弟ポジ #エピローグ
春の柔らかな日差しが、校庭の桜を淡く照らしていた。
放課後。ホームルームを終えた◯◯は、生徒たちを教室の前で見送っていた。数年前まで教育実習生として立っていた場所に、今は教師として立っている。
生:先生、さようなら!
◯:気を付けて帰れよ。
生:はーい!
元気よく手を振りながら校舎を出ていく生徒たち。その背中を見送りながら、◯◯は自然と笑みを浮かべる。
教師になって五年。忙しい毎日だが、後悔した日は一度もなかった。生徒の笑顔を見て、一緒に悩み、一緒に成長する。その時間は、学生の頃に思い描いていた教師という仕事、そのものだった。
職員室での仕事も終え、校舎を出た。
春風が吹き抜ける中、門の近くに一人の女性が立っていた。帽子を深くかぶり、マスクを付けている。それでも、その優しい目元を見れば誰なのかすぐに分かった。
◯:……咲月さん?
咲月はゆっくりマスクを少し下げ、柔らかく笑う。
咲:お仕事、お疲れさま。

その笑顔を見た瞬間、胸の奥が少しだけ温かくなる。
◯:お疲れさまです。
咲:急に来ちゃって、ごめんね。
◯:いえ。びっくりしましたけど、嬉しいです。
咲月は先日、乃木坂46を卒業していた。卒業ライブを終え、最後までグループを支え切ったキャプテン。その姿はテレビ越しに見届けていた。
咲:少し歩ける?
◯:もちろんです。
二人は並んで歩き始めた。
*
学校から少し離れた公園。桜がちょうど見頃を迎え、花びらが春風に揺れている。ベンチへ腰を下ろし、しばらく他愛ない話をした。
◯◯は教師として働き始めてからのこと。
咲月は卒業後の生活のこと。
空白だった数年間を少しずつ埋めるように、穏やかな時間が流れていく。
やがて咲月が、小さく息を吸った。
咲:今日ね。
◯:はい。
咲:会いに来た理由があるの。

その表情を見た瞬間、◯◯も自然と姿勢を正していた。
咲月は桜を見上げ、それからゆっくりこちらを見る。
咲:もう八年も前だね。
少し笑う。
咲:焼肉屋さんで、返事をしたよね。
◯:……はい。
咲:五年前も、返事は無かったけど、気持ちを聞かせてもらって…
あの日の静かなリビングが頭に浮かぶ。
咲:待たせちゃった。
◯:……
咲:でも。
少し照れたように笑う。
咲:今なら、ちゃんと返事できる。
春風が花びらを運んでいく。咲月は真っ直ぐ◯◯を見つめた。
咲:私も、◯◯くんが好きです。

静かな言葉だった。それでも、何年も待ち続けた◯◯の胸には、誰より大きく響いた。
少しだけ照れ笑いを浮かべる。
◯:十年越し ……ずいぶん時間が経ちましたね。
咲月も笑う。
咲:ごめんね、長い時間。
◯:先生は待つの、得意ですから。
二人で顔を見合わせる。
気付けば、どちらからともなく笑っていた。あの頃のぎこちなさはもうない。夢を追いかけ、それぞれの時間を歩いてきたからこそ生まれた、穏やかな笑顔だった。
◯:ありがとうございます。嬉しいです。
咲:これから、よろしくね。
◯:こちらこそ。
その一言だけで十分だった。何年もかけて遠回りした想いが、ようやく一つになった。
二人はベンチから立ち上がった。
*
公園を出て、ゆっくり並んで歩く。付き合い始めたばかりなのに、不思議と緊張はなかった。沈黙さえ心地いい。そんな時間を味わいながら歩いていると、咲月がふと笑った。
咲:このあと予定ある?
◯:今日はもう仕事終わりなので、大丈夫です。
咲:じゃあ。
少し首を傾げる。
咲:何か食べて帰ろ!
◯:いいですね。何食べます?
咲月は腕を組み、少しだけ考えるふりをする。そして、いたずらっぽく笑った。
咲:焼肉とか?

その一言に、◯◯は思わず吹き出した。
あの日。勇気を振り絞って想いを伝えた焼肉。忘れられるはずがない。
◯:……
咲:ダメだった?
◯:いや。
少し笑ってから答える。
◯:今度は、もう振られないなら。
咲:もう!
照れ隠しのように軽く肩を叩く。二人の笑い声が、春風に乗って桜並木へ溶けていった。
焼肉屋へ向かう道は、あの日とは違って軽かった。
あの日は想いを伝えるために歩いた道。
今日は、想いが通じ合った二人で歩く道。
同じ道でも、その意味はもうまったく違っていた。
春の風が、優しく花びらを運んでいく。
あの日、それぞれが選んだ夢を最後まで歩いた。
遠回りだったかもしれない。それでも、その時間があったからこそ、今こうして隣で笑い合えている。
◯:行きましょうか。
咲:うん。

二人は並んで歩き出す。
春の陽射しの中、重なった二つの影は、ゆっくりと未来へ伸びていった。
~ Fin ~
