「慣れ」は感動を奪わない|台湾のマンゴーがくれたごきげんのヒント
台湾の夏になると、市場には鮮やかなマンゴーが山のように並び始めます。
その香りを感じるたびに、「ああ、今年もこの季節が来たな」って思います。
先日、日本にいる家族から「マンゴー届いたよ、ありがとう」と連絡がありました。
そして、ふと気づいたんです。
── そういえば、今年はまだ自分の分を食べていなかったことに。
人に贈って満足して、自分ではまだ味わっていなかったことが、少し不思議に感じられました。
人に贈って満足して、自分ではまだ味わっていなかったことが、少し不思議に感じられました。
かつては「一大イベント」だったもの
台湾に暮らし始めたばかりの頃、夏のマンゴーはちょっとした“イベント”のような存在でした。
市場に並ぶ南国の果実を見るたびに、「この国に住んでいるんだな」と実感したものです。
日本では高級な印象のあるマンゴーも、こちらでは季節の定番。
それだけで、暮らしが豊かに感じられて、買いに行くのが楽しみでした。
初夏になると、「今年のマンゴーはどうかな?」と期待しながら店を回ったり、ネットで箱買いしたり。
部屋いっぱいに広がる香りに包まれて、そのひとときをゆっくり味わう。
そんな時間が、夏の始まりを感じさせる小さな儀式のようでした。
変わってきたマンゴーとの距離感
ところが近ごろは、「いつでも買えるし」と思って後回しにして、気づけば家族に送るだけ。自分は食べずに夏が終わっていたりすることもあります。
この変化は、ただの“慣れ”なのかもしれません。
「ちょっと贅沢な悩みなのかな?」とも感じましたが、
日本でいえば、りんごや桃といった果物に近い感覚なのだと思います。
「慣れちゃって、感動がなくなったのかも」──そんなふうに考えることもありますが、それだけ、この土地が「暮らしの場」として馴染んできたということなのかもしれません。
「慣れ」は感動を奪うものではないかもしれません
台湾の季節が、自分の季節として自然に馴染んできた。
その土地の恵みが、日々の生活の一部になってきた。
そう考えると、「慣れ」は感動を奪うものというより、
その環境が心地よく、安全な場所になったという証のようにも思えます。
特別だったものが、日常の中に静かに溶け込んでいく。
それは、それだけ深く暮らしに根づいたということではないでしょうか。
久しぶりに味わう「幸せの香り」
そんなことを思いながら、久しぶりにマンゴーを買いに行きました。
家に帰って箱を開けると、変わらず甘く豊かな香りがふわっと部屋に広がります。「ああ、やっぱりこれだな」と思いながら、手を伸ばしました。
切り分けたあと、つい【切った人の特権】として、種のまわりに残った果肉までしっかり楽しんでしまいます。
あの部分、なんだか一番おいしく感じてしまうんですよね。
口に入れる前から、鼻で感じる香りもたまりません。
そしてひと口食べれば、台湾の太陽と大地の恵みが、口の中いっぱいに広がっていきます。
「いつでも手に入る」ということと、
「実際に手に取って、味わう」ということは、やっぱり全然違うんだと改めて感じました。
「味わう」は、今この瞬間に立ち返ること
日々の暮らしの中で、「そのうち食べよう」「いつでもできる」と思って後回しにしてしまうことって、けっこうあります。
だけど、本当の意味で味わうには、意識を“今”に戻す必要があります。
あえて立ち止まって、手間をかけて、その瞬間に集中する。
そうすることで、当たり前の中にある豊かさに気づくことができるのかもしれません。
朝のコーヒーの香りを深く吸い込んでみたり、
夕暮れの空の色をちょっと長めに眺めてみたり。
日常の中に眠っている、そんな"味わう瞬間"。
今日、あなたもちょっとだけ意識を向けてみませんか?
noteで綴っていきたいこと
このnoteでは、日々の生活の中でふと立ち止まったときに見えてくる「気づき」や、その背景にある感覚・視点などを丁寧に綴っていきたいと思っています。
小さな体験からでも、ちょっとした発見がある。
そうした「気づき」が、読んでくださった方の中にも、
何かを思い出すきっかけになったり、「あ、いいかも」と感じる種のような存在にになれたらうれしく思います。
今日、少しだけ味わってみませんか?
朝のコーヒーの香りを、いつもより少し深く吸い込んでみる。
夕暮れの空を、ほんのすこし長く見上げてみる。
そんなふうに、日常の中にある“味わう時間”を見つけてみませんか?
💬 あなたにとって「季節を感じる食べもの」は何ですか?よかったら教えてください。
❤️ スキや 🤝 フォローで応援いただけたら、とても励みになります!
いいなと思ったら応援しよう!
ご支援、応援してくださるお気持ちに、心から感謝します😊と〜〜っても、うれしいです😆