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ミタラシ小学部最終学年 -大事な先生との出会い-

結論を真っ先に言えば、私の小学校6年生はとても充実した1年になりました。5年生の途中から「あのクラスをどうにかしなければならない!」と気づき始めていた小学部の先生方。学校側はまず学部主事の先生を担任の軸に置いて、元大工の新任の先生、そしてもう1人の女性教諭をどうしようか考えたそうです。私が「脱走事件」を起こした時、声をかけてくれた隣のクラスの先生がとても明るくていい先生だったのですが、諸事情で中学部に移ることになり、私たちの担任になることができませんでした。そして最終的に決まったのが当時30歳の女性のO(オー)先生でした。私的にはそれまでほとんど関わったことがなく、本当に驚きの担任選出でした。でも実際、学校が始まってみるととても元気はあるし、私の養護学校に来る前までは普通小学校にいたため、教育能力も高い先生で気さくにしゃべれるし、結果的にすごくいい先生と出会わせていただきました。このO先生との事は本当に色んな思い出があって、このO先生の事だけで2つぐらい記事を書けるんじゃないかと思っているので、またゆっくり書きたいと思います。

6年生が始まって、早々に子供たちも含め懇談会が開かれました。5年生の時の不満が一気に吹き出した親たちは、担任が学部主事であることをいいことに、色んな要求を言い出しました。「とにかく明るい学校生活を送って欲しい。」(まぁそれは当たり前ですけどね(苦笑))とか、「普通の小学校なら社会科見学に行かせる!」とか、「修学旅行の行き先を変えて欲しい。」とか色んなことを言っていました。とりあえず担任の中に学部主事がいるので、色んな「権限」を他の先生方に比べれば行使しやすい立場ではあったので、「できるだけ善処します。」との事でした。

そこで1つ叶えていただいたのは、社会科見学。学期に1つテーマを決めて、そのテーマについて私たちは学び、調べ、研究発表みたいなことをさせてもらいました。その中で1学期はパン屋さんとパン工場、2学期はハム工場に見学に行かせてもらいました。当時の養護学校は、介助の手が少ないこともあり、「社会科見学を行う時は保護者に何人か来ていただいていいですか?」と担任の先生から依頼があり、私の母親は喜んでついて来ていました。(しかし、パン工場でもハム工場でも保護者達は商品の買い物に夢中で、後年になってから「お母さん達、社会科見学させて!って言いながら買い物にしか興味なかったじゃないですか!」と学部主事の先生に言われていました。(苦笑))私達児童は、工場見学に行くだけではなく、自分たちでパンを作ったり、ウィンナーを作ったり、実践的なこともをやらせていただきました。しかもそれを、教科学習の合間にやってくれるという先生方の素晴らしいチームワークで本当に楽しい1年間でした。

楽しかったパン工場見学!楽しい経験いっぱいの小学部最終学年になりました。


それから普通小学校でもよくやっている「生き物を飼おう!」も実践させてくださり、メダカとカブトムシをクラスで飼って毎日餌をあげて、その成長を学ぶ学習もやっていただきました。ただ、このカブトムシについてはO先生が大変な「事件」を起こしたので、またそれはゆっくり書きたいと思います。

「とにかくこのクラスを明るくしたい!なおかつ児童達の能力も向上させたい!」という3人の先生方の気持ちは熱く、私たちはどんどん学校が楽しくなっていきました。ただ2学期が始まって少しした頃、まさかのO先生が妊娠!しかもつわりがひどく、1ヶ月の休職。修学旅行の引率もできませんでした。(今なら「炎上案件」になりそう(笑))今でもO先生に会うと「卒業学年を志願して担任したのにもかかわらず、妊娠とは何事だ!」と笑い話にしていますが、当時は結構大変でした。それでも私たちをちゃんと卒業させてから産休に入りました。

その先生とは今でも交流を持っていて、(つい3日前も電話しました!)あんなに短い期間しか関わらなかったのに、こんなに心に残る先生になるとは思いもよらなかったです。いわゆる「人間として完璧な人」では全然ないけれど(苦笑)、それこそがO先生の魅力であり、私たちを変えてくれた力の源なんだと今でも思います。教師の肩書きを持つ人たちには、少し型にはまった「教師像」があるとは思いますが、そういうものを根元から覆すとても「人間らしい」先生でした。今でも時々「O先生と話したい!」と思えるのは、私が12歳の頃から「教師と生徒」の主従関係というよりは「人間対人間」として向き合って下さった先生だったからだと思っています。

この先もそうですが、私は人生の重要な節目でいい先生方に出会えてきました。そのことに本当に今でも感謝しています。

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