温故知新(89)多氏 オシリス 多坐弥志理都比古神社 出雲大社 メンフィス 角田遺跡 マラケシュ 備前車塚古墳 アビドス 和珥氏 イシス
多氏とオシリス
多氏は、神武天皇の子の神八井耳命の後裔とされ、『古事記』によると、多朝臣、意富臣、小子部連、坂合部連など中央豪族で繁栄した系統、火君(火国造)、大分君(大分国造)、阿蘇君(阿蘇国造)、筑紫三家連、雀部臣、雀部造、小長谷造、伊余國造など九州を中心に繁栄した系統、科野国造、道奧石城國造、常道仲國造、長狭国造、伊勢船木直、尾張丹波臣(丹羽県主)、嶋田臣など東国に繁栄した系統があり、国造や県主になっている例も多くあります。
「多氏」の名前と関係があると推定される「おおいぬ座」にある「シリウス」には、古代エジプトで豊穣をもたらす女神「ソプデト」として崇められた歴史があり、これが後にギリシャ神話の「オシリス神」と結びついたという説や、おおいぬ座自体がオリオンの猟犬であるとされる神話があります。『古事記』の作者の太安万侶は多氏の一族で、出雲神話の因幡の白兎や、鵜茅草不合命の段にある鮫(わに)は、和珥氏をで暗示していると推定されます。オシリスという名は、エジプト語でos-は「多い」、-iri-は「目」を意味するようです1)。多氏一族のまつる多坐弥志理都比古神社(おおにますみしりつひこじんじゃ)の名前も、オシリスと関係があると推定されます。
出雲大社とメンフィス
丸谷憲二氏は、熊山遺跡(岡山県赤磐市)の階段ピラミッド状構造物と中央アジアのタジキスタン共和国にあるヴァン仏教遺跡の類似性を指摘しています。また、新疆ウイグル自治区北部のイリ・カザフ自治州からカザフスタン南西部のアルマトイ州 にかけて流れるイリ川と、岡山県備前市を流れる伊里川を関連付けています。伊里川とメンフィス博物館を結ぶライン上に、イリ川があります(図1)。このラインは、備前国一宮 石上布都魂神社(岡山県赤磐市)、磐船神社(島根県安来市)、出雲大社(出雲市)の近くを通ります(図1、2)。


磐船神社や石上布都魂神社の祭神の須佐之男命(孝霊天皇と推定)は、レイラインでメンフィスと関係付けられています。また、崇神天皇と関係があると推定される法隆寺は、メンフィスとレイラインでつながっています。崇神天皇(御間城入彦五十瓊殖天皇)や垂仁天皇(活目入彦五十狭茅天皇)の「イリ」と同様に、イリ川や伊里川の「イリ」も、オシリス(os-は「多い」、-iri-は「目」)と関係があると思われます。
角田遺跡と出雲大社
鳥取県淀江町にある弥生時代中期の角田遺跡から出土した土器には、ゴンドラ型の船とそれに乗る頭に羽を付けた人物や、高い建物が描かれています(図3)。頭の羽飾りはオシリスの象徴で、プルタルコスによると、オシリスは大地から最も遠いところにあり、清浄にして汚されず、人間の魂が、清浄の世界に行くとその魂を支配するとのことです1)。大国主命を祀る出雲大社(島根県出雲市)は、かつて高さが48メートルもあったと言われていますが、高く作られたのは、このためかもしれません。

石上布都魂神社とマラケシュを結ぶラインの近くに角田遺跡があります(図4)。角田遺跡と野呂山のかぶと岩(広島県呉市川尻町)を結ぶラインは、聖滝(鳥取県日野郡日南町)の近くを通り、石上布都魂神社とメンフィス博物館を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図4)。石上布都魂神社とメンフィス博物館を結ぶラインの近くには、出雲大社があります(図4)。このラインは、角田遺跡と出雲大社を関係付けていると推定されます。

アビドスと備前車塚古墳
アビドスは、冥府の神オシリス信仰の中心地として知られています。孝元天皇(大国主命と推定)の陵墓と推定される備前車塚古墳とアビドスを結ぶラインは、大山祇命、豐玉彦命、大己貴命を祀る木野山神社奥宮(岡山県高梁市津川町)、大己貴神社(高梁市高倉町)、荒戸神社(新見市哲多町)、石神神社(島根県雲南市)、立神岩(大田市)の近くを通ります(図5)。このラインは、孝元天皇(大国主命と推定)とオシリスを結び付けていると推定されます。

オシリスは、弟のセトに殺された後、妻のイシスによって復活させられたと伝えられていますが、大国主命も神話のなかで復活しています。もともとオシリスは、植物の再生を司る神で、ナイル川の氾濫と作物の成長を結びつけて考えられていました。大国主命は植物的な力の神ともいわれています。
大国主命(孝元天皇と推定)とオシリスは兎でつながっていると推定されます。多氏(オシリス)は和珥氏(イシス)と結婚することが重要だったとすると、継体天皇が和珥氏の手白香皇女を皇后としたとされていることが理解できます。
文献
1)プルタルコス著 柳沼重剛訳 1996 「エジプト神イシスとオシリスの伝説について」 岩波文庫
