つかみにくい街、田町を歩く――蟻鱒鳶ルと、東京の地層をめぐって
田町は、ひとことで言えない
田町という街は、歩いてみるとなかなかつかみにくい。
駅前にはオフィスビルが並び、会社員向けの飲食店が多い。芝浦口に出れば、msb Tamachiを中心とした新しい再開発エリアが広がっている。一方で、三田側へ歩けば慶應義塾大学があり、坂を上ると寺社や大使館、学校が点在している。さらにその先には、再開発の巨大な街区の中に、蟻鱒鳶ルという不思議な建築が立っている。
田町は、ひとことで「学生街」とも「オフィス街」とも「再開発エリア」とも言い切れない。
むしろ、東京のさまざまな時代の層が、整理されきらないまま露出している街なのだと思う。
今回、東京建築祭で慶應義塾大学の図書館旧館と三田演説館を見学したあと、聖坂を歩き、蟻鱒鳶ルへ向かった。近代教育の象徴のような建築から、古い坂道を抜け、戦後建築と現代のセルフビルド建築が向かい合う場所へ。そして、現代の再開発街区の中に残された個人建築に出会う。
この短い散歩の中に、田町という街のわかりにくさと面白さが詰まっていた。
慶應の街、でも学生街ではない
田町には慶應義塾大学三田キャンパスがある。
図書館旧館や三田演説館を見ていると、ここが慶應義塾にとって特別な場所であることはすぐにわかる。福澤諭吉、演説、近代教育、言論、私学の伝統。三田キャンパスには、近代日本の知と制度を支えてきた場所としての密度がある。
ただ、田町を歩いていて意外だったのは、慶應があるにもかかわらず、街全体にあまり「学生街」の感じがないことだった。
早稲田であれば、高田馬場から早稲田通りにかけて、街全体に学生の気配がにじみ出ている。飲食店、古本屋、サークル文化、学生向けの店。大学が街をつくっている感じがある。
一方、慶應の三田は少し違う。
三田キャンパスは、都心の既成市街地の中に埋め込まれている。田町駅前はオフィス街であり、三田には寺社や大使館、坂のある歴史的な街並みがある。慶應はこの街の重要な存在だが、街全体を学生街に変えるほど前面には出てこない。
慶應の都会的な印象は、広いキャンパスや学生街のにぎわいから来ているのではないのだろう。むしろ、都心の一等地にあること、歴史ある私学の本丸であること、そしてビジネス社会との距離の近さから生まれている。
三田は「大学の街」というより、都心の歴史ある場所に、慶應という象徴的な拠点が深く根を張っている街だった。
聖坂を上ると、古い東京が見える
三田キャンパスを出て聖坂方面へ歩くと、街の表情が変わる。
田町駅前の平坦で実用的なオフィス街から離れ、坂を上っていくと、寺社や宗教施設、学校、大使館が目に入ってくる。道の勾配が変わるだけで、街の時間の流れも変わったように感じる。
聖坂は、単なる坂道ではない。名前の由来には、高野聖が関わったという伝承があり、古くから人の往来があった道とされる。三田・高輪一帯は、江戸期の寺町や武家地の記憶を残す場所でもある。
大使館があるのも、この一帯の性格をよく表している。江戸期の大名屋敷や寺社、明治以降の学校や邸宅、大使館へと、大きな敷地が時代ごとに役割を変えながら残ってきた。
田町というと、どうしても駅前のオフィス街や芝浦側の再開発を思い浮かべがちだ。しかし三田側を歩くと、海側の低地から山の手の台地へ上がる境目にいることがわかる。
坂、寺、学校、大使館。
そこには、古い東京の地形と記憶が残っている。
聖坂で向かい合う、丹下健三と蟻鱒鳶ル
聖坂をさらに歩いていくと、ただならぬ構えの古いビルが見える。
調べてみると、それは丹下健三が設計した駐日クウェート大使館だった。1970年、大阪万博の年に竣工した、メタボリズムの空気をまとった大使館建築である。
白いコンクリートのボリュームが、積み木のようにずれながら重なっている。重厚なのにどこか浮遊感があり、古びているのに未来的でもある。聖坂という古い坂道の途中に、戦後日本建築の強い意志をまとった建物が立っている。
そして、その斜め向かいに、蟻鱒鳶ルがある。
聖坂では、丹下健三の都市的な建築と、岡啓輔さんのセルフビルド建築が、道を挟んで向かい合っている。そう気づくと、この坂は単なる歴史ある坂道ではなく、戦後建築と現代の個人建築が交差する場所にも見えてくる。
蟻鱒鳶ルは、建築家・岡啓輔さんが長い年月をかけてセルフビルドしてきた鉄筋コンクリートの建物だ。写真で見ると、異形の建築、三田のサグラダ・ファミリア、といった言葉が先に立つ。
しかし実際に見ると、印象は少し違っていた。
思っていたよりも、オシャレで、かわいい。
荒々しいコンクリートの塊でありながら、威圧感よりも愛嬌がある。丸窓、斜めの窓、青みがかった透明の配管、不揃いな庇、壁面に刻まれたような凹凸。建築というより、手でこねられた生き物の外殻のようにも見える。
丹下健三の建築が、都市や国家、時代の意思を背負った建築だとすれば、蟻鱒鳶ルは、個人の身体感覚と時間がそのまま固まったような建築である。どちらも強烈な建築なのに、その強さの方向がまったく違う。
その二つが、聖坂を挟んで向かい合っている。
この配置だけでも、田町という街の奥行きが見えてくる。
再開発の庭に残った小さな異物
蟻鱒鳶ルの背後には、ガラス張りの巨大な高層ビルがそびえている。横には、整った打ち放しコンクリートの建物がある。その中に、蟻鱒鳶ルはぽつんと、しかし確かな存在感を持って立っている。
この対比がすごい。
背後の高層ビルは、均質で、反復的で、効率的な都市の象徴だ。ガラスのカーテンウォールが整然と並び、現代の大規模再開発の論理を体現している。
それに対して蟻鱒鳶ルは、不均質で、手仕事で、時間が堆積した建築だ。壁面には制作の痕跡が残り、窓や配管はどこか即興的で、建物全体が完成品というより、制作過程そのもののように見える。
にもかかわらず、現地で見ると、蟻鱒鳶ルは再開発の中で孤立していない。塀で切り離されているわけではなく、東京三田ガーデンテラスの外構や植栽の中に組み込まれているように見える。
再開発に飲み込まれたのではなく、再開発の中に残された。
そこに、この建物の不思議な魅力がある。
古いものがただ保存されているわけではない。新しいものが古いものを完全に消し去っているわけでもない。蟻鱒鳶ルは、巨大な都市開発の中で、どこか異物のようでありながら、同時に街区の表情をつくる存在にもなっている。
この建物を見ていると、都市の更新とは何かを考えさせられる。
都市は、古いものをすべて消して新しくすればよいわけではない。かといって、すべてを凍結保存すればよいわけでもない。ときに、説明しにくいもの、効率では測れないもの、個人の時間が染み込んだものが残ることで、街は急に奥行きを持ちはじめる。
蟻鱒鳶ルは、まさにそういう建築だった。
NECの塔が語る、もう一つの田町
蟻鱒鳶ルを見たあとで、あらためて田町駅の方へ戻ると、この街にはもう一つ別の層があることに気づく。大企業本社と産業都市の記憶である。
その象徴の一つが、NECの大きなビルだ。
NECスーパータワーは、田町の風景を強く印象づけている。単なる本社ビルというより、平成初期の大企業本社、情報通信産業、そして日本の電機産業が勢いを持っていた時代の記憶を背負った建物に見える。
田町から芝浦、浜松町、品川港南にかけての一帯は、かつて日本の電機・通信・情報産業と深く結びついていた。
NECは田町・芝に本社機能を構え、周辺には関連会社も集まっていた。東芝も浜松町寄りの芝浦に大きな本社ビルを持っていた。ソニーも品川・港南側に芝浦テクノロジーセンターの流れを持つ。運河、倉庫、工場、研究開発、本社ビル。東京湾岸寄りのこの一帯には、産業都市としての顔があった。
そう考えると、田町周辺の再開発は、単なる駅前の高度利用ではない。
かつての工場、研究所、本社、企業所有地が、オフィス、ホテル、商業、住宅、公共施設を含む複合開発へと姿を変えていく。ものづくりや企業城下町の時代から、知識産業、都市資産、複合的な街づくりの時代へ。
田町の再開発は、日本の電機産業や大企業本社のあり方が変わっていったことの、空間的な表れでもあるのだと思う。
三田側には、坂、寺社、慶應、大使館、丹下建築、蟻鱒鳶ルがある。
芝浦側には、運河、工場、倉庫、企業の本社機能、そして再開発がある。
その二つの顔が、田町駅を挟んで重なっている。
だから田町は、簡単にはひとことで言えない。
つかみにくさこそ、田町の面白さ
田町を歩いていて「つかみにくい街だ」と感じた理由は、街の主役が一つではないからだと思う。
慶應があるが、学生街ではない。
オフィス街だが、それだけではない。
芝浦には湾岸的な雰囲気があるが、三田側には坂と寺社がある。
丹下健三の大使館建築と、岡啓輔さんのセルフビルド建築が、聖坂を挟んで向かい合っている。
NECのような大企業本社の記憶がある一方で、再開発によって街は新しくなっている。
そして、その巨大な再開発の中に、蟻鱒鳶ルのような個人の時間が固まった建築が残っている。
田町は、整理されたコンセプトでつくられた街ではない。
江戸以前からの道と坂。
寺町と武家地。
近代教育。
戦後建築。
大企業本社と電機産業。
芝浦の港湾・工業の記憶。
平成以降のオフィス街。
そして、現在進行形の大規模再開発。
それらがきれいに上書きされるのではなく、場所ごとに顔を出している。田町を歩く面白さは、その層の切り替わりを身体で感じられるところにある。
慶應の図書館旧館と三田演説館から始まり、聖坂を歩き、蟻鱒鳶ルへ向かう。
このルートは、三田という土地が持つ近代化、教育、宗教、戦後建築、産業、再開発、そして個人の建築表現を、一度に見ることができる散歩だった。
蟻鱒鳶ルは、その最後に現れる小さな塔のようだった。
巨大な都市開発の中に残った、手作りの建築。
荒々しいのに、かわいい。
異形なのに、街になじんでいる。
個人の建築なのに、都市の記憶になっている。
田町という街をつかむための鍵は、もしかするとこの建物にあるのかもしれない。
均質な再開発だけでは説明できない東京。
歴史的な街並みだけでも説明できない東京。
産業都市としての記憶だけでも説明できない東京。
その全部が、田町には重なっている。
だから田町は、つかみにくい。
でも、そのつかみにくさこそが、田町の面白さなのだと思う。
