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「書いて忘れる」から脳は疲弊しない

先日、
素敵な記事を拝読しました。


ゆずさんの

わたしは忘れるために書いているのかもしれない

です。


上記の記事では、タイトルにあるとおり
『書く行為は”忘れるため”』という点について
ゆずさんの見解を教えてくれる内容となります。



書いてきたから、
わたしは安心して忘れることができる。

ゆずさんの記事より引用


「書く」とは、
自分の記憶の外に事象を残すこと。

そして、外側に残すからこそ
客観的視点で物事をとらえて
思考の整理ができる。

そうすることで、
必要以上に脳内で悩むことも減り
解決策も導きやすくなる。

結果、【生きやすい】と感じて
日々をつなげられます。

まさに、ゆずさんのおっしゃるとおり
書いてきたからこそ安心して忘れられるんです。



✔書かないと
 脳の疲れは取れない

「書くって、意外と大変💦」と感じるのは
一般的な感覚だと考えます。

言葉を思い出したり、
構成作りで矛盾のないように考えたり
文章の体裁を整えたり…

ましてや、「読まれる文章」ともなると
その労力は数十倍にも跳ね上がります。

書き終えたあとに
「あ~、疲れた~」と両腕を伸ばすのは
しぜんの理ではないでしょうか。


ただ、身体的に疲れたとしても
精神的に疲れたという表現には
書く行為は「似つかわしくない」と言えます。

むしろ、スッキリする。


脳内の無駄な情報をガッツリと整理整頓する。

それこそ、不純物を取り除いて
本当に必要な情報だけを吟味して残すように。


ゆずさんの「忘れるために書いている」とは、
そういった脳の疲れを取るためにも
タイパもコスパも両取りできる
効率的な方法だと感じました。




わたしは「書く」ときは、
書くことに集中します。

書く行為の邪魔になるようなものは、
徹底して排除します。

・スマホは近くに置かない
・音楽は流さない
・メモ紙は白紙で置く
・webページは「書く画面」だけ
・調べ物は可能なかぎり短く

「書くだけ」にとにかく集中する。

集中するからこそ、
自分の脳と対話する感覚を得ています。

「自分は、何に悩んでいて
 読者へ何を伝えたいのか」

詰まりに詰まった頭の中をのぞきこんで
欲しい情報だけをキャンパスに写し出す。

そのために、「書く行為」を阻害するものは
わたしは嫌います。


でないと、書き終えた文章には
邪念まじりのみっともない文章しか生まれません。

そして、それでは結果的に
「脳の疲れ」は取れないと思うんです。








「書く」って、面白いです。

4年以上、毎日書き続けていますが
それでも「書く」ことの真意に
たどり着けていない感覚です。

だからこそ、飽きずに
「ここまで書いてこられたんだろうな~」と
感じます。


今回、ゆずさんのおかげで
またひとつ、書くことでの魅力について
新発見できました。

ゆずさん、
ありがとうございます!



この記事が
読者の皆様の参考になれば幸いです。

では、また。
失礼します。

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