美輪明宏とZeki Mürenの比較がしたい
NHK・映像の世紀バタフライエフェクト「銀座 百年の記憶」を見た。
2025年11月10日(月曜日)22時放送。
びっくりしたのは美輪明宏(みわ・あきひろ)さん。
どのような方かよく知りませんでした。
Google検索で調べたが、確たることが分からない。
講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus、日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」、NHKアーカイブス放送史・人物・美輪明宏、美輪明宏公式サイトのプロフィール、NHK・映像の世紀バタフライエフェクト「銀座 百年の記憶」などの情報をまとめると、
美輪明宏(みわ・あきひろ)
1935- 昭和後期~平成時代のシャンソン歌手、シンガーソングライター、俳優、演出家。
昭和10年(西暦1935年)5月15日生まれ。長崎県出身。小学校の頃から声楽を習う。国立(くにたち)音大付属高中退。16歳にしてプロ歌手となり銀座のシャンソン喫茶「銀巴里(ぎんぱり)」を拠点に活躍。昭和27年(西暦1952年)、丸山明宏(まるやま・あきひろ)としてシャンソン歌手でデビュー?美少年ぶりが評判になり、当時「シスターボーイ」と呼ばれることがあった。(注意!:英辞郎でsister boyを調べると「差別語」とはっきり書いてあります。現在では不適切な語です。外部からのレッテル張りです。当時の状況を伝える目的のため、やむを得ず表記しています。筆者は、差別的な表現を一切容認・推奨するものではありません。読者の皆様に不快な思いをさせてしまう可能性について、深くお詫び申し上げます。ご理解とご配慮をお願いいたします。)キャリアを通じて、ジェンダー規範にとらわれない表現を貫き、「性別を超越した存在」を自認していることで知られているようだ。クラシック・シャンソン・タンゴ・ラテン・ジャズを歌う。昭和32年(西暦1957年)「メケメケ」が大ヒット。ファッション革命と美貌で衝撃を与える。日本におけるシンガーソングライターの元祖として「ヨイトマケの唄」ほか多数の唄を世に送り出す。昭和42年(西暦1967年)寺山修司の「演劇実験室・天井桟敷」の旗揚げ公演「青森県のせむし男」に主演。続いて「毛皮のマリー」、その翌年、三島由紀夫に熱望され「黒蜥蜴」に主演し絶賛される。黒蜥蜴:江戸川乱歩の小説。三島由紀夫が戯曲化。更に深作欣二監督の映画(昭和43年[西暦1968年]公開)もある。「ヨイトマケの唄」のヒットのあと、三島由紀夫の脚本「黒蜥蜴」などの舞台で、単なる「女装(この言葉は矮小化に繋がるので慎重に使いたい)」ではなく、美輪明宏さん自身のジェンダーレスな美学を体現する形で女性役を演じ、絶賛された。昭和47年?(西暦1972年)?昭和46年?(西暦1971年)?美輪明宏に改名。
三島由紀夫は「仮面の告白」という小説を書いている。
トルコで著名なZeki Müren(1931-1996)もGoogle検索で調べたが、確たることが分からない。
少なくとも歌手で、俳優で作曲家。
たしかDevlet Sanatçıになっているんだよね。
トルコ政府のWEBサイト(ドメインが「.gov.tr」である事に注意してください)
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T.C. Kültür ve Turizm Bakanlığı
1991 Yılında Seçilen Devlet Sanatçıları
https://guzelsanatlar.ktb.gov.tr/TR-3174/1991-yilinda-secilen-devlet-sanatcilari.html
→ここのページで、西暦1991年にDevlet Sanatçıに選出としてZeki MÜRENの名前がある。
Devlet Sanatçıになったトルコ古典音楽の人物は重要人物ばかり。Alâeddin Yavaşcaとか、Necdet YAŞARとか、Yesari Asım ARSOYとか。
Zeki Mürenが出演して歌っていた映画の断片を見かけたことがある。アルメニア正教徒のBimen Şen作曲のSultânî Yegâh Şarkı - Al sazını sen sevdiceğim şen hevesinleをZeki Mürenが歌っていた記憶がある。
Zeki Müren氏も公の場やステージで女性的な衣装を取り入れていたようだ。しかし、近年のRecep Tayyip ERDOĞAN大統領の下での、および、トルコにおける公正発展党(AKP)政権下での保守化傾向、イスラームの宗教派よりの傾向(世俗派では無く)やLGBTQ+への抑圧的状況が、Zeki Müren氏の過去のジェンダー非規範的な表現に関する情報の開示に影響を与えている可能性を指摘したい。男性の姿の写真が強調されているように見受けられる。この点については、信頼できる情報源に基づく更なる検証が必要。
IMDbの説明によれば、(元は英語の文。ahmet kozanさんという方が書いた英文だが、この人が誰か、この英文が信用できるか不明。)
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Zeki Mürenは一度も結婚しませんでした。1950年代、彼はその特別な振る舞い、服装、そしてステージでのパフォーマンスによって、人々の関心を常に最高潮に保つことに成功しました。(中略)女性的なスタイルの服を好み、新しい髪型とメイクでパフォーマンスを行いました。
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信頼できる情報が必要。
1950年代と言えば美輪明宏が丸山明宏として銀巴里で歌っていた頃。
生まれた年も美輪明宏さんが西暦1935年、Zeki Mürenが西暦1931年と近い。
現在のトルコは、残念ながらLGBTQ+への権利や表現に対する理解が乏しく、抑圧的な傾向にある。こうした背景が、Zeki Müren氏のような過去のジェンダー非規範的なアイコンに関する議論を難しくしている。
トルコ共和国の前身のオスマン朝時代はしばしば少年愛(ペデラスティ)について詩にしていた。
※現代の性的指向やジェンダー・アイデンティティとの混同に注意。
美輪明宏氏とZeki Müren氏を比較するにあたり、単に「女装(この言葉は矮小化に繋がるので慎重に使いたい)」という表面的な共通点だけでなく、1950年代という同時代に、それぞれの社会(日本とトルコ)において、どのようにジェンダー規範からそれた芸術的表現を確立し、大衆に受け入れられたかという点を調べたい。この表現がどのような意味を持つかを調べたい。
美輪明宏氏とZeki Müren氏ともに歌・音楽と関わりがある。
