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自己紹介|HSP|幼少期の傷を癒して人生を変えた|ジャーナリング|自己理解|家族|子育て|お話聴きます

こんにちは、miyabiと申します。

私はHSP気質で内向的ですが、同時に好奇心旺盛なHSS型の一面も持っています。

私が発信で大切にしているのは、ノウハウではなく、これまでの人生で感じてきた違和感や葛藤、そしてそこから得た気づきです。

幼少期の環境、両親との関係、ふたをしてきた学生時代、就職・結婚・子育て…さまざまな経験を経て、ようやく自分と向き合うことができています。

繊細で敏感で、まわりの気配や感情にすぐ反応してしまう。
そんなHSPさんの心を理解できるからこそ、伝えられる言葉がきっとあると信じています。

今回は私が幼少期からどのような経験を経て今に至るのかを、今一度、詳しくお話ししたいと思います。


子ども時代|親の愛情が足りないと感じた記憶

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私は富山県の自然豊かな田舎で、長女として生まれました。

周りは田んぼに囲まれて隣の家との距離が遠い環境で育ちました。

気軽に友達と遊べないため、人と関わる機会が少なかったのもあるのか、もの心ついた時から人見知りが強く、人と話すのが苦手でした。

読書が好きで、5歳下の妹が生まれるまでは、ひとりで過ごす時間が多かったように思います。

祖父母、父、母、妹の6人家族で暮らしており、祖父が会社を経営していたため、両親もそこで働いていました。

家の隣が職場だったこともあり、私はさみしさと好奇心が半分で、時々仕事場に顔を出したりしていました。

初孫ということもあり、祖父母からは可愛がられ、質の良いものを買ってもらうことも多く、周囲から見れば恵まれた環境だったと思います。

けれど、どうしても満たされなかったものがひとつありました。
それは、両親からの「愛情」を感じられなかったことです。

今でも鮮明に浮かぶ幼少期の光景があります。

朝起きると、両親はもう仕事の準備で起きていて、私はいつも布団の中でひとり。

母に来てほしくて2階の階段の上から呼ぶのですが、母は階段の下から顔をのぞかせるだけで、迎えに来てくれることはありませんでした。

代わりに祖母が抱きしめてくれる。
そんな毎日でした。

その瞬間の胸のしめつけられるようなさみしさは、今思い出しても涙が出ます。

もしかすると、私が覚えているのはほんの一部で、真実は違うのかもしれません。

それでも、「母に甘えたくても甘えられなかった」という体験は、確かに私の中に刻まれていて、その記憶が大人になった今でも夢に出てきます。

自然と私は祖父母と過ごす時間が増え、特に祖母になついていきました。

祖父母の部屋で一緒に寝ることも多く、ふたりからは本当にたくさんの愛情を受け取りました。

母方の祖母の家に遊びに行くのも大好きでした。明るくにぎやかな雰囲気で、自分を安心して出せる場所だったからです。

母方の祖母とは相思相愛で、周りから見ても特別なほど仲が良く、無償の愛を惜しみなく注いでもらいました。

一方で、父と母に休日どこかに連れて行ってもらった記憶はあまりありません。

両親は若くして私を授かったこともあり、子どもとの関わり方に不器用だったのかもしれません。

私自身もそれを子ども心に察していたのか、どこか居心地の悪さを感じていたように思います。

静かで言葉の少ない両親のもとにいるより、明るく楽しい母の実家のほうが、自分らしくいられたのです。

場面緘黙症|体型コンプレックスと孤独な幼少期

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私は子どものころから体が大きく、同級生や大人から「大きい」と言われるのが嫌でしかたありませんでした。

頭ひとつ分背が高く、横にもふっくらしていたため、会う人ほぼ全員に体型を指摘される。

そのたびに胸がざわつき、心は傷つき、特に男子に言われると恐怖心すら抱くようになりました。

言い返すことはできず、ただ体を縮こませ、悲しみと怒りでいっぱいになりながら黙っているしかありませんでした。

心を許して話せるのは祖母だけでした。

母は家族で唯一スリムで美しく、周囲から「お母さん綺麗ね」と言われるたび、私は嬉しさよりも劣等感を強く感じていました。

私は褒められない

むしろ母にとって私は恥ずかしい存在なのではないか

そんな思い込みが心に根を張り、自分の体型も顔も大嫌いになっていきました。

母に写真を撮られるのが苦痛で、カメラを向けられると逃げ回るほどでした。

「体が大きいから運動してるんでしょ?」と聞かれることも多かったのですが、実際は運動が苦手で、うまくできないことが恥ずかしく、ますます内に閉じこもっていきました。

調べてみると、特定の場面だけ極端に話せなくなる「場面緘黙症」に当てはまると知ったのは大人になってからです。

当時はHSPという言葉も存在せず、自分はどこかおかしい、普通じゃないという生きづらさだけが重くのしかかっていました。

そのストレスは体にも表れていました。

保育園のころから吐き気があり、小学生で検査しても原因はわからず、中学生でようやく十二指腸潰瘍と診断されました。

バリウム検査や麻酔なしの胃カメラは、なぜこんな年齢でこんな思いをしなくてはいけないんだ、と思うつらい経験でした。

それでも当時の私は「これがストレスのせい」だとは気づけず、常に緊張して生きることが当たり前になっていたのです。

学生時代は目立つことが怖く、休み時間は図書室で過ごし、友人は少なめ。

高校でも潰瘍を繰り返し、発症すると数日食べられず、数日ぶりに学校に行けば「痩せた?」と言われるほどでした。

除菌治療で再発はなくなったものの、いまでもストレスが強まると胃の重さや痛みが出ます。

私はずっと、自分の感情を押し殺し、ため込み、気づかないうちに限界まで抱え込んでいました。

働く日々から結婚・子育てを経て家庭の安定を手に入れるまで

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高校卒業後、私はビジネス系の専門学校に進みました。

なるべく人との関わりを避け、パソコンを使う仕事がしたかったからです。

卒業後は大手銀行の事務センターに就職しましたが、希望の部署ではなく、やりたい仕事と違う現実に悶々としていました。

3年半で退職し、その後は派遣や正社員を転々としながら一人暮らしを開始。

自由な生活に喜びを感じつつ、収入アップのためにパソコンスキルの資格をとり、必死に働く日々でした。

仕事ではスイッチを切り替えて真面目にこなすため、評価されることも多くありました。

しかしある職場で、社長に気に入られたことで上司から煙たがられているのでは?と感じる出来事がありました。

人の感情の変化に敏感なHSP気質だからこそ、そうした空気を察してしまいます。

「目立つのは危険」だと感じた私は、ますます自分を抑え、人の機嫌にビクビクしながら働くようになりました。

帰宅するとぐったりで、家だけが心を休められる場所でした。

34歳で結婚し、ようやく“安心できる居場所”を得ました。

夫は気を遣わず自然体でいられる存在で、もし別の相手だったら同じようには暮らせなかったと思います。

子どもはどうしても2人以上ほしいと願っていて、長男誕生の後、私の年齢もあって、焦る日々もありましたが、4歳差で双子を授かった時は、神様が願いを倍にして返してくれたんだ。

これまでの苦労がすべて報われた気がしました。

3人の子どもは私にとってかけがえのない存在です。

子育ては想像以上に大変で、保育園へ送り届けるだけで疲れ果ててしまう日もありましたが、仕事をする時間が適度な距離感となり、私にはちょうどよい働き方でした。

双子がまだ小さかった頃、夫は5年間単身赴任で、平日は完全なワンオペ。

母を頼ると嫌な顔をされるため、ほとんどすべてを一人で抱え込み、いつもキャパオーバーでした。

夫が単身赴任から戻ってきてからは家事を分担してくれるようになり、ようやく心に余裕が生まれました。

49歳で気づいた自己肯定感の低さ|ジャーナリングで心を整える

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子どもたちが大きくなり手がかからなくなってきた頃、私は

「将来も収入を得られる力を身につけたい」
「子どもの学費のためにも収入を増やしたい」

と考え、まずはハンドメイド販売を始めました。

ノウハウを学ぶために受けた講座で知ったのは、予想外にも“マインドが一番大事”ということでした。

売れない状況に心が折れ、技術だけでは通用しないことを痛感し、「まずは自分を満たすこと」が必要だと知ったのです。

49歳の時、そこで初めて自分が「自己肯定感が低い」と理解しました。

そうか、私がずっと自信を持てなかった理由はこれだったんだ。

その頃から、自己肯定感・潜在意識・引き寄せといった言葉に出会い、片っ端から本を読み、ワークに取り組み、ようやく自分がHSPであることを深く自覚しました。

敏感さも生きづらさも、全部「自分がおかしい」のではなかったんだと知った時、もっと早く知りたかったという悔しさと、教育の場でも教えてほしいという社会に対する小さな憤りもこみ上げました。

とはいえ、私の場合は子育てが一段落し、自分の時間がもてた今だからこそ向き合えたのだ、とも思います。

次に出会ったのが「ジャーナリング(書く瞑想)」。

“何をやっても続かない”“私はダメだ”と自己否定の強かった私が、毎日、自分の感情を紙に書き出すことだけは続けられました。

頭の中でぐるぐるしていた思考が整理され、少しずつ心が落ち着いていったのです。

特に大きかったのは、幼少期からの出来事を紙に書くワークでした。

甘えられなかった幼少期、容姿に自信が持てず楽しめなかった学生時代――ずっとふたをしてきた記憶を紙に書き出すたび、涙が止まりませんでした。

でも、続けるうちに気づいたのです。

ネガティブな記憶ばかりだと思っていたけれど、実は両親と出かけた楽しい思い出もたくさんあったことに

ああ、私、ちゃんと愛されていたんだ…

そう思えた瞬間、また大粒の涙がこぼれました。

泣き顔を子どもに見られたくなくてタオルをかぶって書き続けていた私に、下の子が
「ママ、花粉症?」
と声をかけてくれる。

その勘違いがどれほど救いだったかわかりません。

こうして、自分で自分を責め続けてきた私が、少しずつ“自分を受け入れること”を学んでいきました。

自己理解で変わった子どもとの関係|自分を整えると家族も変わる

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こうして自分と向き合い続けるうちに、
「私はダメだ」「どうせ続かない」
という、長年自分を責めていた声がピタリと止まりました。

そして初めて気づいたのです。私はこれまで、自分に対してなんて酷い扱いをしてきたのだろう、と。

幼い頃の自分に「さみしかったね」「つらかったね」「もう大丈夫だよ」と声をかけられるようになった時、ようやく心の底にいた“傷ついた私”が少しずつ安心していくのを感じました。

もちろん、まだ完全に癒えたわけではありません。痛みはこれからも一緒に歩いていくのだと思います。

それでも、自分を責めていたことに気づけたこと、すべては“自分の意識次第”だと理解できたことが、この半年で私の人生を劇的に変えてくれました

そして何より驚いたのは、子どもとの関係が大きく変わったことでした。

最初の変化は長男でした。

思春期に入り、イライラして妹たちに当たることも多く、私ともあまり話してくれなかった長男が、少しずつ話しかけてくれるようになったのです。

私はいつも仕事と家事と双子のお世話で余裕がなく、きっと「話しかけづらい雰囲気」をまとっていたのでしょう。子どもは本当に親をよく見ているそう気づいた時、申し訳なさと同時に深い感謝が込み上げました。

さらに驚いたのは、双子姉妹に
「ママ、最近よく笑うようになったよね」と言われたこと。

自分を整えるために始めた自己理解が、まさか子どもたちの心にまで良い影響を与えるなんて想像もしていませんでした。

自分が変わると、周りとの関係も変わる。
他人ではなく“自分の意識”を整えればいい。

今の私は自然とそんな視点をもつようになりました。

私が気づいた強みと生きやすさ|HSPの繊細さを活かす

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私はこれまで、人に頼ることが苦手で、「自分が頑張ればいい」と思い込み、何でも一人で抱え込んでいました。

でも、人と関わることで得られる温かさや学びの大きさに気づいたとき、世界が少しずつやわらかく見えるようになったのです。

そして何より、自分がHSPという特性を持っていると知れたこと。それが私をすごく楽にしてくれました。

50年間ずっと「自分はおかしい」「他の人とどこか違う」と感じていた違和感に、ようやく説明がついた瞬間でした。

これまでは、できない自分、弱い自分を克服しなければと思っていました。

だけど本当は、不得意をつぶすより、得意を伸ばせばいい。

好きなこと、心が喜ぶことを仕事にしてもいい。
そう気づいた瞬間、これまでの価値観がひっくり返るほどの衝撃がありました。

現在はコーチング基礎講座の受講を得て、これまでの私の経験をどう活かせるかを探っている最中です。

HSPさんは、人の気持ちに深く気づけるからこそ、生きづらさも抱えがち。

でも、その“繊細さ”は、見方を変えれば大きな力になります。

私自身、自分の価値観を丁寧に見つめ直したことで、弱みだと思っていた部分が実は強みだったと気づくことができました。

だからこそ私は、かつての私と同じように、立ち止まって悩んでいるHSPさんの力になりたい。

自分の経験が誰かのお力になるなら、それほど嬉しいことはありません。

今はまだ構築途中ですが、「HSPさんに寄り添うサポートをすること」を私の仕事にしたい。

その過程も含めて、これからもnoteで発信していきます。

さいごに|HSPの悩みを抱えるあなたへ

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私は専門家ではありません。でも、痛みに飲み込まれそうだった日の重さを、私は身体で覚えています。

もしあなたも、自分の繊細さに悩んでいたり、誰にも言えない思いを抱えているなら
どうかひとりで抱えないでください。

・HSPのことを話してもなかなか理解されない。
・周りにHSPのことを話せる人がいない。

そんな思いを抱えていませんか?

私はその感覚がとてもよく分かります。私自身も、同じ特性をもつひとりだからです。

私は特別な資格を持っているわけではありません。
だからこそ、あなたを評価したり、否定したり、無理に前へ進ませたりはしません。

ただ、あなたが今いる場所のままで、安心して気持ちを開けるように。
そっと寄り添う存在でありたいと思っています。



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