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【自己紹介】「お仕事は?」に答えられなかった私へ。50代から始める「じぶん育て」。

わたしが発信する理由

自分の居場所と自信を、自分の力でつくりたい。

そう書くと大げさに聞こえるかもしれないけれど、やっていることは手探りの小さなことばかりです。

うまくいかない日も、何が正解かわからない日もある。

このnoteでは、その途中をそのまま書いていきます。

「主婦です」という、小さな嘘

台湾に暮らして27年。ミツコです。

数年前、大切な存在との別れが重なりました。長い間しまい込んでいた哀しみが一気にあふれ出て、心が大きく揺れた。

その心理ストレスが引き金となって、自己免疫疾患である関節リウマチを発症。哀しみに加えて、治らない病気を抱えた不安、仕事へのストレスが重なり、ついに働くことが難しくなりました。

退職して仕事のストレスからは解放されたものの、療養中に症状はさらに悪化。日常の動作さえままならない日が続きました。

収入がない状態で高額な生物学的製剤の治療を家族に負担させたくない。けど、保険適応の薬は効かない。このまま一人では何もできなくなるのかもしれない…..そんな考えばかりが頭の中を占めていた時期がありました。

箸も握れない時期は、食事を小さく切ってもらったり、何から何までやってもらっていました。
ある時、せめてこれくらいはとわたしが洗濯かごを洗濯機へ持っていこうとしたら、夫がさっと横からかごを奪って服を入れてくれた。

「ありがとね」と言うと、
「手、痛いでしょ。無理しちゃだめ」と返ってくる。

家族は何も責めません。いつもずっと優しい。
けれど、その優しさが胸に刺さるというより、ふとした瞬間に「何もできない自分でごめんね」と、申し訳ない気持ちが湧いてくるのです。

家族以外に、本当の事情を知っている人はほとんどいません。
だから、久しぶりの知り合いから「最近どうしてるの?」と聞かれることや、初対面の人に会う時は本当にしんどかった。

台湾の女性はほとんどが働いています。
わたしの年齢で「主婦」というと、悠々自適だと思われることも多くて、それがなんだか嫌だった。そう思わせておくしかなかった。

「お仕事は?」と聞かれたら、
「主婦です」
そう答えるたびに、小さな嘘をついている気持ちになりました。

肩書きがない。所属もない。
「わたしはこれをやっています」と胸を張って言えるものがない。
社会の中で自分の立ち位置がわからなくなっていた時期がありました。

自分の心を知りたかった

絶望の中で、ひとつだけ湧いてきた問いがありました。

「わたしの心には、一体何が起きているんだろう」

知りたい。

ただそれだけの気持ちで、グリーフケア(大切な存在を亡くした悲しみに寄り添うケア)や心理学を学び始めました。

そこで知ったのは、自分の心は自分で調えていけるかもしれない、ということでした。

それまでずっと、その哀しみに触れるのが怖かった。
蓋をしておかないと壊れてしまう気がしていた。

けれど、心が揺れても自分で立て直す方法がある。
その安心感が、哀しみを少しずつ受け止める力になりました。

グリーフケアの学びはもうひとつ、大きなことを教えてくれました。

病気もまた一種のグリーフだということ。
昔の自分を失うことだから。

最初は「辛い」しかなかった。
痛い、不自由、治らない。
いいことなんてひとつもないと思っていました。

そのうち、少しずつ別の面が見えるようになった。
手が痛いから、家事を無理にしなくていい。
体がしんどいから、家族がいたわってくれる。

病気になったからこそ受け取れているものが、実はいくつもあった。

そう思えるようになってから、病気への向き合い方が静かに変わっていきました。

不思議なことに、症状も少しずつ落ち着いていって、今は寛解を維持しています。マインドが変わったからなのか、たまたまなのか、薬のおかげなのか、正直わかりません。それでも、わたしは心の力だと信じています。

起きたことは変えられない。
でも、どう捉えるかは、自分で選んでいいんだ。

この経験が、今のわたしの土台になっています。

「えいやっ」で始まった挑戦

できることに目が向くようになり、自分の心を客観的に見つめられるようになるにつれて、心の中に少しずつ余白が生まれてきました。

暗い海に沈んでいたような感覚から、ようやく息ができる場所まで浮上してきたような、静かな安心感。

その余白に、ある思いが芽生え始めました。

「役に立ちたい」

わたしがもがきながら見つけた、心を調えるすべ。この経験が、どこかで同じように立ちすくんでいる誰かの支えになるかもしれない。

そんなふうに前を向き始めていた頃、あるオンライン講座の先生の募集文を目にしました。

まだ完成していないコースを、「完成を待っていたらいつになるかわからないから、始めちゃいます!」と受講生募集していたのです。

えっ、完成してなくても始めていいの?

その潔さに背中を押されて、ポチッと申し込んでいました。

これなら、体調に波があっても在宅でできる。
わたしにもできるかもしれない。
思い切ってオンライン講座作成のコミュニティに飛び込んだことで、わたしの世界はどこまであるのか見えなくなるくらい、大きく広がりました。

Udemyでの講座づくりへの挑戦は、そうやって始まったんです。

ただ、のめり込んで作るほどに、現実的な不安もよぎりました。

「肩書きも何もないただの50代のおばちゃんが講座を出したところで、誰が信用して買ってくれるんだろう」

そこで、自分の発信拠点としてnoteのアカウントを開設しました。
いつか講座ができあがったときに、少しでも知ってもらえる場所、告知できる場所をつくっておきたかったからです。

看板を降ろした日

ところが、ここで壁にぶつかります。

noteを始めるとき、発信の軸を「こころのセルフケア」に据えて、それらしい肩書きもつけました。心理学やセルフケアを学んできた背景がある。だから、「知識がある人」として発信するのが自然だと思ったのです。

でも、書けない。

書きたいことはあるのに、テーマに沿わせようとすると手が止まる。
台湾での暮らしのこと、講座づくりの裏側、日常の小さな挑戦…..どれも「これってセルフケアの話?」と、自分で自分にブレーキをかけてしまう。

この違和感を、ずっと抱えていました。

最近、ようやくその正体に気づいたんです。

等身大の自分とは違う場所から、無理に発信しようとしていた。

教える立場ではなく、試している立場。
完成した答えではなく、探している途中の言葉。

そう認めた途端に、ずっと自分の中にあった言葉が、発信の軸にすとんと収まりました。

肩書きが欲しいとか、お金を稼げる役目が欲しいとか、本当はどうだっていい。 その一方で、肩書きも役割もお金も、ぜんぶ手に入れたいと願っている自分もいる。

どっちも本当の気持ち。
その揺れ動く本音の奥底で、わたしが一番欲しかったもの。それはきっと、「ありのままの自分の居場所」と、「今のわたしでいいんだ」と思える確かな自信でした。

セルフケアも、紫微斗数(しびとすう/東洋占術)も、台湾での暮らしも、講座づくりへの挑戦も、ぜんぶひっくるめて、そのままのわたしを育てていくこと。

それが、わたしの「じぶん育て」です。
最初からそこにあった言葉が、ようやく真ん中にきました。

まだ何者でもない今

正直に書きます。

Udemyの講座はまだ完成していません。
収録した自分の声に違和感しかなくてボイストレーナーの先生にお願いしたり、カリキュラムを作り直したりと、もがきながら試行錯誤の連続です。

noteも定期的に更新できていない。
承認欲求のようなものに戸惑ってスキの数が気になったり、SNSという異世界で迷走してブレブレになった時期もありました。

紫微斗数にもどっぷりハマっています。
自分の傾向を知り、迷ったときの道標になってくれるこの占術に、ライフワークにしたいと思えるほど惹かれました。友人から頼まれて鑑定する機会も増え、4月からは台湾流派の先生のもとで学ぶことに決めた。

何をどの順番で進めるべきか、未だに手探りです。

それでも、一つだけはっきりと覚悟を決めたことがあります。

去年の年末、わたしは思い切って夫にこれからの「事業計画書」を提出しました。

Udemy講師に挑戦することは話していたけれど、趣味ではなく、収入が欲しい。外で働けなくなったって、家でできること、わたしにできることで稼いで、今まで優しく受け入れてくれた夫に恩返しをする。わたしが夫を養うくらいの気持ちでやる。

そう決めたんです。

そして先日、冬季オリンピックを観ていたときのこと。
スタート前のアスリートたちの表情。
不安に揺れる目、ぐっと息を飲む横顔。
画面越しなのに、こっちまで息が詰まるような緊張感。
そして競技を終えたあとの涙。

その姿を見て、「わたしもやる」と思った。
やりたい、じゃなく、やる。
そう決めた瞬間だった。

自信は、まだない。
でも、自信がつくまでやり続ければいい。

準備と試行錯誤の1年を経て、そう思えるようになったことが、今のわたしの確かな一歩です。

あなたへ

ここまで読んでくれて、ありがとうございます。

「お仕事は?」に口ごもってしまう人。
体や暮らしが変わって、前の自分のやり方が通じなくなった人。
自分に何ができるのか、まだ見えていない人。

わたしも、同じところにいます。答えはまだ途中です。
でも、居場所と自信を、自分の手でつくっていこうとしています。

心の中にどうしようもない哀しみを抱えて、心が動かなくなって、家族にもしんどい思いをさせていたあの頃。
自分の心は自分で調えることができると気づいたところから、すべてが始まりました。

気づきは、少しずつわたしを変えていきました。
瞑想中に邪魔をするからと腹を立てていた家族に、「どうしたの?」と声をかけられるようになったとき。
自分のごきげんが、周りのごきげんにも伝わっていくと実感したとき。

「まず、わたしがごきげんでいること」
ようやく、そこに腹落ちしました。

気づきは幸せの種。
幸せは繋がり、広がっていく。

これがわたしの信じていることです。
このnoteでは、その「じぶん育て」の日々をそのまま綴っていきます。

セルフケアのこと。
台湾での暮らし。
講座づくりへの挑戦。
紫微斗数のこと。
新しい学び。
日常の中の小さな一歩。

どれも、ありのままの自分を育てている途中です。

よかったら、一緒に「じぶん育て」していきませんか。



最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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