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仙台城本丸・懸造の復元に係る当アカウントの見解

概説

当アカウントでは仙台城本丸の懸造について、以下の文章で記載しています。

【仙台城 懸造】
かつて仙台城本丸にあった建物。本丸東辺の崖に突き出た場所にあった数奇屋風書院造りの建物。若林区の「昌伝庵」に模型で再現されている。崖の崩落により遺跡の直上に復元するという文化庁の基準を満たせないことから、現行の「仙台城跡」の整備計画では遺構表示にとどまる。

 この文章を執筆するにあたって、いくつかの資料・史料を参照しており、質問を投げかけられた際には簡単にですがこのような記載としている根拠を返答してきましたが、今一度丁寧にまとめておく必要性を感じたため筆を執った(現代的に言うとキーボードをたたき始めた)次第です。
 尚、当アカウントの中の人は文化財の素人であるため、専門的な知識を持つ方々からのツッコミを随時募集しております。Xのアカウントまでよろしくお願いします。

文化庁の復元等に関する基準について

 まず、史跡における歴史的建造物の復元に関する文化庁の見解を確認しましょう。令和2年4月17日の文化審議会文化財分科会決定において「史跡等における歴史的建造物の復元等に関する基準」が示されています(以下のリンクから開けるページの下部に別紙PDFがあります)。この基準において「復元」と「復元的整備」という2つの言葉の定義が示されています。

歴史的建造物の復元」とは、今は失われて原位置に存在しないが、史跡等の保存活用計画又は整備基本計画において当該史跡等の本質的価値を構成する要素として特定された歴史時代の建築物その他の工作物の遺跡(主として遺構。以下「遺跡」という。)に基づき、当時の規模(桁行・梁行等)・構造(基礎・屋根等)・形式(壁・窓等)等により、遺跡の直上に当該建築物その他の工作物を再現する行為をいう。

「史跡等における歴史的建造物の復元等に関する基準」文化審議会文化財分科会決定

今は失われて原位置に存在しないが、史跡等の保存活用計画又は整備基本計画におい て当該史跡等の本質的価値を構成する要素として特定された歴史時代の建築物その他の 工作物を遺跡の直上に次のいずれかにより再現する行為を「歴史的建造物の復元的整備」 という。

「史跡等における歴史的建造物の復元等に関する基準」文化審議会文化財分科会決定

 つまり史跡における「復元」とは、①当時の規模・構造・形式等が分かる資料(図面や写真)と、②遺跡の地面(原位置)が必要と解釈できます。復元的整備は、①に関して調査を尽くしても資料が見つからなかった場合にも一定の条件を満たせば再建可能というもので、昭和期に建造された史跡に存在する鉄筋コンクリート造天守の強度の問題などを受けて令和2年に初めて示されたものです。
 ①については、仙台市博物館が所蔵する「仙台城及び江戸上屋敷主要建物姿絵図」に懸造の立面図が存在し、さらに復元的整備という緩やかな基準が示されているため、十分満たしうるものと考えられます。

原位置はあるのか?-仙台市の見解を踏まえて

 さて、本論考の核心部分は②遺跡の地面(原位置)が必要という点についてです。復元の主体となる仙台市の見解を探ってみましょう。
 この点について、興味深い記述がネット上にあります。仙台明治青年大学の仙台明治青年大学の講演をまとめた「12/7 仙台城跡の復元について」において、仙台市教育委員会文化財課主査の長島栄一氏の講演から以下のようにまとめられています。

仙台城本丸の懸造は原位置となる地面が無く(中略)復元ができないのは大変残念です。

12/7仙台城跡の復元について 仙台明治青年大学 長島栄一氏の講演をまとめたもの

 また仙台市議会議員の内藤りょうすけ氏の議会報告で、懸造の復元・復元的整備に関する質疑が行われていたようです。内藤議員の質問に対する仙台市の回答は以下です。

懸造作りにつきましては、史跡仙台城跡整備基本計画の策定過程におきまして、文化庁の復元および復元的整備の基準に照らした結果、資料が揃わないことに加え、本丸東側の崖の崩落により、遺跡の直上に再現するとの要件を満たせないことから、復元等を前提とした発掘等の調査は予定をせず、遺構としての表示を目指すこととしているところでございます。

仙台市議会議員 内藤りょうすけ 議会報告「仙台始まりの地としての懸造の復元に向けて」

 以上のことから、仙台市の公式な見解としては、懸造の原位置が存在しないということになるでしょう。

本丸東側の崖地の状態に関する考察

 実際のところ、本丸東側の崖地がどういった状態なのでしょうか。
 そもそも崖地のような場所の自然地形の変化や被災の履歴を詳細に把握することは困難ですが、東日本大震災による復旧工事の報告書(仙台市文化財調査報告書第451集 仙台城跡東日本大震災復旧事業報告書(第2分冊))において、そのことを踏まえたうえで、江戸時代の被災・修復履歴について、また東日本大震災における被災状況が記述されています。

江戸時代の被災・修復履歴は、残されている史料によると少なくとも4回確認され、その内の2回は大雨により被害を受けている。まず寛文8年(1668)7月21日に発生した地震により、懸造北脇の石垣に被害があったことが「貞山公治家記録」や「江戸幕府老中奉書写」から確認できる。さらに、享保2年にも同様の箇所が崩れていることが同史料から確認できるが、被災の原因については不明である。大雨による被害は享保15年(1730)にもあり、懸造下の石垣が崩落し変形したことが試料から確認できる。

仙台市文化財調査報告書第451集 仙台城跡東日本大震災復旧事業報告書(第2分冊)
第9章 本丸東側崖面 第1節 被災・修復履歴

懸造跡では、震災による大きな崩落はなかったが、崖面片部でオーバーハングしていた箇所の一部が崩落した。(以下略)

仙台市文化財調査報告書第451集 仙台城跡東日本大震災復旧事業報告書(第2分冊)第9章 本丸東側崖面 第2節 被災状況

 長くなるので紹介は控えますが、同報告書には本丸東側崖面については他の箇所についても記載があり、災害の度に多かれ少なかれ崩落し続けているようです。
 ただし、懸造跡が完全に崩落してはいないと考えられます。仙台城跡の調査報告書と、前述の震災復旧に関する報告書に以下のような記述があります。

懸造跡推定地の現況調査では、懸造基部の石垣と推測される石列が南北に確認された。径20~50cmほどの石材が9石確認され、石列の南北幅は3.8mほどである。石材は上面が平らな面をなしており、石垣の天端部分であると推測される。

仙台市文化財調査報告書第264集 仙台城跡2 Ⅲ第3次調査 2.確認遺構 懸造跡(3区)

また、工事に伴い崖面で石材が数石検出されたが、観察が十分にできなかったため、石垣の石材として利用されたものか判断できなかった。

仙台市文化財調査報告書第451集 仙台城跡東日本大震災復旧事業報告書(第2分冊)第9章 本丸東側崖面 第2節 被災状況

以上を踏まえた当アカウントの結論

 以上のことから、懸造跡で天端部分と考えられる石垣が発見されているため、跡地全ての地面が失われているわけではないと考えられるが、過去の被災状況を踏まえると崖に迫り出すように建てられていた柱を支えていた地面(より詳細に述べるなら崖の一部)等は、江戸時代と同じように残っている可能性は極めて低く、すでに崩落しているものと考えられます。よって当アカウントにおいても仙台市の見解と同様に、文化庁の基準となる遺跡の直上での復元ができないため仙台城本丸の懸造については復元及び復元的整備のいずれも不可能と認識しており、その認識を基に投稿内容を作成しています。
 重ねて申し上げますが、当アカウントの中の人は文化財の素人であるため、専門的な知識を持つ方々からのツッコミを随時募集しております。Xのアカウントまでよろしくお願いします。

蛇足

 復元の基準は史跡であるが故に適用されるものです。仮にその制約が無かったとして、崩落しやすく高さもあって急峻な本丸東側の崖面に、建築基準を満たすような建造物を設置することは果たして可能なのでしょうか。

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