史から、集団で獣を追う男性は感情を抑え論理で動く左脳派へと進化し、採集と育児を担う女性は感情に敏感な右脳派としての感性を獲得してきたと考えられる。

もちろん個人差はあるが、実感としてその傾向は確かに存在する。

ここで重要なのは、どちらの脳が優れているかという議論ではない。社会には両方が存在し、両方があるからこそ面白い。

そして何より、この脳の特性の違いが、「推し活」という極めて個人的な営みにおいて、全く異なる悩みを引き起こすという事実である。

なぜ「本気になれない」理由は正反対なのか

そんなことを考えたのは、最近「本気で推し活に挑めない理由」という同じ題名の記事でありながら、その理由が正反対な2つの記事(みくまゆたんさんとlionさんの記事)を読んだのがきっかけだ。

1つは、みくまゆたんさんの記事。

もう1つは、lionさんの記事だ。

2つの記事を読んで「これはもしかして右脳派左脳派の違いなのでは?」と直感的にひらめいたのだ。

感情の暴走を恐れる右脳派(みくまゆたんさんのケース)

巨大な右脳を左脳で制御する「猛獣使い」のジレンマ

まず、みくまゆたんさんであるが、「本気で推し活に挑めない理由」について記事の中で次のように語っている。

1番の理由は、自分が「推し」を作るのが怖いから。そして、自分の「好き」を認められないからかと。
(中略)
好きな人はいっぱいいる。けれど、どの方も会うのは怖い。そう思うのは、なぜか。おそらく私の場合、会ったら最後。ガチで好きになっちゃいそう。そして、その沼からもう抜け出せなくなる気がしているからかも。メンヘラの闇は深い。

みくまゆたんさん「本気で推し活に挑めない理由」より

「会ったら最後。ガチで好きになっちゃいそう」

みくまゆたんさんはとても情熱的な方のようだ。たぶん右脳派なのだと思う。

もっともみくまゆたんさんはライター業で実績のある方であるから、記事を書く時は左脳でコントロールしながら文章を綴っているのは間違いない。

ただ、その隣には巨大な右脳が鎮座していていろんな情報を左脳に送ってくる。巨大な右脳が暴れないように、さながら猛獣使いのように左脳右脳をコントロールしながらエッセイを書いている、そんなみくまゆたんさんの姿が見えるようだ。

推しを作れば、右脳を解き放つことに繋がり左脳でのコントロールが利かなくなってしまう、そのことをみくまゆたんさんは恐れているのかなという気がする。

好きになりすぎて、自分が壊れるのが怖い。ならば、「安心して好きになれそうな人たち」の中から、好きな人を探せばいいのではないか。

みくまゆたんさん「本気で推し活に挑めない理由」より

うーん。何だかとてもこじらせてしまっているようだ(失礼!)。

今の私にできること。まずは、自分の「好き」という感情が生まれたら、卵を抱えるようにそっと大事にすればいいんじゃないだろうか。

みくまゆたんさん「本気で推し活に挑めない理由」より

最後の結論に安心した。

みくまゆたんさん右脳がとても強く、感受性が豊かで創造性に富んだ方なのだと思う。そこに左脳でコントロールされた文章力を備えている。

それこそがみくまゆたんさんの強みであり、記事に惹きつけられてしまう理由でなのだと自分は思っている。

分析が先行する左脳派(lionさんのケース)

「解釈」という行為自体がもはや推し活である

lionさん「本気で推し活に挑めない理由」について記事の中で次のように自己分析している。

自分は、いわゆる「ハマる」という状態になることがほとんどない。
(中略)
そういうわけで、おそらく楽しむ前に解釈とか分析みたいなものを初めてしまうのではないかと思います。

lionさん「本気で推し活に挑めない理由」より

「楽しむ前に解釈とか分析みたいなものをはじめてしまう」

これは典型的な左脳派の特徴と思われる。右脳から感情が溢れ出す前に左脳のロジックで解釈をし分析してしまう。完全に左脳が優位に立っている。

そして、次のような悩みを吐露して逡巡している。

それは、推しそのものを愛でているのではなく、解釈を楽しんでいるのではないか?
解釈が楽しめるのであれば、推しは別に違う対象でもいいのではないか?
それって作品そのものを楽しんでいるの?本当に?

lionさん「本気で推し活に挑めない理由」より

lionさんもだいぶこじらせてしまっているようだ(失礼!)。

でも大丈夫!

lionさんの場合、対象を解釈して分析する行為そのものが、もはや推し活になっている気がする。

右脳派による推し活とはちょっと趣がことなるかもしれないが、lionさんの行為は十分に推し活の名に値する。左脳派による推し活も存在し得ると自分は思う。

lionさんは間違いなく左脳が強く論理的な思考を得意とする方だと思うが、かと言って右脳が活動していないわけではない。

lionさん自身が次のように語っているように、解釈に変更を加えて論考を深めていく過程において右脳からのインスピレーションが活躍しているのだ。右脳が活動しているから楽しく感じるのだ。

解釈して、考察して、新しい情報が加わって、さらに解釈に変更を加えてより強固になっていくのは確かに楽しい。

lionさん「本気で推し活に挑めない理由」より

lionさんは、右脳からのインスピレーションを活かしつつも、左脳でしっかりと論理構成された文章を得意とする。

だから、いつも記事を読むたびに深く考えさせられてしまい、時にこのような記事を自分は書いてしまうのだ。

左脳派の私たちが「推し活」に向き合う方法

感情をロジックに落とし込むという生存戦略

ここまで、右脳派左脳派の違いについて書いてきたが、かくいう自分はどっち派なのだろうか?

その答えは明白で、このような記事を理屈を捏ね繰り回して書いている時点で左脳派に決定である。

よく妻にも「あ!また理系が出たよ」と言われる人間だ。

その意味では、lionさんの気持ちがよくわかる。
(lionさんは理系ではないかもしれないが理屈っぽいという点で共通している)

一方で、自分には欠けている右脳の気配を感じさせてくれるみくまゆたんさんの文章には、堪らなく魅力を感じてしまうのだ。

かくいう自分も最近はコンサートに足しげく通っている。これも推し活の一種かもしれない。

かつては気恥ずかしくて右脳の中に固く押し込めていた感情を、FIRA60を経て少しずつ解放しているような気分だ。

それでもコンサートに行った記事を書く自分は、その感動を論理の中に落とし込もうと今でも必死に藻掻いていることから察するに、死ぬまで左脳派人間のままでいたいんだろう。

左脳派人間は、感情を揺すぶられて不安定になった気持ちをロジックの中に落とし込んで解釈しないと安心できない習性があるのだ。

この記事では、人のことをこじらせているなんて失礼なことを書いてしまったが、クリエイターさんのことを勝手に分析して記事にしてしまう自分こそよっぽどこじらせているような気がしてきた。

#なんのはなしですか
(初めて使ってみたよ笑 使い方違ったかな?)

みくまゆたんさんlionさん、勝手に分析して勝手な思いを書いてしまい申し訳ありません。スキをつけるだけでは足りずに記事にしてしまいました。

何しろお二人は自分の大好きなクリエイターであり推しなので、これは左脳派による推し活の一種なのだと思って笑って許していただけたら幸いです。


#推し活 #メタ認知 #右脳派と左脳派 #自己分析 #推し活の悩み #構造解析 #思考のアーキテクチャ  #なんのはなしですか

【免責事項】
※本記事における脳科学的分類(右脳派・左脳派)および心理的考察は、筆者個人の構造的解釈に基づくエッセイであり、学術的な定説を示すものではありません。他者の心理に関する分析はあくまで個人的な見解です。


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