肩書を選ぶ前に、世界との関わり方を選ぶ──「コーチングを続ける。でも、コーチにはならない」という選択
私はこれまで、講師やファシリテーターとして1対多で関わるだけでなく、1on1コーチング、EQコーチング、新規事業開発におけるメンタリングなど、1対1の形も行き来しながら、さまざまな形で対人支援に関わってきました。
振り返ってみると、そこで一貫して行ってきたのは、
「関係性や言葉の力を用いて、その人が本当に成し遂げたいことを共に見出し、その人自身の力でそれを成し遂げられるように伴走すること」
だったように思います。
スキルやノウハウを渡すこと以上に、
「どんな関係性で関わるか」
「どんな言葉を差し出すか」
その積み重ねが、人の変化のきっかけになる場面を、私は何度も目撃してきました。
そうした実践を続ける中で、自分自身の世界との関わり方を、もう一段はっきりさせたいと思うようになりました。そこで2025年、CTIのCo-Activeコーチング基礎(2.5日間)と、Co-Activeリーダーシップ・ワークショップ(3日間)を、同じタイミングで申し込み、受講しました。
両方に共通していたのは、「専門性・肩書・役割」から、「視座・感性・言葉・在り方」へと、力の所在が移動する瞬間を、個人でも集団でも何度も体感できたことです。
そして、その変化を、私自身の視座や意味づけ、言葉、そしてユーモアによっても生み出せたことが、自分の「ありたい姿」を、より明確でパワフルなものにしてくれました。
この記事では、講座プロセスの詳細ではなく、私の中で何が起きていたのかを軸に、役割選択やキャリアに迷う方に向けて、「肩書を選ぶ前に、世界との関わり方を選ぶ」という視点を、できるだけ生々しく共有してみたいと思います。
◆ コーチング基礎で感じた戸惑い
Co-Activeコーチング基礎は、非常に濃密で、豊かな体験でした。
同時に、私にとっては精神的にかなりタフな時間でもありました。
「人はもともと創造力と才知にあふれ、欠けるところのない存在である」。
この前提に立ち、意図的な協働関係を結び、その関係性の力をスキルとして発揮していく。
こうしたCo-Activeの考え方には、今も深く共感しています。
それでも、その前提を共有して行われたワークの中で、私は何度も、自分が「欠けた存在として扱われている」ように感じてしまう瞬間を経験しました。
それは決して、誰かの悪意によるものではありません。リーダーの方々も、参加者の皆さんも、誠実であたたかい人たちでした。
だからこそ私は、「これは自分の受け取り方の問題なのだろうか?」と、自分自身に問い続けることになりました。
2日目の夜、感情があふれて涙が止まらなくなり、翌朝、その違和感を正直に共有させてもらいました。
泣きながら、言葉を詰まらせながら話す私の言葉を、場がそのまま受け止めてくれたことには、今でも深い感謝の気持ちがあります。あの場にいてくれた皆さんのことを、今でも大切な仲間だと思っています。
それでもなお、この体験を通して、私はひとつの問いを抱え続けることになりました。
「自分は、コーチという関わり方“だけ”で、本当に人という存在を大切に扱いきれるのだろうか?」
この問いがあったからこそ、私は「よし、これからコーチとしてやっていこう」と一気に踏み出すことはせず、立ち止まる選択をしたのだと思います。
◆ リーダーシップ・ワークショップで感じた灯火
少し重たい気持ちを抱えたまま受講したCo-Activeリーダーシップ・ワークショップでは、場の質感は似ていながらも、また異なる感覚を味わいました。
「コーチを養成する」という目的が明確だったコーチング基礎とは異なり、こでは、コーチ、コンサルタント、ファシリテーター、講師、上司、部下、参加者、メンバー ──
そうした役割や肩書にもとづく立場が、ほとんど問題になりません。
リーダーシップとは役割ではなく、どんな場面でも選び取れるスタンスである。
そして、コーチング的な関わり方は、リーダーシップの一つの在り方ではあるが、すべてではない。
そう捉えられていたからこそ、私は視座を固定せず、人としてその場に「参加」することができました。
講座では「反応的に生きるのではなく、意図的な選択として、レスポンシビリティ(Response-Ability)を活用すること」これが全てのベースにあったように思います。
これによって、まさに人生は選択や創造で世界を見出す営みであるのと同時に、自身もまた選択や創造の賜物として世界から見出された存在であるという視座から、場の力を改めて確信することができました。
そこから、どの役割でもない「内なるリーダー」とつながる感覚。
場に必要な言葉がふと降りてきて、それを差し出すと、空気が震えるように変わる瞬間。
それは「自分がすごい」という感覚ではなく、
人は誰でも、そうした力に触れうるのだという確信に近いものでした。
◆ コーチングを続ける。でも「コーチ」にはならない
これら二つの体験を経て、私の中で、ひとつはっきりしたことがあります。
私は、これからもコーチングを続けます。
関係性の力を育み、言葉を磨き、人が自分自身の力に触れる瞬間に立ち会うことを、これからも大切にしていきたいと思っています。
同時に、私は「コーチ」にはならない、という選択をします。
それは、コーチを否定するという意味ではまったくありません。
むしろ、コーチとしてコーチングに取り組む皆さんのことを尊敬していますし、必要なときには助けてほしいとも思っています。
CTIで出会った皆さんや、共に学んだ時間を否定するものでも、もちろんありません。あの場も、出会った人たちのことも、今でも大好きです。また学ばせていただきたいと心から思っています。
私が避けたいのは、「コーチ」という肩書や役割、あるいは「良いコーチであろうとする人格」に、自分自身が埋没してしまうことです。
役割に同一化しすぎた瞬間、人の持つ力や可能性を、知らず知らずのうちに矮小化してしまう。
そして何より、自分自身の力を、勝手に狭めてしまう。
そのことを、私はどこかで恐れているのだと思います。
特に私は、「共に泥にまみれる」という現場との接続を、とても大切にしているのだということも、この思索の中で改めてはっきりしました。
だから私は、一つの役割に閉じません。
コーチングも、コンサルティングも、メンタリングも、必要に応じて引き受け、必要に応じて手放す。
人と関わるときには、役割を超えて「仲間」になることを、大切にしていきたい。
その前提には、
リーダーシップ・ワークショップを通じて、涙を流しながら言語化した
「人の存在そのものや、人の想いや価値観が大切に扱われ、響き合う世界に立ち続けたい」
という、私自身の願いがあります。
だからこそ、役割は「アイデンティティ」や「居場所」ではなく、世界と関わるための、一時的なモードとして扱いたいのです。
◆役割選択に迷う人へ”決めない勇気”という選択
個人へ関わるのか、集団へ関わるのか。
コーチングか、メンタリングか、カウンセリングか。
講師か、コンサルタントか、ファシリテーターか。
それとも現場にこだわるのか、まったく別の道なのか。
学びを深めるほど、「どこに身を置くべきか」で迷う人は、少なくないと思います。
(というか、真剣な人ほど迷っている、と私は思います。)
役割選択に悩んでいるとき、私自身にとって、特に役立った問いは次のようなものでした。
どの役割を選ぶか、の前に、どんな「あり方」で世界と向き合いたいのか?
そのあり方は、人を欠けた存在として扱っていないか?
役割に自分を合わせにいっていないか?
それとも、役割を使うことで、「より”ありたい姿”で世界と関われている」か?
早く決めることや、一貫していることだけが成熟ではありません。
決めない勇気を持ち、試し、通過し続けることも、立派な成熟だと思います。
私自身、いまだにこの問いの途中にいます。
たぶん一生、途中なのだと思います。
もし、ここに書いた経験や考え方が、どこかであなたの役に立ちそうであれば、ぜひ一度、答え合わせではない話をしましょう。
肩書は横に置いて、できればコーヒーでも、ビールでも飲みながら。
これは「こうすべき」という答えを示す文章ではありません。
同じ問いを生きる人たちが、決して孤独ではないということを伝えるための、ささやかな“しるし”として、書いてみました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました☆
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