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進撃の巨人から学ぶ希望リテラシー──希望とは、絶望の反対ではない

はじめに──私たちは何に希望を感じるのか

『進撃の巨人』という作品は、多くの人にとって絶望の物語として記憶されているかもしれない。

巨人に襲われる人類。
理不尽な死。
終わりの見えない戦い。

誰が見ても、明るい世界とは言い難い。文字通り、世界は「クソみたい(理不尽)」な状況の連続だ。

ところが私は、この作品に強い希望を感じていた。
それも、主人公のエレンに対してではない。
私が惹かれていたのは、調査兵団の分隊長であるハンジ・ゾエだった。

なぜなのだろう。
最近になって、その理由が少し分かった気がするのだ。

■巨人を憎むのではなく、巨人を知ろうとした人

調査兵団の多くは、巨人に仲間や家族を奪われていた。

だから巨人を憎む。
倒そうとする。

それは自然な反応だ。

しかしハンジだけは少し違った。

彼女は巨人を恐れていた。
危険性も理解していた。
実際に目の前で、多くの仲間を巨人によって失ってもいる。

巨人の恐ろしさを知らなかったわけではない。
憎んでいなかったわけでもない。
むしろ誰よりも、その脅威を理解していた。

だからこそ不思議なのだ。

なぜ彼女は、
「駆逐してやる」

より先に、
「なぜ?」

を発動できたのだろう。

なぜ巨人は動くのか。
なぜ人を食うのか。
何を考えているのか。
どのような性質を持っているのか。

多くの人が「排除すべき対象」として見ていたものを、
彼女は「理解すべき対象」として見ていた。

これは極めて奇妙な態度である。

作中最強の、そして私の知る限りフィクションの登場人物の中でも最強クラスの「変態」だと思う。

しかし私は、この態度に強く惹かれてしまう。

■正義感よりも好奇心

もちろんハンジには正義感がある。
人類を守りたいという思いもある。

しかし彼女を突き動かしていたのは、それだけではない。

むしろ、
正義感よりも好奇心が前に出ている。

普通なら、
「危険だから遠ざける」

あるいは、
「危険だからいち早く排除する」

になるところを、

彼女は、
「危険だからもっと知りたい」

となる。

これはある意味で危険で、極めて変態的な態度だ。

しかし、イノベーションも、新規事業も、科学も、哲学も、実はこの危険な態度から生まれている。

私の理解では、多くの「知の巨人」たちもそうだった。

ポランニー。
モラン。
ルーマン。
ゴフマン。

彼らは問題を解決する前に、
まず問題そのものを面白がってしまった人たちだった様に見える。

■希望は楽観主義ではない

私たちは希望という言葉を聞くと、

「未来はきっと良くなる」

という意味で捉えがちだ。

しかし、現実はそう単純ではない。

未来が見えないこともある。
状況が悪化することもある。
努力が報われないこともある。

そんな時、

「大丈夫」
「きっとうまくいく」

と言われても、あまり力にならない。

私は長い間、
希望の反対は絶望だと思っていた。

しかし今は少し違う。
希望の反対は悲壮感、つまり「世界に対する諦め」なのかもしれない。

世界が理不尽であることを知りながら、
なお世界への興味を失わない人がいる。

ハンジはその代表例だった。

彼女は楽観主義者ではない。
むしろリアリストだった。

巨人の恐ろしさを知り、
仲間の死を知り、
人類の置かれた状況を知っていた。

それでも悲壮感に飲み込まれなかった。

なぜなら、
彼女は巨人を問題としてだけでなく、
謎として見ていたからだ。

私が最近考えている希望リテラシーとは、
未来を楽観する能力ではない。

むしろ、

「世界はまだ分かっていない」

という事実に耐え、

興味を持ち続ける能力である。

それはある意味で、
人類には未だ解明できていないことが山のようにある、
という知的な謙虚さでもある。

そして同時に、
だからこそ世界にはまだ可能性が残されている、
という感覚でもある。

■左手の論理

私は以前から、右手と左手という比喩を使っている。

右手は最適化の手。生き残るための手。効率化する手。

左手は創造の手。探究する手。まだ存在しないものに触れようとする手。

ハンジは左手の使い手だった。

しかし重要なのは、
右手を捨てていたわけではないことだ。

彼女は調査兵団の指揮官でもあり、
凄腕の戦士でもあった。

巨人の生態を解き明かそうとする一方で、
実戦では冷徹に作戦を指揮し、
新型兵器の開発も推進する。

極めて現実的な人物でもある。

だからこそ生き延びることができた。

右手を添えながら、
左手の論理で生き続けていたのである。

■調査兵団はDIYだった

考えてみれば、調査兵団がやっていたことは、私の提唱するDIYそのものだ。

正解はない。
保証もない。
予算も限られている。

それでも、

壁の外へ出る。
観察する。
試す。
失敗する。
学ぶ。
また出る。

まさに、

「出ろ、行け、やれ」

である。

彼らは巨人を倒すためだけに外へ出ていたのではない。

世界を理解するために外へ出ていた。

だから私は、調査兵団をイノベーションチームのように感じる。

■秘密基地が希望を支える

しかし忘れてはならないことがある。

ハンジは一人ではなかった。

壁があった。
仲間がいた。
立体機動装置があった。
調査兵団という組織があった。

つまり、
探究を支える秘密基地があった。

希望は個人の資質だけでは生まれない。
好奇心を守る場が必要なのだ。

だから私は、
自身が代表を務めるビジネスモデルイノベーション協会やグロースワークスのような活動母体や、Vlag Yokohamaのような活動拠点を持つことを、

ある種の秘密基地の運用だと思っている。

そこでは、

「それ面白いね」

が許される。

だから人は探究を続けられる。

おわりに──希望とは世界への参加をやめないこと

希望とは何だろう。

以前は漠然と、
希望とは未来への期待だと思っていた。

光のようなものだ。

しかし今は少し違う。
希望とは、
世界への参加をやめないことではないかと思う。

今は光が見えていなくても、
その可能性に開かれたスタンスこそが希望そのものなのだ。

世界は複雑だ。
理不尽だ。
時にはクソみたいだ。

それでも、

「なぜ?」

と問い続ける。

近づく。
触れる。
理解しようとする。

その姿勢そのものが希望なのではないか。

ハンジは、最後まで世界への興味を失わなかった。

だから私は彼女を英雄だと思う。

最強だったからではない。
正しかったからでもない。

世界が理不尽であることを知りながら、
なお「なぜ?」をやめなかったからだ。

私たちはどうだろう。

分からないものに出会った時、
すぐに判断しようとしていないだろうか。
すぐに排除しようとしていないだろうか。

希望とは、未来が約束されていることではない。
世界への参加をやめないことだ。

そして希望リテラシーとは、
私たちの中にいる小さなハンジ、
つまり変態を守り育て、
世界への参加を更新し続ける技術なのかもしれない。

最後までお読み頂きありがとうございました☆

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