一枚の写真が台湾のバンドを通して、世界中の紛争地域や被災地を支える一助になった話
三谷飾屋です。写真を撮ったり文章を書いたりしています。
6月某日、とあるメールが届きました。
はじめまして。台湾で映像および舞台演出の制作を行っております〇〇と申します。この度はご連絡差し上げる機会をいただき、誠にありがとうございます。(中略)現在、ある楽曲の演出として、舞台背景に映像を投影する演唱会(KST BAND )を企画しており、その背景映像の一部として三谷飾屋さんの写真を使用させていただけないか、ご相談させていただきたく存じます。
そのメールは台湾の制作会社から、台湾で活動するバンドの映像作品に、私の写真を使用して良いか確認する内容でした。
正直なところ「勝手に使われてもバレない」距離から届いた丁寧な連絡で、しかも使用料やクレジット表記についても先に言及されており、好意的な印象を受けたので、いくつかの確認を経た後、使用料を頂戴する形で元となるデータをお送りしました。
使用料はその夜には支払われ、先方からのお礼メールにも私に対するリスペクトが重ねて書かれており、気持ちの良い仕事ができたと感じています。
元々、僕は写真を始める前は音楽が好きな人間だったので、自分が撮った写真が国境を超えて音楽と繋がったことにも喜びを覚えていました。
その翌日。
写真仲間と万博に行きました。

この日はパビリオンの予約等が間に合わなかったので、基本的には歩きながら場面場面で入れそうなパビリオンに入りつつ、一緒に行っていた万博慣れしている先輩が一つだけ当日予約できたパビリオンがあったので、後半はそこに向かう工程でした。
その予約していたパビリオンが赤十字パビリオン(国際赤十字・赤新月運動館)です。

赤十字運動への共感とともに
人道アクションのきっかけを生む
恥ずかしながら、僕は万博で赤十字がパビリオンを出していたこと、どのような展示をされているかを全く知りませんでした。
その上で、本音を言うと「なんとなくメッセージはイメージできるし、ダメージくらいそうだし、入るのはちょっと気が重いな」と思いもしたのです。
そして、この考えを僕はすぐに恥じることとなります。
そのパビリオンでは、僕が想像していたより過酷で凄惨な現場の映像が流れ、それでも人道支援に携わる方々の実体験の話が流れました。

その映像を観た時、僕は知らぬ間に平和ボケしていたのだと気付かされました。
戦争や災害に巻き込まれることを望む人はいません。
世界中の紛争地域や被災地で苦しむ人々のために、現場で活動をする方々の、それでも「救えなかった」という想いや苦しみ、自分自身の身も明日はどうなっているかわからない恐怖、それでも救うために起こす行動。それらに胸を打たれました。
映像が終わり、部屋を出ると同時に、僕は台湾の制作会社から振り込まれた写真使用料を全額赤十字に募金しました。
その金額は、世界を変えるには少ない額です。
ただ、個人が募金するには少なくない金額だと思います。
それに、(お金に対してこのような表現をすることを好みはしませんが)過去に撮影した写真に対する使用料なので、ある意味では「降って湧いたようなお金」です。
個人の力では世界は変えられない。
でも、できる行動をしたい。
そうした個人の想いや行動が繋がって、世界が変わってくれたら良いなと思っています。
できる範囲でね。
その日の万博を終えて、僕はすぐに台湾の制作会社へ「あなたから貰ったお金は全て赤十字に募金したよ」と連絡しました。
すると、このような返事がきました。
私はまだ万博には行けていませんが、閉幕前には必ず行くつもりです。もしその会場を見つけたら、あなたの寄付額と同額を、私も改めて寄付させていただきます。今回の台日ご縁に心から感謝しています。
(中略)
こうした寄付には、何にも代えがたい大きな意味があると信じています。
あなたのおかげで、私たちも間接的に力を届けることができました。
本当にありがとうございました。
僕は、正直台湾については詳しく知りません。
それどころか、海外に行き始めたのも最近のことです。
でもその返信メールには、台湾という国への想いも少なからず綴られており、国境を超えた今回のストーリーに対する感謝が綴られていました。
この担当者は会ったことも、行ったこともない国の人だけど、「クリエイティブを通して人を幸せにしたい」という想いの強さをお互いに分かち合い、精神的な繋がりを持てたんじゃないかなと思います。
日本人の僕が撮った写真が、巡り巡って台湾の制作会社の目に留まり、台湾のバンドの映像表現で使用され、その報酬が赤十字の元に届いて、世界中の紛争地域や被災地を支える一助となった話でした。
最後に。
その写真は、亡き祖父から譲り受けたレンズで撮影したものです。
祖父は、戦時中にシベリアへ捕虜として連れて行かれ、生還した数少ない一人でした。
直接は聞けてないけど、それは大変な生活だったと聞いています。
爺ちゃん、あなたが愛した写真の力が、ちょっとは世界を変える力になれて良かったね。

▼制作された映像(概要に同じ想いが書かれていて感動しました)
▼バンドのInstagram
▼制作会社のFacebook
