細胞 VS 原形質:歴史の再検討
現在ギルバート・リンの翻訳をしているが…
その影響で原形質 構想について調べていた。18世紀から様々な命名をされながら観測されていた細胞内の「命が宿る物質」を指すが、リン博士は昔の原形質構想は否定し、その後継となる新たな生物学理論(AIH)を構築した。だから旧来の原形質を調べることにあまり意味はないし、私が今並行して翻訳しているアントワーヌ・ベシャンもこの原形質構想を(両者の視点は異なるが)批判した。だから学問的正しさを求めているわけではない。
ベシャンを読めば分かるが、彼の生理学理論はグザビエ・ビシャの理論に基づいており、生気論(生物界の法則は物理界とは別という思想)者であるビシャを引き継ぐベシャンもまた生気論者ということになる。というか生命の最小単位を自身の発見したマイクロザイマスという微小生物に帰属させた時点で必然的にそうなるのだが、その生気論者の目線では「完全な物質だけを組成に持つ原形質で生命は定義できない」というのが彼の主張である。
この時点で、リンパ液特有の性質に関してはハラーとミュラーに先入観はないように見受けられる。一方、血漿をサンギニス液と同義に捉えると様相は一変する。同義としての血漿は生命や有機的構造に関する特定の構想に抵触し、即ち「生命は物質の特殊な活動形式」とする知的体系に従属する。これはビシャの教義に大いに反する。ビシャ曰く、生命は物質に直結せず、その形態と構造が規定された解剖学元素に付随する。この点、凝血現象の解剖学的・生理学的説明をする上で強調しよう。
原形質批判はこちらの記事に多い。
そんな原形質構想だが、どうやら現代でもこの構想に真理を見出す科学者は一定数いるようで、こちらの論文を発掘した。
Welch, G. R., & Clegg, J. S. (2012). Cell versus protoplasm: Revisionist history. Cell Biology International, 36(7), 643–647. https://doi.org/10.1042/CBI20120128
細菌の組成に(特にスピロヘータ)このProtoplasmの名残がある命名が見つかる。だから全く以て現代科学に影響がないわけではないし、昔と今で科学知識に整合性があるか、「思想的混沌を育み、増殖する科学に我々の精神が圧倒」されない為にも常に確認が必要である。個人的に、昔の文献を読んで誤りの箇所を(熟慮や根拠を伴わない反射的否定ではなく)指摘できなければ進歩の証拠にはならないと思うが、科学は常に改善と進歩を続けていると思い込んでいる現代人に19世紀科学の話をしても相手にされない。
だがベシャンやリン博士を読んでいると、19世紀主流派科学の致命的な観察の誤りが現代にそのまま残っていることが多い。
その一例として、リン博士の主な主張であり、現代の生理学の教科書に今尚掲載されている(何なら開始1ページ目にある)細胞膜のイオンポンプ機能がある。

(Manoj & Tamagawa, 2022)
19世紀はそもそも「細胞に膜があるかどうか」の次元で議論されていたので、その機能までは(顕微鏡の解像度の限界も相俟って)見誤っても致し方ない所ではあるが、ここまで来ると何もかもがデタラメに見えてくる。PJ曰く、これは「あらゆるものに対する不信感」という心理作戦の一環のようだが、だったら周囲にドン引きされようが徹底的に掘下げてメタアナリシスをするしかないというものだ。どうせ役立たずな専門家も教養マウントが取りたいだけの似非インテリもやらないのだから。
そんな背景で、表向き生物学の教科書には登場しない原形質について、一応は当時の科学者が挙って熱狂した概念である以上、何等かの部分的真実がある可能性を求めて翻訳しようと思う。
要旨
最近の研究は、最も基本的な次元での生命プロセスの理解を深める究極的な駆動力こと「細胞理論」の歴史的地位に、改めて一石を投じる理由を提供する。19世紀の批判的研究論文や解説書を再検討してみると、軽んじられた(且つ歴史的に悪評の多い)「生命の原形質理論」が、細胞構造や機能に関する当初の知的進歩に決定的役割を果たしていたことが分かる。
(※訳注)ちなみにベシャン曰く、パスツールは原形質論者である。19世紀は(有機化学の父こと)リービッヒを筆頭に、自然界のあらゆるものを物質と見做し、生命現象を完全な化学反応・物理現象だけで解明する唯物論の傾向にあった。従ってそれほど「評判が悪かった」わけではなく、批判が始まるのは主に20世紀に突入してからである。最小単位ことDNAを物質とし、生命現象を「物質の特殊な活動形式」と考えている現代も他人事ではない。
1.原形質の例
細胞は生命体の基本構造かつ機能的単位である。教科書には、この象徴的な(今日では陳腐な)細胞の認識は「細胞理論」の登場と共に生物科学に定着したとある。由緒ある教条[1]こと細胞理論の起源は、一般に1830年代のシュライデン とシュワン の研究にあるとされる。19世紀科学の目撃者の中には、この構想をダーウィン-ウォレスの進化論と同列に置く者もいるほどである。マザレロ の明快な歴史認識である「A Unifying Concept : The History of Cell Theory 」[2]には伝統的な見解が記され、曰く
細胞理論は生物学的問題に対する要素還元主義的アプローチの発端となった…生命単位の概念を強調し、また生物の「生ける基本単位の共和国」の概念をもたらしたのだ。
[1]Harris H. The birth of the cell. New Haven, Connecticut: Yale University Press; 1999.
[2]Mazzarello P. (1999). A unifying concept: the history of cell theory.
Nature cell biology, 1(1), E13–E15. https://doi.org/10.1038/8964
この観念の重要性は兎も角、細胞生物学の成長や、究極的には生体組織のあらゆる次元における生命の基本的プロセスの理解が深化・発展してきたことについて、細胞生物学の登場にはどんな歴史的役割が実際にあるのだろうか?
クッチェラ は最近発表した論文[3]で、生物学史上の細胞理論の優位性への不信感を仄めかし、原形質 こそ決定的な中心的概念だったと示唆している。他にも[4]、卓越した(…が長らく忘却された)「生命の原形質理論」こそ細胞の構造と機能の研究に決定的役割を果たしたと論じられている。新生の細胞理論は手放しに絶賛されたとは言い難く、生命の基本的プロセスは唯の集合住宅だと冗長に述べた上面 の認識に過ぎないと多方面から攻撃を受けたのである。「原形質」の用語は細胞の「生物質」を意味する言葉として1840年代に台頭した。1850年、植物学者フェルディナンド・コーン が
植物も動物も細胞の構築物であり、~より基本的次元において~その細胞内の空洞が原形質という共通の物質により充満している点で類似性がある
…と、包括的な立場を表明したことで名が通っている。原形質理論は、生命の物理的基盤(遺伝的基盤も含め)をこの偏在性の生物学的物質の性質に求めなければならないとした。
[3]Kutschera U. (2011). Founding fathers: The cell was defined 150 years ago. Nature, 480(7378), 457. https://doi.org/10.1038/480457c
[4]Welch, G. R., & Clegg, J. S. (2010). From protoplasmic theory to cellular systems biology: a 150-year reflection. American journal of physiology. Cell physiology, 298(6), C1280–C1290. https://doi.org/10.1152/ajpcell.00016.2010
[5]Geison, G. L. (1969). The Protoplasmic Theory of Life and the Vitalist-Mechanist Debate. Isis, 60(3), 273–292. https://doi.org/10.1086/350498
大勢の原形質擁護論者がこの観点を喧しく訴えていた。中には傑出した生理学者クロード・ベルナール (1878)(原形質こそ、あらゆる次元の生命研究のモデルだと強弁した)や、神経科学の創始者であり、後のノーベル賞受賞学者のラモン・イ・カハール (1880年の若きポスドクの彼がサラゴサの学術誌『La Clinica』に発表した最初の学術論文のタイトルは"El protoplasma "であった[6])等がいた。恐らく最も目立つ人物はトマス・ハクスリー (イギリスの「ダーウィンのブルドッグ」)とエルンスト・ハッケル (ドイツの「ダーウィンのブルドッグ)であろう。1868年11月8日にハクスリーは、エジンバラで「生命の物理的基盤について」と題する大々的な公開講演(1869年に大衆誌『The Fortnightly Review』に掲載)を行い、ここで「原形質」は文字通りに一般用語になり、科学者も非科学者も「生命の根源」としての原形質の役割に注目することになる[7]。当時の思想に関する議論はドリスデール [8]とマッケンドリック [9]参照。
[6]Iturbe, U., Pretó, J., & Lazcano, A. (2008). The young Ramón y Cajal as a cell-theory dissenter. International microbiology : the official journal of the Spanish Society for Microbiology, 11(2), 143–145.
[7]Welch G. R. (1995). T. H. Huxley and the 'protoplasmic theory of life': 100 years later. Trends in biochemical sciences, 20(11), 481–485. https://doi.org/10.1016/s0968-0004(00)89106-9
[8]Drysdale JJ(1874). The protoplasmic theory of life. London: Bailliére, Tindall & Cox; .
[9]M’Kendrick JG. On the modern cell theory. Proc Philos Soc Glasgow 1888;19:1–55.
原形質理論は「生物の単位を小嚢、大袋、箱、泡などの何かしらの包みや容器に例える伝統の決定的拒絶」を生んだ[10]。物質の形態として、また哲学的原理として、原形質は最も基本的次元での生命の機能性を象徴するものとなった。運動の勢いが増すに連れて生物学者の中にはこんな主張をする者まで登場した。
”細胞"の用語を捨てるべきである。細胞は唯の箱で原形質の塊はそうでない以上、進歩は用語の改変を求めている。
[10]Hall TS. Ideas of life and matter. Chicago: University of Chicago Press; 1969.
[11]Baker JR. The cell-theory: a restatement, history, and critique. Part III. The cell as a morphological unit. Q J Microsc Sci 1952;93:157–90.
著名な解剖学者マックス・シュルツェが1861年に発表した論文『筋小体と細胞について 』(Archiv f ̈ ur Anatomie, Physiologie und wissenschaftliche Medicin誌に掲載。筋シンシチウムの性質に関する研究)は紛れもない転換点であった。ゲイソン[5]の解説通り
この論文の発表は他のどんな出来事にも勝る生命の原形質理論の誕生を示していた。構造的根拠よりも寧ろ生理学的根拠に基づき、原形質と呼ばれる単一の物質が、全ての生体組織の単純な組織から複雑な組織まで生命活動の根底にあるとシュルツェは実証したのである。
20世紀初頭のノルデンショルドがその歴史的解説[12]で更に強調しており、シュルツェの功績は
細胞研究が構築してきた基礎に根差しており、細胞科学の新時代を象徴している。
…と公言している。
[12]Nordenskio ̈ ld E. The History of Biology. New York: Knopf; 1928.
原形質理論から19世紀後半における細胞の特質に関する広範な研究が生まれた。当初の原形質は
透明で半液体の粘性塊であり、拡張性はあるが弾性はなく、均質である。即ち、構造も目視できる組織構造もない。その中に膨大な顆粒を持ち、刺激性と収縮性を備えている。
…と、説明された。1800年代後半に光学顕微鏡や細胞の化学染色技術が着実に進歩を遂げるに連れ、細胞内部の豊富な構造体が明らかになった。原形質構成に三つの実用模型が登場した[9, 13-14](図1)。
1)網状/線維性
2)泡沫/肺胞性
3)ミクロソーム/顆粒性
[13]Butschli O. Investigations on microscopic foams and on protoplasm. London: A & C Black; 1894.
[14]Seifriz W. Protoplasm. New York: McGraw-Hill; 1936.

光学顕微鏡で写した様々な細胞型のスケッチ-人工的な泡状の乳剤との比較
原形質の「生きている」部分は「生体染色」~経験的用語だが、20世紀になっても実験的細胞生物学の用語として定着した~の分析に依拠していた。原形質の目に見えて活動的な部位には、派生して接尾辞に"~プラズム "がついた命名がされた。例えば「エルガストプラズム は後に「小胞体 」として同定されるものに適用された用語である。サイトプラズム (細胞質)やヌクレオプラズム (核質)などの現代の細胞生物学の用語はその時代の名残である。原形質研究はコロイド化学などの領域の進歩と共に、生体内の水性状態の特徴に対する永続的関心を生み落とした[13-17]。20世紀後半に繰り広げられる細胞水の本質に関する議論は、これら初期の研究の遺産でもある[18,19]。
[15]Heilbrunn LV. The colloidal chemistry of protoplasm. Berlin: Gebruder Borntraeger; 1928.
[16]Gortner RA. The state of water in colloidal and living systems. Trans Faraday Soc 1930;26:678–85.
[17]Frey-Wyssling A. Submicroscopic morphology of protoplasm and its derivatives. Amsterdam: Elsevier; 1948.
[18]Clegg JS. Properties and metabolism of the aqueous cytoplasm and its boundaries. Am J Physiol Regul Integr Comp Physiol 1984;246:R133–51
[19]Chaplin M. Do we underestimate the importance of water in cell biology? Nat Rev Mol Cell Biol 2006;7:861–6.
19世紀後半の生物学者は「生命の根源」を細胞の固体や液体の"Plasms"に適用するだけで満足しなかった。当時の物理学と同じく、生物科学は無情にも原子論的基盤へと向かったのである。分子的原形質理論の波が押し寄せ、生命の物理的基盤は「バイオゲン 」「ゲミュール 」「イディオソーム 」「プラソーム 」「パンゲンス 」等の名が続く"生きた粒子"の集合体と想像された[9]。20世紀初頭にグレゴール・メンデルの研究が(再)発見されたことで近代遺伝学が誕生すると、生物学の原子論的焦点は主に「生殖質 」へと移行し、原形質"粒子"の大群は一掃され、新たな単位:遺伝子 へと置き換わったのである。
19世紀末までに「生体分子」という生理学構想が支持を受けたことで、科学界における原形質理論の信頼性の限界が徐々に狭まり、「抽象主義」「蒙昧主義」、果ては「生気論」などの批難が物理界から寄せられた[6]。更に、(ウルシュライム などの俗称がついた)原形質構想は細胞構造や機能の範囲を超えて拡張し、原始生命や生命自然発生説、個体発生論等の論争の的となる話題に関連付けられるようになる。生化学と酵素学という新しい科学は、試験管内物理化学の強固な基盤の上に築かれ、細胞内で起こっているプロセスについての洞察をもたらしていた。生化学のパイオニアであるフレデリック・ホプキンズは19世紀末の過渡期を代表する批判者であり、
原形質複合体という漠然とした概念、その中で発生する謎に満ちる理解不能な疑似化学現象
Sir F G Hopkins’ teaching and scientific influence.
In J. Needham & E. Baldwin (Eds.),
Hopkins & Biochemistry, 1861-1947: Papers Concerning Sir Frederick Gowland Hopkins, O.M., P.R.S., with a Selection of His Addresses and a Bibliography of His Publications (pp. 27–38).
W. Heffer.
…と、批判した。20世紀初頭には「原形質」の使用頻度自体が減少し始めたが、それはその古臭い生気論的な考えに加えてより重要なこととして、細胞(原形質)組成の複雑性へ益々還元主義的な焦点が充てられた為である。
通時的な歴史目線で100年ほど前を振り返ると、19世紀のイデオロギー的坩堝 を生き残ったのが原形質理論ではなく細胞理論であった理由が恐らく掴めるだろう。確かに細胞は生命の基本的な物理的、化学的、遺伝的プロセスの"集合住宅化"に過ぎないが、物理的実体として具体的で、光学顕微鏡で容易に識別可能であり、全ての生命体が共通に持っている。当時、「細胞」は「原形質」よりも対象化可能(かつ安全)な哲学的構成物だと証明されると共に「生体物質」の定義における曖昧さや、原形質構想に関連する「生命とは何か」という全体論的な疑問への関与があった為である。最も確実なのは、当時の細胞生物学者は細胞操作の多くが「ブラックボックス」だと認識していたが、物理化学的分析の進歩が何れその姿を明らかにするだろうという大きな確信があったことである。今日では、1世紀前よりも細胞の構造や機能に関する遥かに多くの知識があることは言うまでもないが、原形質理論の時代にまで遡るような細胞微細構造の究極的な超顕微的形態に関するもどかしい問題が残っている[3]。
2.エドウィン・B・ウィルソンの予測
2000年に新たなミレニアム期の幕開けを祝福として、ハイルブロンとバイナム[21]が科学史のパノラマ的な「ミレニアムハイライト」の概要を紹介した。著名な生物学者E.B.ウィルソンの権威を引用し、著者らは「1900年に細胞は発生、遺伝、機能、他多くのことの中心に真正面から位置付けられた」と記している。伝説的で先見の明のある科学者ウィルソンは「米国初の細胞生物学者」と認められる(図2)。彼の不朽の書籍「発生と遺伝における細胞 」[22]は3版を重ね(1896, 1900, 1925)、1,000頁以上の超大作となり、20世紀細胞生物学の歴史上最も影響力ある論考の一つと多くの人々に考えられている。ウィルソンは、19世紀後半に始まる原形質構造の様々な見解を、細胞学領域における新たな経験的事実と共に解決し、将来に繋がる細胞の構造と機能分析の舞台の大半を設立した。その細胞生物学における生涯の功績を称えるアメリカ細胞生物学会は、毎年科学界の最高の栄誉としてE.B.ウィルソンメダルを授与している。実際、今日の細胞に関する考え方を確立した点で、歴史的にウィルソンの特別視は相応しいことである。
[21]Heilbron JL, Bynum WF. Millennial highlights. Nature 2000;403:13–6.
[22]Wilson, E. B. (1925). The cell in development and heredity (3rd ed.). Macmillan.

ウィルソンの大著『発生と遺伝における細胞 』は、確かに細胞理論を全面的に検証したものである。しかし、冒頭のページには次のような主張がある。
先ず始めに「細胞 」という用語は生物学上の誤用だと明確に認識せねばならない。この用語が仄めかす"固い壁に囲まれた空洞の部屋"の形態を細胞が取ることは滅多にない為である。この用語は、17世紀の植物学者が、ハチの巣を思わせる外観をした植物組織にある構造を示す為に何気なく採用した言葉が歴史的に生き残ったものに過ぎない。.... だがこの用語が根強く定着した為に、相応しい単語に代替するあらゆる努力が失敗に終わり、恐らくは確立された科学用語の一部として受け入れなければならない。
更に踏み込む著者は以下のように主張する。
本質的に細胞は原形質の微細な塊である。…幸運にもハクスリーが「生命の物理的基盤」と特徴化をしており、現時点で全ての生命活動の直近の土台と普遍的に認識されている。
冒頭からウィルソンは作戦上の注目の的として読者を原形質へ向かわせている。
ウィルソンは、1922年にボストンで開催された第一回セジウィック記念講演会でハクスリーを絶賛しつつ、「大切な友人」ウィリアム・セジウィック(彼の生涯に渡る習慣は、原形質の活動から生命現象を考察すること)に向けて捧げた追憶的な講演「生命の物理的基盤」を行った。ウィルソンは、自身とセジウィックがイェール大学の学部生だった頃に1869年のハクスリーの論文に「虜にされた」と語る。また、彼は
原形質問題は、時が過ぎても衰えを知らぬその求心力で以て未だに我々の心を鷲掴みにしている。
と語り、目下の課題は、19世紀の教訓を「より現代的な言葉で再構成する」ことであると述べている。ハクスリーの著作がウィルソンの思考に深く個人的な影響を与えたことは、彼の教え子や同僚の回想からも明らかである(図3)

1915年、後にショウジョウバエのX線突然変異の研究でノーベル生理学・医学賞を受賞するハーマン・J・マラーは、コロンビア大学で博士号取得のための口頭試問を受ける前夜、恩師であるE.B. ウィルソンと対峙していた。
当時ウィルソンはコロンビア大学生物学部長であり、マラーはコロンビア大学での多くの時間をモルガンのハエの研究室で過ごしていたが、彼が助力を求めて頼ったのはウィルソンであった。ナーバスになっていた学生を落ち着かせようと、ウィルソンは34年前、ジョンズ・ホプキンス大学で博士号の口頭試問を受ける前夜に見た夢を語った。
ウィルソンによると、彼の夢は、黒板の前の教壇に立ち、カーテンの向こうで口述試験を心待ちにしているところから始まった。カーテンが引かれると、彼の前に試験官が現れた。講堂の最前列には、トーマス・ハクスリー、エルンスト・ハッケル、チャールズ・ダーウィンが座っていた。
ウィルソンは切り出す。
「私は、生命とは何かという問いの解答を持っているのです。」
彼はチョークを手に取り、背後の黒板に近づいて大きな三角形を描いた。そしてその隣に小さな三角形を描き、その辺にa、b、cとラベルを貼った!そう言うと、チャールズ・ダーウィンは帽子を脱いで空中に放り投げ、こう叫んだ!
「やったね、君!」
3人の試験官全員が演壇に近づき、彼を祝福した。
マラーは後に、彼にとって最も驚くべきことは、E.B. ウィルソンが生命における相補性の根底にある重要性を直感的に理解していたことであったと述べている。
ウィルソンが「生命の秘密」である相補性の役割への傾倒と共に、古典的な形態-機能の生物学的二項関係が細胞理論と原形質理論の和解に捧げる彼の核心にあったのではないかと推測される。そうした推測はさて置き、敢えて言えば、これら二つの教義の歴史的共存に影響する超越的課題である。長い間、議論は細胞説と原形質説を相補的なものとしてではなく、一方的な支配関係として扱う傾向があった。この視点に照らせば、形態が機能を規定するのか、機能が形態を駆動させるのか?前者のスタンスを優位とするのは、細胞理論の歴史的重要性を信じるも同義である。この立場を支持する方々には失礼ながら(申し訳ないが)、我々は後者を支持し、科学史の修正主義を主張しよう。19世紀は、生物学的マクロスケールでは自然選択による進化論を生み出し、ミクロスケールでは生命の原形質理論を生み出したのだと提唱する。
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