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希望リテラシー最大の落とし穴──構造が見えるほど、人は絶望するのか

「対症療法ではなく、根治療法が大切だ。」

問題解決でも、価値創造でも、よく耳にする言葉です。

そのためには、表面的な相関関係だけではなく、その現象を生み出している因果構造やメカニズムを理解しなければなりません。

だから私は、これまで何度も、

「構造を見ましょう。」

と書いてきました。

社会問題も。
組織の課題も。
人間関係も。

目の前の現象だけではなく、その背後にある構造を見ることが、本質的な問題解決にも、新しい価値創造にも不可欠だと考えてきたからです。

しかし、最近ひとつ、大きなことに気がつきました。

構造を見ることは、とても苦しい。

そして、それこそが希望リテラシー最大の難所なのかもしれない、と。


構造を見ると、見なくてもよかったものまで見えてしまう

現象だけを見ているとき、世界は比較的シンプルです。

「あの人が悪い。」
「運が悪かった。」
「もっと頑張ればいい。」

そんな説明でも、ある程度は納得できます。

ところが、構造が見え始めると世界は一気に複雑になります。

努力だけではどうにもならない制度。
長い歴史の中で固定化された価値観。
組織文化。
経済構造。

世代を超えて受け継がれる関係性。
一人では変えられないように思える現実。

構造を見るということは、世界の複雑さを引き受けることでもあります。

だから疲れる。
だから消耗する。
そして、人は現象へ戻りたくなる。

もしかすると、人間には最初から「現象で考える」という認知のリミッターが備わっているのかもしれません。

それは能力が低いからではありません。

日常生活を送るだけでも、人は十分に複雑な世界を生きています。

だから、現象にとどまることは、人間が自分自身を守るための、とても自然な知恵でもあるのでしょう。

構造リテラシーだけでは、絶望リテラシーになる

構造を見ることは、極めて重要です。

けれど、構造を見ること自体は、希望ではありません。
むしろ、構造だけを見続けると、人は絶望に近づいてしまうのです。

「社会が悪い。」
「制度が悪い。」
「資本主義が悪い。」
「会社が悪い。」

そこには確かに構造を見る視点があります。

しかし、その先がありません。

構造を見ることは、世界の問題を発見することです。

だからこそ、その先に「変えられる入口」が見えなければ、人は無力感だけを抱えてしまいます。

希望リテラシーと絶望リテラシーを分けるもの。

それは、構造を見る能力ではありません。

構造を更新できる可能性を見失わないことです。

だから私は今、「構造を見ましょう」と伝えるだけでは足りなかったのだと思っています。

構造を見たなら、一人で抱え込まない。

小さく試してみる。
誰かと対話してみる。
他の入口から世界を見直してみる。

希望とは、「構造がある」ことではなく、
「構造には、必ず別の入口がある」と信じられることなのだと思います。

希望リテラシーには、入口が四つある

ここでもう一つ、大きな発見がありました。

私はこれまで、

  • 構造リテラシー

  • 不在リテラシー

  • 変容リテラシー

  • 実践リテラシー

という順番で説明してきました。

しかし、これは理論を説明するための順番であって、人が実際に世界と出会う順番ではありません。

転職してきた人が、
「前の会社にはあったのに、ここにはない。」
と感じる違和感。これは、
不在リテラシーが入口になっています。

子どもの頃に自由な学級や秘密基地のような場を経験し、
「場が変われば人は変わる。」
と実感した人は、
変容リテラシーから世界を理解し始めているのかもしれません。

私が提唱しているDIY(でろ・いけ・やれ)のように、
とにかくやってみる人は、
実践リテラシーを入口として世界を学びます。

そして、かつての私は、おそらく義憤から
構造リテラシーへ入った人間でした。

「なぜ、こんな理不尽な構造が維持されているのだろう。」

その問いが、政治家を将来の夢として書いた小学生の私の原点だったように思います。

つまり、希望リテラシーは一本道ではありません。

どこから始めても構わない。

大切なのは、四つのモードを自由に行き来しながら、世界への理解を深め続けることなのです。

感情は、希望リテラシーの羅針盤である

では、「今、自分はどの入口に立っているのか」は、どうすれば分かるのでしょうか。

その答えが、「感情」です。

義憤。
違和感。
驚き。
ワクワク。
「やってみたい。」

こうした感情は、ただの気分ではありません。

世界との関係性が動き始めたサインです。

私はこれを、少し愛を込めて「変態EQ」と呼んでみたいと思っています。

一般的なEQが「感情を認識し、適切に活用する知性」だとすれば、変態EQは少し違います。

感情を、世界を更新する入口へと翻訳する知性です。

そして、それは羅針盤でもあります。

「今、自分は構造を見ようとしているのか。」
「違和感から不在に気づいているのか。」
「変化の可能性に心が動いているのか。」
「今こそ動きたいと思っているのか。」

感情は、今いる場所を教えてくれます。

だから、抑え込むものではありません。

世界との対話が始まったことを知らせてくれる、大切なセンサーなのです。

そのさらに奥にあるもの──関係性リテラシー

しかし、ここまで考えてきて、私はさらに深い土台があることに気づきました。

そもそも、

なぜ私たちは世界に興味を持つのでしょうか。
なぜ構造を知りたいと思うのでしょうか。
なぜ違和感を抱き、変えたいと思い、行動するのでしょうか。

その最も深いところにあるのが、関係性リテラシーです。

これは能力ではありません。
世界との向き合い方です。

「この世界は面白い。」
「もっと理解したい。」
「このままでは終わりたくない。」
「もっと良くできるかもしれない。」

そんな世界との関係性があるからこそ、
私たちは感情を抱き、
感情が四つのモードへの入口となり、
世界を理解し、更新する営みが始まります。

希望とは、世界との関係性を深め続ける螺旋運動である

私は以前まで、希望リテラシーとは「四つのリテラシーを自在に行き来する知性」だと考えていました。

しかし、今は少し考えが変わりました。

希望リテラシーとは、四つのリテラシーそのものではありません。

世界との関係性を土台とし、
感情という羅針盤に導かれながら、
構造を見て、
不在に気づき、
変容の可能性を探り、
実践を重ねる。

そして、その実践によって世界への理解が深まり、
さらに世界との関係性も深まっていく。

この終わりのない循環。

いや、同じ場所を回るのではなく、自分も世界も少しずつ更新されていく螺旋運動こそが、希望リテラシーなのだと思います。

だから希望とは、未来を楽観的に信じることではありません。

世界との関係性を育み続けること。
そして、その関係性の中で、自分も世界も更新され続けること。

希望リテラシーとは、その営みそのものなのだと、私は考えています。


最後までお読みい頂きありがとうございました☆

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