# 創作コラム #11📚物語構造とは、読者の感情体験を設計すること
最近、創作をしながら改めて考えている。
物語とは何か。
小説とは何か。
人は何故、物語で感情を動かされるのか。
俺は小説を書いているが、物語の作り方を学ぶ上で、映画や漫画、ゲームから受け取った影響もかなり大きい。
何故なら、映画や漫画には、小説における美文や洗練された地の文が存在しないからだ。
それでも人は泣く。
感動する。
忘れられないキャラクターを心に残す。
では、何が人の心を動かしているのか。
そこにあるのは、構図、間、視線、行動、対比、喪失、回収、愛着形成。
つまり、「どんな感情を体験させるか」という設計だと俺は考えている。
人は情報ではなく、感情記憶で動く
心理学では、人間は論理だけで価値判断をしている訳ではないと言われている。
人はまず感情で反応し、その後に理由を探す。
これは物語でも同じだ。
設定を説明するだけでは、人の心は大きく動かない。
重要なのは、読者に何を感じさせたかになる。
たとえば、キャラクターの喪失を描きたいなら、その前に読者へ愛着を形成しなければならない。
何気ない会話。
くだらないやり取り。
安心できる日常。
一見すると遠回りに見える場面が、後の喪失や回収の為の感情の土台になる。
人は、知らないものを失っても痛みを感じにくい。
しかし、一度愛したものを失うと、その喪失は読者自身の感情記憶へ触れる。
だからこそ、物語には日常が必要になる。
感情導線とは何か
俺は最近、「感情導線」というものをかなり意識している。
読者が、
どこで安心するのか。
どこで愛着を持つのか。
どこで不安になるのか。
どこで失い、どこで取り戻すのか。
その感情の流れを設計する。
これは単に「泣ける展開」を作るという話ではない。
物語の中で読者がどんな順番で感情を体験するか。
その積み重ねが、後半のカタルシスやテーマ回収へ繋がっていく。
ゲームでも同じだ。
ただ移動するだけでは、プレイヤーは退屈する。
だからゲームデザインでは、
発見
緊張
選択
報酬
を配置する。
物語も同じで、感情を揺らし続ける必要がある。
映画は感情を「行動」で見せる
映画では、キャラクターの感情を説明ではなく行動で見せることが多い。
走る。
立ち止まる。
振り返る。
叫ぶ。
沈黙する。
観客は、その行動から感情を読み取る。
これは小説でも同じだと俺は考えている。
「悲しい」と直接書くことよりも、
乱れた呼吸。
震える指先。
思わず伸びた手。
視線を逸らす動作。
そういった身体反応や行動の方が、読者の身体感覚へ届くことがある。
だから俺は、最近かなり「行動による感情表現」を意識している。
文章技術は感情を増幅する為にある
もちろん、文章技術は大切だ。
ただ、俺は文章技術を「綺麗な文章を書く為だけのもの」とは考えていない。
文章技術とは、既に動き始めている感情を、さらに深く読者へ浸透させる為の増幅器だと思っている。
映画で言えば、
カメラワーク
音楽
照明
編集
に近い。
漫画で言えば、
コマ割り
表情
余白
ページをめくるタイミング
に近い。
つまり文章とは、「感情体験を読者へ届ける演出装置」でもある。
どれだけ綺麗な文章でも、感情の核が存在しなければ、読者の心へ深く残りにくい。
逆に、物語構造が強ければ、媒体が変わっても感情体験は残る。
物語構造は媒体を超える
最近の出版社は、最初から映像化やメディアミックスを視野に入れていることも少なくない。
何故なら、強い物語構造は媒体を超えるからだ。
小説が映画になる。
漫画になる。
アニメになる。
それでも面白い作品は、核が壊れない。
キャラクターの欲求。
愛着。
喪失。
回収。
テーマ。
それらが感情として成立しているからだ。
逆に、文章だけに依存していると、媒体が変わった瞬間に核が消えることがある。
だから俺は今、まず「物語として成立するか」を重視している。
このシーンは何の為に存在するのか。
この会話で何が変わるのか。
この日常は後に何を失わせるのか。
最後に何を回収するのか。
それを考えながら、構造と感情導線を繋いでいる。
物語構造とは、感情体験の地図である
物語構造という言葉を聞くと、冷たい設計図をイメージする人もいるかも知れない。
だが、俺はそうは思っていない。
物語構造とは、読者の心をどこへ連れて行くかを考えることだ。
どこで笑わせるのか。
どこで苦しませるのか。
どこで失わせるのか。
どこで救うのか。
つまり、感情体験の地図である。
綺麗な文章を書くことは大切だ。
だが、それ以上に大切なのは、その文章が何を運んでいるのかだと俺は思う。
読者へ何を感じて欲しいのか。
どんな感情を残したいのか。
物語は、その為に存在しているのだと思う。
