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弟ポジ #番外編 〜待ちに待った〜

春の休日。穏やかな陽射しが街路樹の新緑を照らしていた。

駅前の広場で時計を見る。待ち合わせの十分前。教師になってから時間にはさらに厳しくなった気がする。


ふと、人混みの向こうから帽子とマスク姿の女性が手を振った。

咲:お待たせ。

◯:いや、今来たところです。

マスク越しでも分かる柔らかな笑顔。

付き合い始めて一週間。まだまだ「彼女」という存在はどこか現実味を帯びていなかった。


咲:今日は変装、こんな感じで大丈夫かなぁ?

◯:全然分からないですよ。

咲:それならよかった。

卒業したとはいえ、街を歩けば気付かれることも少なくない。だから今日は人通りの多い繁華街ではなく、少し離れた落ち着いたエリアを選んでいた。


二人で並んで歩き始める。以前と同じ道幅なのに、距離感だけが少し違う。隣にいる理由が、「和の友達」ではなく「恋人」になった。それだけで、不思議なくらい意識してしまう。

咲:……

◯:……

沈黙。気まずいわけではない。ただ、お互い少し照れているだけだった。

咲月が小さく笑った。

咲:なんかさ。

◯:はい?

咲:付き合う前の方が普通に話せてた気がする。

◯:それ、俺も思ってました。

二人で吹き出す。

咲:なんでだろうね。

◯:肩書きが変わったからですかね。

咲:肩書きって。

また笑う。ようやく少しだけ力が抜けた。



大型ショッピングモールへ着いた。特に目的は決めていない。服を見たり、本屋へ寄ったり、雑貨屋をのぞいたり。

大人同士だから騒がしくはない。

咲:これ、◯◯に似合いそう。

◯:咲月さんはなんでも似合うなぁ。さすが。

そんな穏やかな会話が続く。


ある雑貨店。学校で使えそうな文房具を手に取る◯◯。

咲:あっ、仕事モードだ。

◯:つい、文房具コーナー見ちゃうんですよ。

咲:先生らしい。

咲月はくすっと笑う。その笑顔を見ているだけで嬉しい。


途中、カフェで休憩。コーヒーを飲みながら他愛ない話をする。卒業ライブの裏話、学校で起きた面白い出来事。話は尽きない。

咲:こういう普通のデート、ちょっと憧れてた。

◯:普通ですか?

咲:うん。アイドル時代は、人前で恋人と歩くなんて想像もできなかったから。

そう言って外を見る。普通に並んで歩ける、それだけで幸せだった。

◯:じゃあ今日は思いっきり普通を楽しみましょう。

咲:ふふ、それいいね。



モールを出ると、そろそろ日が陰りかけてきていた。

咲:ねぇ、このあと何食べる?

◯:結構何でもいけそうな感じですね。咲月さんは?

咲:ん〜、ここはやっぱり焼肉とか?

◯◯は一瞬止まり、思わず吹き出した。二人の間での焼肉は、やっぱり特別な思い出がある。


店員に案内され、個室へ入ると、咲月が席を見比べて首を傾げた。向かい合わせに座ろうとしていた◯◯を止める。

咲:ねぇ、今日は…

◯:?

咲:こっちかな!

自分の隣をぽんぽんと叩く。

◯:え?

咲:恋人なんだから、隣、座ってほしいな!

少し照れながら笑う。その一言だけで鼓動が少し速くなる。

◯:……分かりました。

隣へ腰を下ろす。距離が近い。肩が少し触れそうなくらい近い。付き合う前なら考えられなかった距離だった。


注文を終え、肉が運ばれてくる。咲月がトングを手に取った。

咲:今日は私が焼いてあげる!

◯:え、大丈夫ですか?

咲:失礼だなぁ!

◯:だって前科が…

咲:あれはお話に夢中になっちゃっただけ!

そう言いながら肉を並べていく。ジュウッという音とともに香ばしい匂いが広がる。

咲:はいどーぞ!

焼き上がった肉をそのまま◯◯の皿へ乗せる。

◯:ありがとうございます…ん!美味しい!

咲:でしょ?さちさん印!

得意げに胸を張る。その表情がおかしくて笑ってしまう。

咲:何よ〜?

◯:いえ。

咲:絶対何か思ったでしょ。

◯:いや、本当に。

笑いながら首を振る。こうして他愛ないことで笑える時間が、何より幸せだった。


しばらく食べ進めた頃、咲月がふと思い出したように口を開く。

咲:こうしてると、八年前の焼肉を思い出すね。

◯:……そうですね。

忘れられるはずがない。人生で一番緊張した食事だった。

咲:あの時の◯◯くん、ずっとお肉の味、分かってなかったでしょ。

図星だった。

◯:……はい。

咲月は声を上げて笑う。

咲:やっぱり。

◯:そりゃ、一目惚れした人と二人で食事なんですもん。緊張しますよ。

咲:あはは、そうだよね。

少し笑ったあと、表情が柔らかくなる。

咲:…ごめんね。

◯:?

咲:あの時は。

◯◯は首を横に振る。

◯:謝らないでください。あの返事があったから、今があると思ってます。

あの時付き合っていたら、お互い夢を追い切れなかったかもしれない。だから今、こうして笑っていられる。

咲月は静かに頷いた。

咲:うん、ありがとう。

その「ありがとう」は、もう別れの言葉ではなかった。



店を出ると、春風が心地よく吹いていた。川沿いの遊歩道をゆっくり歩く。休日らしい穏やかな景色。

すると、咲月が何気なく腕を組んできた。

◯:!

手をつないだ時よりもダイレクトに彼女を感じ、思わず固まる。

咲:……

◯:……

咲:…ふふ、固まり過ぎじゃない?

◯:いや、その…

咲:恋人なのに?

少し意地悪そうに笑う。

◯:まだ慣れなくて。

咲月はくすっと笑った。

咲:…実は、私も。

そう言うと、組んだ腕をさらに引き寄せる。

咲:だから一緒に慣れていこうね。

その一言が、春風よりずっと優しかった。


少し歩いたところで、咲月がスマホを取り出す。周囲を確認し、人が少ないことを確かめてから小さく笑う。

咲:今日の記念に一枚だけ。

◯:写真ですか?

咲:うん。

恋人になって初めての写真。肩を寄せ合い、スマホを構える。

咲:いくよ。

◯:はい。

カシャッ。

画面には、少し照れた二人が映っていた。

咲:ふふ。

◯:いい写真ですね。

咲:うん。

大切そうに画面を見つめながら、小さく呟く。

咲:これからは、こういう写真をいっぱい増やしていこうね。

◯:はい。

その返事だけで十分だった。

遠回りした八年間。夢を追いかけた時間も、待ち続けた時間も、全部無駄ではなかった。

春の空の下。二人はゆっくりと歩き続ける。今度はもう、同じ未来を見つめながら。


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