見出し画像

温故知新(109)崇峻天皇(厩戸皇子) 赤坂天王山古墳 叡福寺 達磨寺 龍田神社 中山寺 奥の院 アルテミス神殿 甲斐の黒駒 駒塚古墳 シラクサ

 聖徳太子(厩戸皇子)の墓を祀る叡福寺(大阪府南河内郡太子町)、聖徳太子片岡山遊行説話に登場する達磨大師の達磨寺(奈良県北葛城郡王寺町)、聖徳太子が創建した龍田神社(生駒郡斑鳩町)を結ぶラインは、ほぼ直線上にあり、このラインは、崇峻天皇陵アルテミス神殿を結ぶラインとほぼ直角に交差し、交点付近に達磨寺があります(図1)。崇峻天皇陵は、考古学的には古墳と認められていませんが、その場所には金福寺という寺があり、堂内には崇峻像と太子像が祀られていたことが知られています1)。

図1 崇峻天皇陵、龍田神社、叡福寺を結ぶ三角形のライン、崇峻天皇陵とアルテミス神殿を結ぶラインと達磨寺

 第32代崇峻天皇の陵墓と推定される赤坂天王山古墳(奈良県桜井市)とアルテミス神殿を結ぶラインは、中山寺 奥の院(兵庫県宝塚市)の近くを通ります(図2)。中山寺 奥の院は、聖徳太子によって創建された日本最初の観音霊場とされています。このラインは、聖徳太子(厩戸皇子)が崇峻天皇と推定されることと整合します。

図2 赤坂天王山古墳、龍田神社、叡福寺を結ぶ三角形のライン、赤坂天王山古墳とアルテミス神殿を結ぶラインと中山寺 奥の院

 叡福寺北古墳(聖徳太子磯長墓)と、聖徳太子を乗せて富士山を登る黒駒飛翔説話などの伝説がある愛馬、黒駒の墓とされる駒塚古墳(奈良県生駒郡斑鳩町)1)を結ぶラインは、赤坂天王山古墳とシラクサを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図3)。

図3 赤坂天王山古墳、叡福寺北古墳(聖徳太子磯長墓)、駒塚古墳を結ぶ三角形のライン、赤坂天王山古墳とシラクサを結ぶライン

 ただし、駒塚古墳の築造時期は4世紀後半と推定され、聖徳太子の黒駒の伝承と古墳の築造時期は対応しないようです。甲府市塩部の塩部遺跡の方形周溝墓から4世紀後半の馬歯が、甲府市下向山町の東山北遺跡の方形周溝墓からは4世紀末の馬歯が出土しています。また、近年は古墳前期にあたる大阪市の西岩田遺跡や八尾市の亀井遺跡などでも最古級の馬遺体が出土しています(Wikipedia:甲斐の黒駒)。

 甲斐の黒駒牧跡(山梨県笛吹市)と駒塚古墳を結ぶラインは、聖岳(長野県飯田市)の近くを通り、赤坂天王山古墳とスカラ・ブレイを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図4)。赤坂天王山古墳とスカラ・ブレイを結ぶラインの近くには、石清水八幡宮(京都府八幡市)があります(図4)。駒塚古墳は、甲斐の黒駒と関係があると推定されます。

図4 赤坂天王山古墳、甲斐の黒駒牧跡、駒塚古墳を結ぶ三角形のライン、赤坂天王山古墳とスカラ・ブレイを結ぶラインと石清水八幡宮

 丁未の乱で、聖徳太子(厩戸皇子)が、蘇我馬子と共に物部守屋と戦い滅ぼしたという話は創作と考えられます。

文献
1)大山誠一(編) 2003 「聖徳太子の真実」 平凡社