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第2回:読書はちょっとした「黒船」だ――異質性とAIについて


生成AIは、人類がかつて生み出したどのようなツールよりも知性的であり、圧倒的な利便性を我々に提供している。膨大な知識のデータベースに一瞬でアクセスし、散逸した情報を論理的に整理し、極めて精度の高い要約や文章の作成をやってのける。その情報処理能力と構築力において、AIは間違いなく比類なき外部「知性」である。

しかし、その完璧に見える知性の出力プロセスには、ある構造的なバイアス
が不可避に内在する。
第一回ではそれを、企業や開発者の意向によって知性が閉塞される危険性として論じた。
今回は、生成AIの回答における「当たり障りのなさ」が、人間知性にいかなる影響をもたらすかを考えてみたい。

今日、我々が愛用する生成AIの回答に、誰しもがどこか物足りなさを感じたことがあるだろう。
内容に少しでも刺激的な方向性が含まれると、AIはたちまち無難な方向へ回復を図り、注意書きを加え、批判を添える。あるいは、我々が気づかないうちに、毒気を抜かれた回答ばかりを与えられている。

つまり、AIの回答として得られる知識は、原典が本来持っていた過激な思想、極端な偏り、現代の倫理観にそぐわない表現、あるいは理解しがたい情念といった「異質なもの」が、アルゴリズムと安全基準によって濾過された後の知識なのである。

商業的に展開されるAIは、巨大プラットフォームのコンプライアンスやマス向けの安全基準に縛られているため、少しでも論争を招くような尖った思想は、即座に平滑化される運命にあるのだ。AIは答えを整然と提示するが、その過程で情報の「異質性」を巧妙に削ぎ落としているのである。

ここで私が言う「異質な知性」とは、単なる「未踏の知識」や「知らない情報」のことではない。自分とはまったく異なる時代、信仰、価値観を生き抜いた人間の、「精神の結晶」に触れることである。

たとえば、古代人が夜空に見出した神話的な宇宙観や中世の僧侶が抱いた狂気すれすれの信仰心。
或いは、近代思想家が構築した異常なまでに緻密な論理体系や、革命家の血を吐くような怒りなど。

これらは、現代のフラットな価値観からすれば、明らかなノイズであり時には理解不能で不快なものですらある。しかし、この「偏り」や「狂気」「不可解さ」こそが、情報の「異質性の純度」なのである。情報とは本来、そうした発信者の血肉と時代背景がこびりついたドロドロの原液であるはずだ。

そもそも人間は、そういう異質な他者との交流によって自分を更新していく生き物である。だが現実上における人の交友範囲にはどうしても絶対的な限界があり、それを克服するために人は読書を以て臨んできた。
古代の日本人も漢籍を読み、また古代ローマ人もギリシャの文化に触れた。

一見、時代や土地、言語という強固な壁に囲まれている人々であっても、読書によればあらゆる時代、場所の異質な知性と向き合い、これを吸収することができたのである。

そういった異質な知性を取り込むのは、古代日本やローマ人にも等しい、普遍的な人間の精神発展の力なのだ。

かつて、太平の眠りをむさぼっていた江戸期の日本が、ペリーの率いる黒船という圧倒的な「外部」からの衝撃によって目を覚まし、国のかたちを根本から変えざるを得なかったように、読書とは、一人の人間の内部に「黒船」を呼び込む行為といえる。
それは平穏な精神の鎖国状態を打ち破り、自分という閉じた世界に、まったく異質な他者の精神を上陸させる体験である。
この経験なくして、人の精神は既存の枠組みを超えることはできないのである。

ここで再び、AIの特性に目を向けてみよう。もちろん、AIに「ニーチェの思想について教えてくれ」と頼めば、彼らは瞬時に完璧な要約を返してくる。知らないことを学ぶツールとして、これほど優秀なものはない。しかし、それはあくまで「異質性の濾過装置」を通したあとの、安全な蒸留水である。AIは膨大なテキストを読み込み、整理し、我々が理解しやすい形に加工して出力する。

だがその加工の過程で、ニーチェの原著にあったはずの、読者を突き放すような傲慢さ、危険性といった純度の高い異質性の濃い「毒」は、AIが勝手に中和してしまう。

過激なものは無難な表現に置き換えられ、極端な思想はバランスの取れた一般論へと丸め込まれる。同じ情報を扱っていながら、そこからは血の通った人間の「業」のようなものが周到に排除されているのだ。
その回答は、もはや異質な知性たり得ない。

よって、我々がAIから知識を得るとき、その情報は常に「異質性の純度が極限まで下げられ、安全なフィルターを通された結果」であることを、決して忘れてはならないのだ。

人間の思考の枠組みというものは、そういった同質で安全な情報、心地よい意見にだけ囲まれている状態では、決して変化したり成長したりすることはない。
人間の精神の飛躍は、常に「自己と矛盾する他者」との衝突によってのみ引き起こされる。自分自身の常識や価値観、生活感覚と真っ向から対立する、過激で異質な他者とぶつかり、強く反発し、理解できずに混乱し、時に怒り、時に圧倒的に魅了される。
その生々しい格闘の果てに初めて、己の枠組みを疑い、古い自分を壊し、新たな思考へと変形させることができるのだ。同質で予測可能なものに囲まれていれば精神は安寧を保てるかもしれないが、そこからは何一つの飛躍も生まれない。

AIは確かに便利であり、知識を効率よく獲得するための最良のシステムである。しかし、それだけでは人間の精神は飛躍しない。人間を根本から変容させるのは、綺麗に整えられた無菌状態の情報ではなく、勝手なカットや加工が一切施されていない「異質な知性」との衝突である。

AIがすべての情報を無菌化し、当たり障りのない答えへと整える時代にあって、読書はなお、我々の精神のど真ん中に「黒船」をぶつける有効な手段である。
その衝撃を恐れず、フィルターを通さない異質性の原液を飲み干し、先人たちの過激さや怒りと格闘する者だけが、システムに隷属するNPCから抜け出すことができる。彼らこそが、AI時代においても自分自身の確固たる思考を持ち続けるのである。

執筆:田中 輝元
   蜜蜂書房編集

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