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「ありがとう」の関係性に躊躇してはいけない

「ありがとう」


困った場面で助けてもらった時、
苦しい状況で励ましてもらった時、
ツライ状態で支えてもらった時。

感謝の言葉として
相手へ「ありがとう」を伝える。

また、
相手にたいしてのリスペクトを込めて
「嬉しい」や「助かったよ」という言葉も
同義語として捉えれます。


「ありがとう」を伝えられる関係性は
とても幸せなことです。

なぜなら、
伝えたい相手がいることの重要性。

あなた自身の心の素直さや
自然な状態であることの確実性。

ふたつの条件が整わないと
そもそも「ありがとう」とは伝えづらい。


言葉では「ありがとう」と伝えたところで
本心では「そうでもない」と思う
”嘘のありがとう”では意味がありません。

心から真心を込めて、
相手を想う「ありがとう」を伝えること。


わたしは、「ありがとう」の関係性に
躊躇ちゅうちょしてはいけない
と思うんです。



✔感謝の言葉
 「ありがとう」

日本人の美徳意識に
「控えめ」が存在します。

必要以上に騒ぎ立てることなく
冷静沈着に物事を進める。

ゴチャゴチャ言わない。

自慢することなく謙虚な気持ちで。

不必要に言葉として表現しない。


そういった「控えめの美徳」から
感謝の言葉はときとして
かき消される場面も多々あります。


「ありがとう」を伝えるのは
恥ずかしいし野暮ったい。

そもそも分かりきっているから
伝える必要性を感じない。


「控えめ」の意味をはき違えて
あえて相手にたいして感謝の言葉を伝えない。

でも、それは「控えめの美徳」でも無い。

ただ、人間心理としてラクをしたいだけ。

サボりたいだけ。

「めんどくさい」と考えるからこそ
感謝の言葉を口にするのがイヤなだけ。


「ありがとう」を伝えるのは、
国籍とか文化とか宗教の違いとか関係なく
もれなく全力で伝えるべきです。




✔期待感の裏側

「ありがとう」を伝える関係性の裏側には
相手へ期待してしまうというデメリットが
生じやすくなります。


たとえば、職場で
「困ってるだろうな」と思った仕事を
さきにやってあげた。

同僚からお礼の言葉をもらうどころか
「おれ、やる予定だったのに」と言われた。


家の中で
夫の脱ぎ散らかした靴下を発見。

わたしはすぐに拾って洗濯機へポイッ。

夫に「靴下、洗濯機に入れたよ」と伝えると
「あぁ、分かった」と一言で終わった。


「相手のためを思って行動した」

にもかかわらず、感謝の言葉が返ってこない。

なぜだろう、ちょっとイライラする。


こういった経験は
日常茶飯事ではないでしょうか。

やはり、
○○まるまるしたから、ありがとうと言われたい」
期待感を抱いてしまう。

けして、間違った感情というわけではなくて
行動に移したことそのものは評価できること。

ただ、相手へ期待してしまうことが
大きな問題です。


わたしは、上記の場面に出くわしたとき
自分にたいして「ありがとう」を伝えます。

「自分自身の良心にしたがって
 行動を起こしてありがとう」
と考えます。


たしかに、
相手から「ありがとう」を伝えてもらったほうが
ウキウキして心が躍るでしょう。

でも、それは”相手への依存”の始まり。

相手がいなければ「ありがとう」を伝えてからの
楽しい感情が生まれない証拠でもあります。

それって、寂しくないですか。

だから、相手から
「ありがとう」の言葉が返ってこないと
感情が揺れ動いてしまう。

自分は自分。

相手は相手。

期待せずに「自分の行動」にこそ
価値を見出してください。






わたしは「ここぞ!」とばかりに
ありがとうを伝えます。

小さなことでも
ささいなできごとでも。

ちょっと心がほっこりしたり
「嬉しいな」と感じたり。

そのお返しとして躊躇せずに
感謝の言葉を伝えます。


だから不思議とわたしの周りには
「ありがとう」を伝える人がたくさんいます。

「ありがとう」からの
「ありがとう」にあふれています。


そして、自分にもためらわずに
「ありがとう」を伝えます。

ここまで一緒に歩んでくれて
「ありがとう」。

これからも一緒に歩んでくれて
「ありがとう」。


「ありがとう」の言葉は
人生観を大きく変えてくれる
”魔法の言葉”なのです。


では、また。
失礼します。

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