門前通りは今日も晴れ! その壱
このお話は、人づてに聞いた話をヒントに創作したものです。このお話を亡き愛犬に捧げます。
『駒狐のフニャさん』
こんにちは。私はフニャさんと申します。田舎町にある稲荷神社の境内で駒狐をやっております。
そうですね、もうどれくらいここに座っているでしょうか。正確な年月はもう覚えておりません。たくさんの人に顔を撫でられてすっかりテカテカに光っていますし、足元には苔も生えていますから、相当長い間ここに座っていると思います。
駒狐ですから、相方もいるんです。ただ、フニャという名前は私だけ。最近名付けていただきました。その名付け親というのがちょっと変わった人間達でして、何やら珍しい眷属を連れているんですよ。その人間達は、どうも夫婦のようです。
なんでも
「この狐の顔、フニャっとしてるから名前はフニャさんだね!」
なのだそうで、生まれて初めて名前というものを頂戴致しました。フニャっという言葉も初めて聞きましたし、意味もよくわかりません。
ただ、夫婦の話を聞いていると、どうも悪い意味ではなさそうです。はじめは驚きましたが、名前があるというのは、なんとも嬉しいものですね。自分の役割を仰せつかったようで、退屈な暮らしに光が差し込んだような心持ちになりました。
以来、その夫婦は、来るたびに声をかけてくれるんです。
「フニャさん、こんにちは」
そして、耳を撫でたり口元を撫でたりします。ときには、前足を撫でられることもあります。尻尾も。そうそう、私の尻尾は太くて見事なのです。いきなり触られたときはくすぐったくて動きそうになりましたが、そこはじっと我慢いたしました。

さて、その夫婦が連れている眷属、見た目は私どもと同じ毛色をしておりまして。姿形も似ていて、ピンとした立ち耳にキリッとした顔立ち、耳元まで裂けた大きな口と、まるで狐そのものではありませんか。
ある時から頻繁に境内に現れるようになり、特にこの眷属は、何やら仲見世の皆さんとも仲良しの様子。参拝客の心も掴んでいるようです。私どもとしても
「これは特別な狐に違いない。是非とも丁重に対応せねば」
ということになり、稲荷神社の眷属としてもお迎えさせていただきました。
ただ
「いやいや、あれは狐ではないのではないか。見なさい、足が短かすぎるじゃないか」
という意見を述べる狐もいたのは事実です。ですが、のっしのっしと勇ましく歩く姿を見ると、強い何かを感じずにはいられません。
狐会議の結果、
「ここで起こっている怪しいことを収めてくれる存在になるやも知れぬ」
「実際、あれには仲見世の者達も困惑しているじゃないか」
「かといって、自分達に何ができよう。ここは託してみるのも良いかも知れぬ」
という意見でまとまり、ついに稲荷神社の眷属となったのでございます。
その眷属の名は「ぷる太郎」と申します。

『稲荷神社に流れる不穏な空気』
ご案内がすっかり遅くなりましたが、私フニャさんは、このお話の進行役を努めさせていただくこととなりました。どうぞ、最後までお読みいただければ幸いにございます。実は、このお役目も、名付け親となった夫婦の奥方から指名を受けたものです。
さて、ぷる太郎が眷属となった経緯でも触れた通り、当神社にはここ最近何やら怪しげなことが起こっておりまして。
最近といっても私どもの時間軸で申し上げているのであって、人間にしたら何年にも及ぶ時間かと存じます。不穏な空気が流れ始めたのは、現在の宮司がこの社にやって来た辺りからでしょうか。
実際、参拝に来る人間達からも妙な噂話が聞こえてくるものです。
「おい、知ってるか?ここの宮司は巫女を食うらしいぞ」
「馬鹿なこと言うなよ。そんな化け物がいるものか。恐ろしい」
「おいおい。食うというのはだな、その、つまり、手を出すということだよ」
「まさか、あっちのことかい?」
「何しろ、愛人も何人いるかわからんという話だからな」
「まあ、お互い納得していれば他人がとやかく言うことでもなかろう」
「そうだが、巫女までとなると話は別だ。実際、巫女になる者がいなくなってきている」
はい、私どもも気にしていたのですが、巫女は減ってきております。以前は何名もいたというのに。人間達が噂するようなことが起こっているとしたら、神職として情けないことでございます。
それより、もっと私どもが気を揉んでいることがありまして。
それは神社の借金問題です。これも境内で人間達の話を小耳に挟んだのですが、何でも神社の敷地まですっかり抵当に入っているのだとか。
確かに、社殿の修復などもしておりますから、相応の金額はかかるでしょう。ただ、氏子も増えていますから、奉納金も相当集まる筈でございます。一体どこにそのような大金が動いているのか妙な話です。敷地全体が抵当に入っているとなれば、返済できないときはすべて銀行に取られてしまいます。
そのような事態になったらどうすればいいのか。私どもでは皆目見当もつきません。
銀行の思惑次第で、この土地は如何ようにも変えられるわけです。ただ、更地にして売り出したところで、神社跡地となれば嫌がる者は多いでしょう。観光地としても人を集めてはいますから、神社として残すことは考えられます。それでも、どのような形になるのかは予想もつきません。
ただ、この稲荷神社はもとは敷地の隅にあった小さな祠だったもの。規模を元に戻すというだけなら問題はないかと思います。
そして、もう一つ大きな心配ごと。それは、仲見世を全部潰してしまおうと宮司が企んでいることです。
仲見世はどこも代々続いてきた古い店ばかり。どの店も人情味があって評判が良く、参拝客にとっても憩いの場所となっております。参拝客の話を聞いていると、仲見世や門前通りの店を楽しみに来る者が多いことには驚ろかされます。
人が集まる場所というのは、それだけ活性されますし福も集まりやすいのです。何より、仲見世に人が集まると笑顔が絶えません。
かのぷる太郎も、来るなりすぐに溶け込み、賑やかな輪の中心にいるではありませんか。狐達も、人間やぷる太郎の楽しそうな声を聞くのは何よりも嬉しいのです。

ぷる太郎が最初に仲良くなったのは「めでた屋」の陽子さんでした。
「めでた屋」は、何代も続いてきた老舗の土産物屋。今は縁起物や陽子さんが描いた絵も置いています。陽子さんはそこで働く店員で、穏やかな口調の優しい女性なんです。神様にいろいろな言葉をいただく方で、それを絵に表現しています。
仲見世がこれだけあるというのは、そもそも、この神社はもとは寺だったためです。
このことは、古くからこの土地に住んでいる者であれば知っている事実ですが、現在の宮司はこのことを良く思っておりません。何しろ、そのことを神社の説明からは消しているのですから。
それというのも理由がございまして、神社同士では寺だった神社はどこか下に見られる傾向があるのです。
実際、蛇をご祭神としている某神社などは、寺上がりの神社に対して
「あそこは元は寺であったから、うちと同列にされては困る」
などと言い、同じ御朱印帳にまとめられるのを断ったという逸話もあるほど。まあ、普通はそこまでのことは口にしないでしょうが、そういった神社も存在します。
ところが、我が神社の現在の宮司も同じような人間でして、寺上がりの神社は恥だと考える向きがございます。それで、寺の名残である仲見世を排除しようというわけですね。そんなことをして、一体誰が喜ぶというのか。
長い間この神社の変遷を見てきた駒狐としては、そんなことより神輿の一基でも誂えてはどうかと考えますが、そういったことに興味は持たない様子。褪せた楼門の朱を艶やかに塗り直すことも、頭にはないのでしょう。
そして、実はもう一つ。境内から四つ足を排除する動きが出ているのも心配の種です。四つ足を禁じる神社は多いと言いますが、そのほとんどは神殿や拝殿といったもっとも神聖な場所。参道や境内に至っては、そう厳しくするのは同じ四つ足として何とも心境は複雑です。
何しろ、江戸時代にはお犬様がお伊勢参りをしたとも言われていますからね。この稲荷神社は、三が日ともなれば多くの参拝客が訪れます。最近は、お犬様を連れてくる参拝者もたくさんおられます。お犬様もたいそう大切にされているようで、本当に楽しそうに元気に参拝に来ております。羽織袴まで着せてもらっているのですから、さぞ身分の高いお犬様なのでしょう。
そもそも境内で生まれた猫もいます。可愛い白の三兄弟で、輝かんばかりの白い毛に蒼い瞳は、彼らこそ神のお使いのようです。
白猫三兄弟の他に、近所には猫がたくさんおります。皆大人しく可愛らしい猫ばかりで、境内を散歩する姿を見ると微笑ましい気持ちになります。
それが、近頃では、おかしなことになっているのです。
夕刻を過ぎて辺りが真っ暗になりますと、何やら黒いものがひしめき合っていて、何とも気味が悪いったらありません。奇声のような、呻き声のようなものが聞こえることもありまして、暗いために何が起こっているのか私ではよくわからないのですから。
とにかく、神域としてあってはならない不穏な空気の数々。
駒狐としてこのような不安なことはございません。そして、願ったのです。ぷる太郎こそ、この空気を変えてくれる存在になってくれることを。

「めでた屋」の陽子さんを筆頭に、店主や店の常連客、それから隣の店、向かいの店と、ぷる太郎の行動範囲は次第に広がっていきました。まるで、ぷる太郎が
明るい空気を吹き込んでいくように感じています。今や、この辺りでぷる太郎を知らない者はいないでしょう。
ぷる太郎がやって来ると、仲見世を中心に境内はパッと賑やかになります。
「ぷる太郎、こんにちは」
「ぷる太郎、オヤツをあげるよ」
「ぷる太郎、今日も元気だね」
あっちの店からこっちの店へと、ぷる太郎は大忙しに駆け回ります。「めでた屋」は、私のいる場所からもよく見えますからね、私も仲間に加わっているような気持ちになって楽しいのです。
ところが、ある夜おかしな会話を聞いてしまいました。
会話といったらいいのか、独り言といったらいいのか、とにかく不気味な話を耳をしたのです。
「最近大騒ぎをしている妙な狐。あれは本当に狐か?」
「ぷる太郎とかいう奴のことか?」
「ああ。どうも四肢が短い気がするが、狐が変化(へんげ)でもしたのか?」
「馬鹿を言うな。狐の四肢があのように短いものか。ありゃ別のものだろう」
「じゃあ、あやつは何だ。何という生き物だ?」
「何という生き物?気になるか?」
「あれが来るようになってからというもの、すっかり境内が騒がしい。人間の楽しそうな声は忌々しくてたまらん」
会話のようなのに、聞いていると声はどちらも同じ。狂人が独り言を言っているのかと考えながら、ぷる太郎の話題であることに興味を引かれ、しばし耳を傾けていました。
「あれか?あれはな、狐などではないぞ」
「狐ではない?じゃあ、何だ?」
「ようく見てみろ。動きを」
「何だ?姿は確かに似ているようだぞ」
「あれはな、犬だ」
(え?ぷる太郎が犬?)
私も驚いてしまいましたが、ぷる太郎なら、たとえ犬でも特例で眷属のままでいいでしょう。狐ではないにしろ、あのように人の心を掴めるのは眷属として迎えた甲斐があるというもの。
それより、この者達は一体何を気にしているのか?何故、それほどぷる太郎が気になるのか?
長い沈黙が続き、話は終わったのかと思った時に、また声が。それは非常に低く、強く恐ろしい声でした。そして、おぞましい内容だったのです。
「犬ではまずいな。どうにか殺してしまおう」
《その弐につづく》
