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本能寺の変 1582 信長の台頭 8 306 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

信長の台頭 8 三好の衰退 

信長は、戦わずして於久地城を手にいれた。

 同年、夏の終わり頃。
 工事は、着々と進んでいる。
 於久地城の豊後守は、それを遠目で見ていた。
 無言の威圧。
 そして、調略の手が伸びた。

  小真木山の並びに、御敵城お久地と申し侯て、
  廿町(≒2km)計り隔てこれあり。
  御要害、ひた々々と出来(しゅったい)候を、見申し侯て、

 豊後守は、身の危険を感じた。
 城を捨て、逃亡。
 犬山城へ。

  (信長の)御城下の事に侯へば、拘へ難く存知、
  渡し進上侯て、御敵城犬山へ、一城に楯籠もり侯なり。
                          (『信長公記』)

 稲葉山の竜興は、動かない。
 犬山、鵜(う)沼・猿啄(さるばみ)。
 心中、穏やかならず。


          ⇒ 次回へつづく


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