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弟の緊急入院と緊急手術と術後の様子。。(覚書)

4月28日(木)
緊急入院、くも膜下出血と診断される

弟が倒れたのは4月28日。
その前日27日は8回目の叔母のサポートで、母と夫と3人で上京して、NPOと契約解除、公正証書の書き換えが出来た日だった。

叔母のサポートで心身ともに疲れを感じながらも、28日は葬儀の仕事が朝一で入り(8時から11時過ぎ)無事に仕事を終え11時20分くらいに帰宅した。

弟は夜勤明けの日いつもは11時前には帰っているのに、今日はまだ車がなくて帰ってないなぁと思いながら二世帯住宅の2階に上がった時、弟の「ただいま」の声がした。
一度座ってしまうと動けなくなると思って昼食の準備をしようとキッチンに行ったその時、
大きな唸り声とともに、母の「恵子、来て❗」の叫び声が聞こえた。

階段を降りる間も弟が大きな声で唸り声をあげている。

弟の部屋に行ってみると、唸り声をあげている弟の顔は普通ではなく、声をかけても反応がない。意識障害が起きていると感じた。

母もパニックになり、「どうしたの?どこが痛いの?」と弟を揺すりながら声をかけていたので、「動かさないで!」と声をかけ、「救急車呼ぶよ、脳出血だよ」と言い、異常を感じてから数分で居間まで走り固定電話で119を回す。

出た人に「救急車お願いします」と言い、名前や住所を聞かれたあと、
「携帯電話に変えて、そばまで行って状態を教えてください」と言われ、スマホを取りに行き固定電話を切って弟の部屋へ。

弟の唸り声、母の大声で、スマホからの問いかけが良く聞こえず、さらに固定電話に電話がかかり、私までプチパニック🌀😱

「もう出動しましたから、落ち着いてください」「外に出て誘導をしてください」と言われたので、玄関の靴を片付け道を作り外へ。

道路に出るとほどなくして救急車が。
大きく手を振り案内をするが、道が狭く曲がりきれなかったらしく、一人の隊員が「AED」を持って走って来たので、部屋まで誘導。

聞かれる質問に答えたり、次々来る他の隊員を部屋まで誘導したり、その間に弟の意識が戻ったり、また意識障害が出たりのなかで
あっという間に6人くらいの救急隊員が集まり、何かでくるんでストレッチャーに乗せて救急車へ運ぶ。

「お姉さんも乗ってください」と言われたので、鞄を持ちついていくと母も行きたい、と言うと「乗ってください」と言われ、2人で同乗。

救急車に乗りこむと、病院がすぐ見つかり、出発。

救急車のなかでも質問に答えながら母と手を繋ぎ見守っていると、弟も意識が戻って受け応えをしている。
手を上げたり足を動かしたり、痛い場所を聞かれて「頭の下の部分と肩がむち打ちのように痛い」と応える。
それを聞いて、私は「くも膜下出血かもしれない」と感じていた。

すると弟の血圧が急上昇して、嘔吐を始めた。(その嘔吐が誤嚥性肺炎につながったようだ)

病院に到着するまで、救急車の振動が大きく感じられて、出血が広がらないようにと思いながら、見守る。

到着すると、受け付けだけして、待機。

少しすると、「CTの検査をします」「ここで待っていてください」と言われて、待っていると、その部屋から走って看護師が出てくる、二回ほど走り、何かを持っていく。

検査室に入ってすぐに呼吸が止まってしまったらしく、検査の途中でまた救急室へ。

待機場所から不安な気持ちで見守る。

少しして、また検査室に移動するが、その際に医師から
「呼吸が一回止まり、瞳孔も開いてしまったので、気管切開して人工呼吸器をつけました。くも膜下出血を疑っています。
たぶん誤嚥性肺炎もあり、肺の片方は真っ白です」と画像を見ながら説明を受ける。

すべての検査終了後、医師からの説明に呼ばれる。

「くも膜下出血でした。運ばれてきたときは、意識もあったのですが、今は意識がありません。出血も大きく広がっていて、重症です。
まずは、血圧を下げて状態を改善して、意識が戻るのを待ちます。
意識が戻らないと手術はできないかもしれません。」

母と私は、「何が起きたの?」と手が震え、胸が震えて、それでも、弟の職場に電話をかけなければと思って電話をする。
「ICUに移動します」の声かけで一緒に移動。

しばらく経ってから中に入れて弟と面会できるが、「人工呼吸器」で繋がれ、意識は無く、私達は声もかけられず退出。

その後、ICUの医師や看護師、薬剤師、などの説明を受けたり、質問に応えたりする。

医師からは
「動脈かい離(椎骨脳底動脈系)」による「くも膜下出血」と言われ、動脈かい離をした場所も良くなく、ステージ5の状態。
呼吸も一回止まり、瞳孔も開いたため、緊急に「人工呼吸器」を付けてそれに頼っている状態。
初回破裂で30%が死亡するレベル。少なくとも3回出血している。きわめて危険な状態。生命力に期待しましょう、と言われた。

また、これから起こる問題についても図を示しながら話してくれた。

①意識が少しでも戻って、状態が安定していたら、明日10時から手術をする
②手術は、「血管内治療」で血管の中に管を通して瘤になった部分をコイルで詰める、乖離を起こしている血管自体を閉塞して、再破裂を予防する。
③現在動脈かい離が大きく起きているので手術中に破裂する場合もある、また手術中に脳梗塞を起こす場合もある。
④手術に成功しても、さまざまな合併症が起こる可能性は高い(ステージが高ければ高いほど高いため)。今現在は脳の中は血で埋め尽くされている。
⑤また手術後、二週間ほどは脳梗塞、水頭症などの発症が起こる可能性が高く、予断は許されない。

医師が語ることは「最悪のことだ」と思いながらも、帰る際に「今晩何かが起きてもおかしくないので、スマホは枕元に置いておいてください」と言われる。

全ての説明に同意署名をして 看護師からの話を聞いてからICUを出る。

母は、医師の説明や弟の状態を見て、
「医者は生きさせることを最優先させるけど、重度の障害を持って生きていくのはどうなのかなと考えちゃうね」と言う。

「恵子たちにも迷惑をかけるし、それがT(弟の名前)が喜ぶことなのか考えちゃう」と・・。

私は「Tには生きていてほしい。まだ若すぎるよ。手術を受けて、どんな障害が出ても私が守るから大丈夫」と伝えた。

病院を出たのは17時過ぎ。タクシーで帰宅。
私も母も昼食も取らずに長い長い一日が終わった。

帰宅してから私の子ども達にLINEをしたり、叔母達に電話で状態を伝えたり、noteでつぶやいたり、何人かのお友達にも、「祈ってほしい」と連絡をする。

4月29日(金)
手術(血管検査)当日

ほとんど眠れず朝を迎え連絡がなかったので、手術が出来る状態にまではなっていると思いつつ不安は消えなかったが、noteでの励ましや、夫も一緒に待機してくれると聞き、力付けられた。(夫はそのために朝5時から仕事に行って段取りだけして帰ってきてくれた)

また長女からは「ママとおばあちゃんの気持ちをサポートするために行こうか?」と電話がきて、とっても嬉しかったし(来てはもらわなかったが)、長男からも「祈っているよ」
とLINEが来た。

noterさん達や友達からも励ましのコメントやLINEをもらい、みんなの「祈っている」と言うメッセージに励まされる。

9時には病院に来いと言われていたので、9時前に到着。
母の気持ちは揺れたまま・・。
でも、今は「手術の成功を祈ろう」と語り合う。

9時40分過ぎ弟がストレッチャーに乗せられて運ばれてきた。

意識があるのかないのか、わからないような表情だったが、「声をかけて大丈夫です」と言われたので、母と私と夫が次々と声をかける。

「祈って待ってるからね。頑張って」と・・。

10時から手術開始。2時間程度の予定。
母の不安、涙に寄り添いながら、祈りながらただただ時間が過ぎていく。
先日一緒に旅行した時の写真を母の携帯に送り、母はそこに写る弟を撫でながら過ごす。

11時過ぎに、軽井沢に住む叔母と従妹が突然来てくれる。
母を励まし、母も弟との思い出を語り、少し元気になった。
叔母と従妹に感謝。

予定の12時を過ぎてもなかなか手術が終わらない。
やっと13時過ぎにICUの看護師が迎えに来る。

5人で弟を迎える。もちろん麻酔も効いていて意識は無い。

私達3人(母、夫、私)は一緒にICUへ。
そのまま何も構わずに叔母と従妹は帰った。

しばらくして、呼ばれて医師から手術の説明を受ける。
夫も一緒に聞いてくれたので、昨日の説明の復習からしっかり話してくれた。

「手術は成功しました。これから二週間は何が起きてもおかしくない状態です。でも、最善を尽くします。」と言ってくれて、弟の場所まで看護師が案内をしてくれた。ただただ、手を触り、頭を撫でて帰る。

母は、叔母達や従妹の励ましもあり、弟が無事にとにかく生きて帰ってきた姿を見て力が与えられたようだ。

4月30日(土)
面会に行く

戻ってきてほしい、という思いでnoteに記事を泣きながら投稿。
私はどんな弟でも、生きてさえいてくれればいいと、本当に思った。

そして母も、朝声をかけると、顔つきも変わり、明るくなった。
「私は、Tがどんな障害があっても、一緒に最後まで生きる、そのために元気で過ごす!」と前向きに話してくれた。

その様子を見て、私も面会時間まで庭仕事をした。
小松菜の柔らかい葉を取り、菜の花を沢山花瓶に入れ、草むしりをしていた。

何もしないと気持ちが落ち込みそうだったので、母も私も面会時間まで動き回っていた。

そして、11時過ぎに面会!

まだ意識は混濁しているようだったが、私の声かけに目を開けたり、指を動かしたり、反応をしてくれた。
母も私も看護師がいいというので、声をかけ続けた。

昨日治療をしてくれた医師もいてくれた。
感謝の言葉を告げてたった5分の面会は終わった。

でも、生きていた!
戻ってきてくれた!

今はただそれだけで、感謝。

祈りは通じた。神様本当にありがとうございます。

そして、励ましてくれたnoterの皆さま、家族親族、お友達たちの祈りと励ましに、ただただ感謝です。

本当にありがとうございました。

もちろん、二週間はまだまだ分かりません。
どんな障害が出るのか、後遺症が出るのか、わかりません。
これからも悩んだり落ち込んだり色々あるかもしれません。

でも、生きている!
今は本当にそれが感謝です。

奇跡がいくつもあった

現在に至るまで、実はいくつもの奇跡が起こっている。

①夜勤明けの弟の意識異常が車の運転中でなくて良かった。
もし運転中だったら、事故で命が終わるかもしれなかったし、他の被害者を生んでいたかもしれない。

②倒れたところが、弟のベッドの上。
弟は夜勤の後いつもパジャマに着替えて眠ることにしていた。
多分着替えの途中で動脈瘤が破裂したのだが(パジャマの下衣のみ着替えて、一本の足はベッドの外にあり、ベッドの上で倒れていた。)ベッドの上であったことで他の怪我などが起きなかった

③前日にもし夜勤前に一人でいる時に出血が起きていたら、私達三人が叔母のサポートで帰ってきたときに一人で亡くなっていたかもしれない

④私が、午前中の仕事であったため、家にいたこと、緊急に119に連絡が出来て、出血してからの処置は極めて速かったと思う。

そんな一つ一つの奇跡が今の状態にまで歩むことが出来たように思う。

そして何より、

祈りの力!
沢山の方に祈っていただき、奇跡が起こったと思う。

そして、本当に不思議なのだが、この4月12,13日と母、夫、弟、私で温泉旅行に行っていること・・

元気な明るい弟が写真に写っている。

不思議なくらい、何かに導かれている様な気がするのだ。

弟は、離婚して仕事も失い、うつ病のような状態になり、群馬に帰ってきた。やっと畑の違う今の介護の仕事に就いた。

夜勤もあり、大変な仕事だが、入居者に仕え、母に仕えることを「使命」
と言っていた。

だからこそ、今度は私が何が起きても弟を支える、と今は心に誓っている。
もちろん、一人で背負うのではない。母と一緒に・・社会資源にも頼りながら、。。

今日も長い長い私の覚書にお付き合いくださり、ありがとうございました<m(__)m>

感謝します。


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