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学ぶ教科は何でもいい。本質を突き詰めると、すべては同じ場所に生き着く(いまを生きるための教室:養老孟司他)

今の私たちは、インターネットを開けばすぐに正解らしきものが見つかる、情報過多の時代を生きています。

日々の生活や仕事、勉強の中でも効率や処理スピードが重視されがちです。そのため、じっくり時間をかけて過程をたどるよりも、「手っ取り早くたくさんの答えや公式を覚えた方がいい」という考え方に、つい傾いてしまうことがあるのかもしれません。

しかし、本来の学びや知的な好奇心というものは、単に完成された答えを暗記することだけではないように感じます。

どの教科を学んでいても、行き着く場所は同じ

それは各教科の得意・不得意という次元の話ではなく、もっと根本的な「学ぶ本質」の話です。

本質を突き詰めていくと、実はどの教科を学んでいても、最終的には同じ場所に行き着くのではないか、と考えています。だからこそ、学ぶ教科は何だっていいのかもしれません。

例えば、音楽を一生懸命学ぶことは、数学を学んでいることと本質的に同じだと感じることがあります。


学びを再構築してみましょう

音楽の試行錯誤から見えてくる「データ」

音楽を聴いて何かを感じ、それを自分の感覚に合わせて「もっと良くしたい」と改良しようとするとき、私たちは自然と、その楽曲のどこをどうカスタマイズしたいのかを細かく分析(細分化)しているのではないでしょうか。

そして、「ここをこう入れ替えてみたらどうだろう」という試行錯誤を繰り返していきます。

このプロセスをたくさん積み重ねていくうちに、自分の中の傾向やデータが集まってきます。すると、最終的に「要するに、自分の目指す表現はこういうことだ」という、非常にシンプル化された傾向や法則のようなものが見えてくることがあります。

数学の公式とは、極限までシンプルにされた「ストーリー」

実は、その「試行錯誤の末に、物事を極限までシンプルにまとめたもの」こそが、数学でいうところの「公式」と呼ばれるものと同じなのではないでしょうか。

自分で発見したこと=学びと言えるかも

数学の公式も、決して最初から無機質な記号として存在していたわけではありません。かつての先人たちが、目の前の現象に対して疑問を持ち、細分化し、試行錯誤を繰り返したプロセスの果てに、ようやくたどり着いた「最もシンプルな表現の形」なのだと思います。

そう考えると、答えや公式だけを丸暗記して処理していく効率重視の思考から一歩脱却して、そこに至るまでの「過程やプロセスを感じていくこと」にこそ、学びの本当の面白さがあるのかもしれないね、と感じます。

正解を急がず、目の前の物事を細分化し、試行錯誤してみる。そんな探求のプロセスそのものを、ジャンルを問わず大切にしていきたいものです。

その学びを力に更に面白いことを学ぶ

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