「ベンのテーマ」の少年が、世界の“普通”を変えるまで
少し背伸びして聴いた洋楽
私がマイケル・ジャクソンを初めて知ったのは、「ベンのテーマ」だった。
中学、高校のころ、仲のよかった友人のお姉さんから、いろいろな洋楽を教えてもらった。アール・クルー、ジョージ・ベンソン、スタッフなどなど。
いま振り返れば、ずいぶん渋い選曲である。当時の私は、ジャズやフュージョンといったジャンルを、きちんと理解していたわけではない。ただ、少し年上の人が聴いている音楽には、自分たちの日常とは違う、都会的で大人びた空気があった。
友人のお姉さんを経由して、まだ知らない世界をのぞき見る。そんな、少し背伸びした音楽体験のなかに「ベンのテーマ」もあった。
透き通った声で、孤独な少年と一匹のネズミの友情を歌うマイケル。私が最初に知ったのは、世界の頂点に立つ“キング・オブ・ポップ”ではなく、どこか繊細で、寂しさを抱えた少年だった。
洋楽のある日常に、マイケルがいた
もちろん、私のなかのマイケルは、「ベンのテーマ」で止まっていたわけではない。
「Off the Wall」「Thriller」、そして「BAD」。
当時、洋楽が好きなら、マイケルを特別に追いかけていなくても、その音楽を聴かずに過ごすことは難しかったように思う。
ラジオから曲が流れ、テレビではミュージックビデオが放送され、レコード店へ行けば新作が大きく展開されている。音楽雑誌を開けば、そこにマイケルの姿があった。
マイケルは、数多くいる人気アーティストの一人ではなかった。洋楽を聴く日常のなかに、初めから組み込まれているような存在だった。
1987年の「BAD WORLD TOUR」では、阪急西宮球場にも足を運んだ。
巨大な球場を埋め尽くす観客。ステージに現れただけで、会場の空気を変えてしまう存在感。音楽、ダンス、衣装、照明、舞台演出。そのすべてが一体となった、圧倒的なショーだった。
世界中がマイケルを見ていた。その時代の熱を、私も阪急西宮球場で体感した。
映画であらためて意識した、MTVの壁
今回、映画『Michael/マイケル』を観て、あらためて考えさせられたことがある。
それは、一人の天才が世界的なスターになったという成功物語だけではない。マイケルが世界の頂点へ向かう過程は、アメリカ社会と音楽産業にあった、人種の境界線を動かしていく物語でもあったということだ。
1981年に開局したMTVは、当初、白人のロックやニューウェーブを中心に放送していた。
黒人アーティストの映像が、まったく流れなかったわけではない。しかし、継続的に大量放送され、局を代表する存在になる機会は、ほとんど与えられていなかった。
そこには、「ロックは白人向け」「R&Bは黒人向け」という音楽産業の分断があった。
白人アーティストの音楽は、ただ「ロック」や「ポップ」と呼ばれる。一方、黒人アーティストの音楽には、「R&B」「ソウル」「ブラックミュージック」という、人種を意識させるラベルがつく。
白人は人種を意識されないまま、“すべての人のスター”になれる。黒人は、まず“黒人アーティスト”というカテゴリーに入れられる。
白人の音楽が「普通」で、黒人の音楽が「特別なジャンル」とされていたのである。
「Billie Jean」が壊したもの
1983年、「Billie Jean」のミュージックビデオが、MTVのヘビーローテーションに入った。
正確には、マイケルはMTVに登場した最初の黒人アーティストではない。しかし、黒人アーティストとして初めて、本格的かつ継続的に大量放送され、MTVの中心に立った存在だった。
「Billie Jean」はR&Bであり、ファンクであり、同時に誰もが口ずさめるポップだった。続く「Beat It」には、当時のロック界を代表するギタリスト、エディ・ヴァン・ヘイレンが参加した。
マイケルとプロデューサーのクインシー・ジョーンズは、アルバム『Thriller』をR&B市場だけに収めず、ロックやポップを聴く幅広い層へ届けようとしていた。
マイケルは「Beat It」について、自分がロックのレコードを買うとしたら、こんな曲を買いたいと思えるものを書いた、という趣旨の発言を残している。
ただし、白人に受け入れられるために、黒人音楽を薄めたわけではない。
黒人音楽の強いリズム、マイケルの声、ロックギター、ダンス、映像。それまで市場が別々に分類していたものを、一つの作品のなかに同居させた。
「これは黒人音楽か、白人音楽か」。
作品のほうが、その問いを無意味にしてしまったのである。
プロモーションを、作品に変えた
マイケルが変えたのは、音楽のジャンルだけではない。音楽の届け方そのものも変えた。
映画では、マイケルが従来型のプロモーションに積極的ではなかったことが、ミュージックビデオの可能性を広げていく一つのきっかけとして描かれていた。
自分がテレビ出演やインタビューで売り込むのではなく、作品そのものに語らせる。その結果、ミュージックビデオは、曲を宣伝するための付属物ではなくなった。
「Billie Jean」では、歩くたびに足元が光る幻想的な世界をつくり、「Beat It」では、対立する若者たちをダンスによって結びつけた。そして「Thriller」では、ミュージックビデオを十数分の短編映画にまで発展させた。
プロモーションをやりたくないという制約が、プロモーションそのものを新しい表現に変えた。
マイケルは、音楽だけでなく、音楽をどう見せ、どう届け、どのように人々の記憶に残すかまで設計していたのである。
傑作でなければ、扉は開かなかった
ただし、ここを単純な成功物語にしてはいけないとも思う。
マイケルの成功によって、MTVは黒人アーティストに開かれていった。Prince、Lionel Richie、Tina Turner、Whitney Houston、Janet Jacksonらが、音楽映像の時代を代表するスターになっていく。
しかし、マイケルが突破できたのは、すでに圧倒的な人気があり、CBSという大手レコード会社が背後にいて、しかも誰も無視できないほど優れた作品をつくったからだった。
白人アーティストなら普通に与えられたかもしれない放送機会を、黒人アーティストは歴史的な傑作をつくり、巨大企業が強く交渉して、ようやく手に入れた。
「実力があれば壁を越えられる」という話ではない。
むしろ、マイケルほど突出した存在にならなければ、入口にさえ立てなかった。その事実が、当時の壁の厚さを物語っている。
社会が反省して変わったわけではない
マイケルは、政治的な演説によってMTVを変えたのではなかった。
視聴者がどうしても見たいと思う作品をつくり、放送しないことがMTV自身の損失になる状況をつくった。
「平等だから放送すべきだ」ではなく、「放送しなければ視聴者も利益も失う」という状態にしたのである。
社会が差別を反省して、自発的に扉を開いたわけではない。マイケルが、排除しておけないほど大きな存在になったから、開かざるを得なくなった。
そこには、商業的成功が社会を動かすという、いかにもアメリカ的な変化の形が見える。
それは大きな前進である一方、「市場で圧倒的に成功できる黒人なら受け入れる」という、条件つきの包摂でもあった。
マイケルが壁を越えたことで、壁そのものが最初から存在しなかったことにされてしまうとしたら、それもまた違う。
見えなかった人が、世界で最も見られる人になる
その後のマイケルは、世界で最も見られる人になった。
黒人アーティストが社会の中心に姿を現したことは、大きな前進だった。一方で、注目は音楽だけにとどまらなかった。顔、肌、身体、声、振る舞い、私生活までが、執拗に観察され、論評され、消費されていった。
見えない存在から、世界で最も見られる存在へ。
しかし、見られるようになることと、自由になることは同じではない。
その矛盾まで含めて考えると、マイケルの人生は、スターの栄光と孤独だけではなく、アメリカ社会が黒人の身体と才能をどのように受け入れ、同時に消費してきたのかを映す物語にも見えてくる。
ずっとそこにいたマイケルを、別の角度から見る
映画を観たあと、あらためて「ベンのテーマ」を思い出した。
友人のお姉さんから教えてもらい、少し背伸びして聴いた、あの澄んだ声。その後、「Thriller」が世界を覆い、「BAD WORLD TOUR」では私も阪急西宮球場へ足を運んだ。
今回の映画で、マイケルと再会したという感覚ではない。
むしろ、洋楽を聴く日常のなかにずっといたマイケルを、これまでとは少し違う角度から見直した、というほうが近い。
当時の私は、圧倒的な音楽とダンス、そして次々に生まれる新しい映像表現に夢中だった。けれど、その成功の背後で、マイケルがアメリカ社会のどのような壁と向き合い、それをどう動かしたのかまでは、十分に意識していなかった。
マイケルが黒人音楽を、白人の世界へ持ち込んだのではない。
そもそもアメリカのポピュラー音楽は、黒人音楽なしには成立しない。それにもかかわらず、黒人アーティスト自身は、長いあいだ文化の中心から遠ざけられていた。
マイケルが変えたのは、その位置関係だった。
黒人アーティストが、既存のポップの世界に参加することを許されたのではない。黒人アーティスト自身がポップの基準をつくり、世界の「普通」を決める側に立ったのである。
「ベンのテーマ」から「Thriller」へ。そして、阪急西宮球場の巨大なステージへ。
私がマイケルを追いかけてきたというより、洋楽を聴いて過ごした時代のなかに、いつもマイケルがいた。
今回の映画が教えてくれたのは、当時あまりに自然に聴き、見ていたその存在が、実は音楽産業と社会に引かれていた境界線を、大きく動かしていたということだった。
