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少年と森

「リフィ、こっちだ。」
雲のない青空からふわり、影が地上に舞い降りる。
背に鷲の翼、脚に獅子を飼うこの生き物はグリフィンというらしい。
「その妙な名で我を呼ぶな。」

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リフィはこの名前が気に食わないらしい。
僕は気に入ってるんだけど。
2年前の夏、ふらふらと彷徨って入った森で僕はリフィと出会った。
青々と木々が茂り、木漏れ日が差し込む大樹の下で、見たこともないその生き物は森の主みたいな顔で寝そべっていて、眠っているようだった。
美しい生き物に見入っていると、その生き物は目を閉じたまま話しかけてきた。
低く、深い、凪いだ声だった。
「帰れ。ここはそなたのような者の来る場所ではないぞ。」
夢を見ているのかと思って頬をつねっていると、今度は目が開いて奇妙なものを見る目つきで僕を見ていた。
「何をしている。」
「また喋った・・・。」
「失礼なやつだ。」
またゆったりと目を閉じてしまう。
僕は、恐る恐るこの美しい生き物に近寄って腹の辺りにぺたりと座った。
土と草の香りがする。
頭上を見上げると僕の頭上にも木漏れ日が優しく注いでいることに気づいてなぜか涙が出てきた。
誰も受け入れてくれない世界に生きる僕を、終わりにしようとやってきたこの場所で、僕はやられてしまうのではないかと生にしがみつきながら、この生き物に近寄って、そして受け入れられている。
何もかも矛盾していて、これ以上はもう出ないと思っていた涙が止まらない。
散々泣いたあと鼻声で聞いた。
「名前は?」
「・・・。」
「名前は?」
「・・・。」
生き物がまた瞼を開ける。
しつこいぞと瞳が語っていた。
けれども、泣いて、恐れていたことも何もかもどうでもよくなった僕はめげない。
「名前は?」
深いため息が聞こえた。
「我はグリフィン。名はない。」
「グリーン?」
「グリフィンだ。」
「グリ・・・リフィでいいか。」
「グリフィンだと言っている。」
「リフィはここで何してるの?」
リフィは何かを諦めた瞳で遠くを見つめた。
「・・・何も。ただ護っているだけだ。」
「何を護ってるの?」
「何だろうな。」
そこまで言ってリフィは立ち上がった。
「さて少年、そろそろ帰るがよい。ここはそなたの居場所ではない。」
バサリ。
翼の音が聴こえたかと思うと、僕は森の入り口に立っていた。

それからも何かあるたび、何もなくても僕は森に通った。
もう終わりを望んではいなかったけれど、リフィの側は安心するから。
リフィは、最初は僕と会わないようにしていたみたいだけど、僕があまりにしつこくやって来ては呼びかけ、しかもリフィのお気に入りの樹の下に陣取るものだから諦めたらしい。

「リフィ、散歩連れてってよ。」
「だから、その名で・・・仕方あるまい。」
リフィは僕の顔を見て途中で文句を止めた。
リフィの背に乗り、羽に顔を埋める。
地を蹴った振動が伝わり、リフィの背中に思い切り鼻をぶつけた。
痛くて涙が出た。
「乱暴にするなよ。」
「文句を言うな。」
こういう時、リフィは何も言わない。
ただ、空に連れて行ってくれるだけ。
僕は、リフィの柔らかくて、でも芯のある羽に涙を染み込ませながら翼が風を切る音だけを聴いていた。
夕陽が落ちきり、星が瞬き始める頃、やっと涙が止まった僕の様子を伺い、リフィがそろそろ戻るか、と言った。
しなやかに地上に降り立つと、リフィはいつものセリフを言う。
「さて少年、そろそろ帰るがよい。ここはそなたの居場所ではない。」
目を閉じて翼の音を聴くと、やっぱり僕は森の入り口に立っている。

僕にリフィは必要だけど、リフィには僕は必要ない。
だってこんなに一緒に過ごしても、僕の名前も訊いてはくれない。
いつかきっと、さよならも言わずいなくなってしまうだろう。
僕はその日を恐れている。

やれやれと、リフィはいつもの樹の上で、森にくるりと背を向けた少年の背中をいつものように見送っていた。
あの子は独りだ。
ここにいる限りいつまでも。
出会った時から儚い少年だった。
あの子は考えすぎて、疲れ果ててはこの森にやってくる。
けれど、最近、少しずつここに来る頻度が減ってきている。
本人は気づいていないようだが。
あの子が全てを投げ棄てたような空気を纏い、終わりを探し求める目で、初めてこの森に入ってきた時、木々がざわめいたのをよく覚えている。
この森は終焉に近すぎる。
でも、そろそろあの子は還るだろう。
あの子が投げ棄てようとした世界に。

あの子がリフィを失うことを恐れていることには薄々気づいていた。
リフィからすれば逆だ。
リフィはこの森の護人で、この地から去ることはない。
あの子がいなくなって、そして、リフィを忘れてしまうのだ。
リフィは、存外、耳に馴染んでしまったあの妙な呼び名を聴けなくなるのは寂しい気もした。
あの子がこの世界から還るのを喜んでいるのに、途方もなく淋しい気もした。
「名を訊いてなど、呼んでなどやらぬ。」
独りごちたその声は小さく、森の風に攫われた。




さて、今日の物語は扉絵に使用させていただいている素敵な絵から書くものです。
作者さまはこちらの方。

募集されている内容は次の記事からご覧ください。
8月31日までだそうです。

素敵なものに物語を付けさせていただく。
至福でした。