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大企業による新規事業開発における課題と解決策

はじめに

 この論説は、大企業が新規事業開発を進めるうえでの課題を整理しつつ、当方の実務経験と先達の知恵を拝借して考察し、解決策を論述することを目的とする。

 本論の主要な結論は「目的に向かって、新規・既存両方の取り組みが相互作用しながら、社外とつながり絶え間なく柔軟に進化していく必要がある」ということだ。そして、これを達成するうえで必要な取り組みを、人材や制度といった要素ごとに取り上げ考察し、大企業が取るべきアクションは「リーダーのファシリテーションによる対話の場」を起点とすべきことを述べるとともに、そこに硬直しがちな組織を変革する力が宿ることをお伝えする。



大企業における新規事業開発やイノベーションの系譜

 イノベーションの担い手として、スタートアップに注目が集まる一方、大企業に対する新規事業開発の重要性、とりわけイノベーションの担い手としての期待も引き続き大きい。これは、単に業績維持のために外的環境へのキャッチアップが要求されることに留まらず、サステナビリティへの貢献やテクノロジーの社会実装など、「より良い社会の実現にビジネスの力を活用する」ことへの期待がある。また、この営みが従業員のさらなる成長やモチベーションの維持向上、あるいは人材獲得や離職防止等にもつなげたいといった、内的な期待もあるだろう。

 世界的に著名な経営学者、ピーター・ドラッカーは「企業の目的は顧客の創造である」という言葉を残している。「利益の追求」ではなく「顧客の創造」としているのは、既存の事業をただ続けるのではなく、新たな市場を開拓し続ける必要があることを示唆していると言えるだろう。

 近年、多くの企業で既存のビジネスモデルが行き詰まりを見せているのは、変化の激しい「VUCA時代」と呼ばれる昨今において、既存事業が衰退に向かうスピードが早まっていることが挙げられる。加えて、それが予想外に劇的に進行する可能性をも示唆しており、このリスクを回避するためには、安定した収益基盤やネームバリューを持つ大手企業であっても、新規事業によって常に新たなマーケットを探し続ける姿勢が求められるのだ。

 ここで言う新規事業とは、もちろん単なる新たな製品サービスの開発ではなく、組織全体が持つリソースや能力を活用して市場に新たな価値を提供することを指し、既存の事業領域や市場において成熟化した競争状況に直面する中で、持続的な成長や競争力を維持するための重要な取り組みとしたい。

 それではここから、これまでどのような考え方で、大企業における新規事業開発やイノベーションが推進されてきたのか、関連する戦略や概念を時系列で整理し、それぞれの概要と問題点を指摘することで概観してみよう。

【イノベーションのジレンマ】

大企業として正しい選択がイノベーションの失敗となる

◆概要:1997年、大企業として、正しい戦略・正しいオペレーションを継続した結果、スタートアップに敗北する構造を喝破したクレイトン・クリステンセン氏による著書『イノベーションのジレンマ』が出版された。これにより「持続的イノベーション」と「破壊的イノベーション」の2種類のイノベーションが定義された。大企業の得意とする持続的イノベーションによる既存事業領域における利益拡大のみに固執していると、破壊的イノベーションに「破壊される側」となってしまうことが実例とともに論考されている。

◆実行上の問題点:自社内でのカニバリゼーションを恐れず、広い視野で市場を捉える能力を獲得するのは、単一企業の自助努力では難しい事が著書内でも指摘されている。これを乗り越えるためには経営者の英断だけでも、現場の努力だけでも難しいことは自明である。

【オープンイノベーション】

独りよがりのイノベーションは成功しない

◆概要:2003年にUCバークレービジネススクールのヘンリー・チェスブロウ氏が提唱した、企業が外部のアイデアや技術を積極的に取り入れるアプローチで、外部のパートナーやスタートアップ企業と協力し、共同でイノベーションを推進する手法を指す。これにより、企業は内部だけでなく外部のアイデアや技術も活用し、イノベーションのジレンマを解消できる可能性がある。

◆実行上の問題点:オープンイノベーションの重要性が叫ばれつつも、知財等に関する保守的な考え方や、大学・スタートアップ・大企業のカルチャーやスピード感などの差が大きく、大企業の研究開発部門が単にオープンイノベーションを志向しても有効な手法とはなりえなないケースが多発した。大企業同士の協業場面においても、お互いの「現状保有リソース」を洗い出して掛け算を試みても、そこから新たな価値の創出につながることは稀であり、多くの場合で協働が徒労に終わってしまっていることは想像に難くないだろう。

【出島戦略】

既存の“しがらみ”から積極的に逃れる必要がある

◆概要:2012年頃から有識者によって提唱され始めた、既存組織から隔絶された別組織を構築し、そこから新しいアイデアや製品を生み出すことで競争優位を築く戦略。前述したオープンイノベーションの問題点をクリアするための一つの手法とも捉えられる。現在では、オープンイノベーションに限らず、クローズドイノベーションを推進する場合や、CVC(コーポレートベンチャーキャピタル)を運用する場合にも出島が有効とされ始めている。江戸時代における長崎の「出島」の機能に倣ったネーミングではあるが、日本独自の考え方ではない。例えば、Google社がAlphabet社を設立し、成功した既存事業であるGoogleとその他のイノベーションにつながる事業活動とを分離した動きなども、出島戦略として捉えることができるだろう。

◆実行上の問題点:独立した組織であるメリットはデメリットの裏返しでもあり、市場や自社リソースへの接点が希薄となり、内外の情報の流れが制限される孤立化が進む懸念が強い。また、独立させるためのリソースが同一組織であった場合と比べ当然より多く必要となるため、その成果や価値に反して「リソースの浪費」とみなされるケースが多い。日本企業が、シリコンバレーに「拠点を作っただけ」になってしまっている例などは、出島戦略の失敗事例と言えるだろう。


【両利きの経営】

分離か統合か、の二者択一ではない“清濁併吞”が必要

◆概要:2019年、チャールズ・A・オライリー氏らの著書で記された戦略であり、企業の持続的成長には、現在行っている事業を安定成長させること(深化)と、新しい挑戦・イノベーション(探索)の両方をバランスよく行うことが大切だとする考え方だ。前述の「出島戦略」は、まずは探索側、つまり新しい挑戦・イノベーションの活動にフォーカスした出島組織を構成し、そこで得た知見を、既存の組織・事業に還元し深化側の活性を促す戦略であり、「両利きの経営」の一つの手法であるとも捉えられる。しかし、出島戦略の問題点として指摘した通り、出島に対する”本島側”に能動的な変革の意思がない限り、人の往来程度で本格的な影響を及ぼすことは難しい事は明らかだろう。「両利きの経営」の本質は、探索も深化のバランスを保ちながら、それぞれの活動が目的をもって相互作用をすることであり、必ずしも独立した組織を構成することだけが解ではないと言える。

◆実行上の問題点:リソースの配分が難しく「どっちつかずの経営」になりがちであること、組織も人も「利き腕」があるように、文化との適合性が偏ること、意思決定が複雑になること、などが問題点として挙げられる。両利きの経営を実践するうえでは、様々なレイヤーで、意図的にこれらのバランスを取るという高度なマネジメントスキルが求められる。

【ダイナミック・ケイパビリティ】

探索と深化を継続し、自らの意思で新たな能力を獲得し続ける

◆概要:時系列としては少し遡るが、1997年頃からカリフォルニア大学バークレー校のデイビッド・ティース氏により提唱されてきた「ダイナミック・ケイパビリティ(動的能力)」という概念がある。急速な市場変化や競争環境の中で、組織内外の変化に柔軟かつ迅速に対応する能力を指し、企業に競争優位と持続的な成長をもたらすとされている。ここでいう能力は、組織のリソースやプロセス、文化、サプライチェーンなど、様々な要素が組み合わさっており、これらが相互作用して変化に対応するための力を生み出す。「両利きの経営」は正にこのダイナミック・ケイパビリティを獲得し、継続的にそれを発揮し続ける経営手法ともいえるだろう。

◆実行上の問題点:変化への対応力(キャッチアップ)のみに力点がおかれがちであり、この視座にとどまると、市場動向や競合他社のシェア率、テクノロジーや生活様式の変化、政治経済の動きなど、予測すべき要素が多岐にわたりすぎることが大きな問題になる。VUCAの時代に、すべてを正確に予測するのは困難であるからこそ、近年「パーパス経営」などでも提唱されている様な、内発的な目的作りこそが必要となる。

 ここまで、イノベーションのジレンマにより喝破された『大企業として正しい選択がイノベーションの失敗となる』状況を克服するための幾つかの代表的な取り組みを見てきた。自社内に閉じた『独りよがりのイノベーションでは成功しない』状況を打開すべくオープンイノベーション等が推進されたが、単に外部とつながろうとするだけでは打開策とはなり得ず、『既存の“しがらみ”から積極的に逃れる必要がある』ことを反省し出島戦略なども提唱された。

 しかしながら、自社のリソースを有効活用しないことには大企業で新規事業に取り組む意義に乏しいことから『分離か統合か、の二者択一ではない“清濁併吞”が必要』であることが経験としても深く理解された。そして、これに取り組むには、人や組織の絶え間ない進化と調整によって『探索と深化を継続し、自らの意思で新たな能力を獲得し続ける』ことが企業の持続的成長に欠かせない要件となることが見えてきた。

 それでは、この要件を満たした戦略を具体的に実行するにはどの様な戦術が必要となるだろうか。探索と深化それぞれに必要な「人材」をマネジメントする「制度」と、それらを適切に「評価」をしつつ「市場」に向き合い社会に変化をもたらすとともに、これらの各要素の中で様々なレイヤーでの意図的・能動的な「リーダーのファシリテーションによる対話の場」があれば大きな可能性が開けることを本論では指摘してみたい。

 そのため、ここから「人材」「制度」「評価」「市場」「コミュニケーション」の要素ごとに、現状課題と解決策としてのアクションを検討する。


人材(当事者・マネジメント)

【現状課題】
 新規事業開発やイノベーションにおいて、人材は特に欠かせない要素だ。しかし、そもそも大企業には新規事業開発の当事者となる挑戦者が少ないだけでなく、経験者・成功者も極めて稀であり、当事者・マネジメント共に、適切な経験やスキルを持った人材が不足していることが、当然に指摘できる。
 ここから、企業の人材に関する問題を、採用、教育、配置の3点で掘り下げてみたい。

◆採用:多くの場合既存社員とのフィット感を基準に採用し続ける結果、人材タイプは偏ったまま硬直化しがちであると言える。加えて、日本の大企業が取り組む新卒一括採用の中では公平性や中立性の観点から、一律の採用基準を当てはめざるを得ない現状がある。

◆教育:多くの大企業では教育機会が(少なくとも中小企業やスタートアップに比べると)豊富にあるにもかかわらず、それらを実践的に活用する機会が乏しい、というジレンマがある。その要因としては、学習内容と現業職務のミスマッチや、保守的な考え方のメンバーからの反発などもあるだろう。教育は、そのスキルを発揮できる環境の提供と合わせて考えるべきなのだが、特にDXやイノベーションを志向した研修などを受けた後に、そのスキルやモチベーションの発揮場面がなく、エンゲージメントの低下や離職につながる状況が実際に起っている。

◆配置:本来、本人の希望や意欲を十分にくみ取った配置が求められる前提があり、前項の教育の部分で指摘した課題は、この配置の妙により解決されうるものだ。しかしながら「新規事業をやらされている人」と「やりたいのにやらせてもらえない人」の両方が同一社内に同時に存在している様な状況が起こっている。これは、既存事業と新規事業の適性を考慮せず、既存事業での優秀者が新規事業でも成果を出せるはずだ、といった勘違いが不幸の原因だと指摘できる。

【解決策】
 上記現状の打開策となりうるのが、近年注目されている、エフェクチュエーションと、プロティアンキャリアであり、それぞれ考察してみたい。(人材評価に関する指摘は後述する)

◆エフェクチュエーション:熟達した起業家が、多くの不確実性に対処するうえで用いる意思決定の論理について研究したところ、目の前にある手段を最大限活用することで生み出すことのできる「効果(effect)を重視する」という特徴があったことから、この名前が付けられたとされている。イノベーションを再現性のある取り組みにする上でも非常に示唆に富んでいるのだが、対比される考え方である、目標からの逆算で計画〜実行していくコーゼーションと、どちらも組織に必要な考え方であるが、イノベーションを推進するならば、一定程度エフェクチュアルな人員を採用・育成する必要がある。

◆プロティアン・キャリア:一つの職種、あるいは企業に固執せず、柔軟にキャリアを変容させる考え方であり、近年、このようなキャリアを歩む事が個人にも求められるのと同時に、そのような変化への許容のある人材は変革を求める企業にとっても魅力的になってきている。プロティアン・キャリアを社外で歩んできた人材を積極的に採用する事はもちろんだが、多様な役割や事業を持ちうる大企業だからこそ、社内でのキャリア形成においても、これを実現させうることを強みに変えていく事ができるだろう。多くの社員に新しい事業やプロジェクトに参加する機会を提供することで、従業員の多様なスキルや経験を活かし、イノベーションを推進することが可能となる。  


【まとめ】

 探索と深化、それぞれの目的に沿って実行する人材を確保するためにも、エフェクチュアルな人材とコーゼーショナルな人材を、採用、教育、配置それぞれの面でバランスよく行う必要がある。同時に、最適な配置は常に流動的であることを前提に、プロティアン・キャリアを受け入れ、それを活用することによる相互作用が生まれる場として、職場・組織をデザインして行く必要がある。
 その上で、教育と実践の分断が大きなジレンマを生んでいる状況を打開することは、多くの企業にとって急務であろう。将来必要となるかも知れない知識や概念のインプットも無駄ではないにしろ、実践を本人任せ・現場任せにしないコミットメントのためにも、それを実現する「制度」に関してこのあと見ていこう。


制度(公募〜インキュベーション)

【現状課題】
 新規事業・イノベーションの推進には、前項で検討した人材の観点に加えて、活動を支援する制度が要求される。一方で、制度により規制や手続きが増えることで、新規事業のスピードや柔軟性を制限してしまうジレンマが生じるケースも多い。
 ここでは、イノベーション推進にまつわる制度ついて、ISO、20%ルール、アクセラレーションプログラムの3点を切り口に、制度設計上の課題を指摘し、解決策を提示してみたい。

◆ISO:昨今「イノベーション・マネジメントシステム」がISOマネジメントシステムとして規格化された。それだけ、経営がイノベーションにコミットする向きがあることは歓迎すべきだ。ただし、一般的に、ISOマネジメントシステム規格は手続きや規則を整備することによって組織の効率性や品質管理を向上させることを目指している。それ故に、品質そのものは対象ではないことから、手続きそのものが改竄されると、期待される効果を発揮しないことは、様々な業種業態の不祥事からも見て取れる。更に、イノベーションに関しては、その本質的な特性が手続きや規則の整備だけではカバーしきれないことを考慮し、手続きを増やして行動を制限することなく、目的に沿った行動を促進する様な運用が求められる。尚、これらの指摘は、ISOであるかにかかわらず、ステージゲート法など含め、各種制度に関して本質的に同様である。

◆20%ルール:勤務時間の20%を、新しいプロジェクトやアイデアの開発等に自由に活用することを奨励する制度。Google社の取り組みが有名である他、多くの企業で取り入れられている。しかし、この20%の活動が適切に評価されなかったり、あるいは、「自由」とは名ばかりに申請や承認のプロセスが厳格に運用されているケースも散見され、目的とした成果が得られていない場合も多い。

◆アクセラレーション・プログラム:社内外の公募から事業化までのインキュベーションを含め、新規事業やイノベーションへの取り組みが多くの企業で制度化されている。しかしながら、前半に紹介した「出島戦略」と同様の問題として、ただでさえセクショナリズムが強い大企業内の組織構造においては、このアクセラレーションプログラム自体が「孤島」となってしまう状況が観察できる。このような閉鎖性は当然、イノベーションを難しくする要因だ。 プログラム終了後に「引き取ってくれる事業部がない」などの問題に直面した参加者が孤軍奮闘の結果、路頭に迷っているような状況はマネジメントの問題であると捉えたい。

【解決策】
 上記の制度を形骸化せずに本来の目的に沿った形で運用するための考え方として、野中郁次郎氏らによるSECIモデルと、心理的安全性、及び人材の流動性について考察する。

◆SECI モデル:個人が持つ知識や経験などの暗黙知を、形式知に変換した上で組織全体で共有・管理し、それらを組み合わせることでまた新たな知識を生み出すフレームワークであり、知識創造のプロセスを 「共同化」 「表出化」 「連結化」 「内面化」 に分けて説明している。また、この4つのフェーズがそれぞれ活性化するには、それに対応した「創発場」「対話場」「システム場」「実践場」の4つの場が必要であるとされている。それぞれが制度や仕組みがこれらの「場」として明確に連結されることで、先述した課題を解決することにつながるだろう。「両利きの経営」や「イノベーション・マネジメントシステム」はトップのリーダーシップに依存するところが大きいが、SECIモデルはボトムアップのプロセスが内包されており、相補的に捉えることができるだろう。

◆心理的安全性:組織行動学を研究するエドモンドソンが1999年に提唱した心理学用語で、「チームの他のメンバーが自分の発言を拒絶したり、罰したりしないと確信できる状態」と定義される。心理的安全性のある組織では、組織の中で自分の考えや気持ちを誰に対してでも安心して発言できる状態となり、生産性の向上やイノベーションに良い影響をもたらす。組織の制度は特に実運用や見直しのプロセスにおいて人間関係と密接に関わることから、活性化させるためには相互信頼や援助が不可欠だが、心理的安全性がこれを担保することになる。上記で示した各制度やSECIモデルを運用する場合にも当てはまる。

◆人材の流動性:転職市場の話も含みつつ、ここでは社内の人材の流動性の担保について言及する。これにより、人材公募、異動希望の自由度が高い制度は、組織内での知識やアイデアの共有と交流を促進し、イノベーションの創造力を高めると同時に、組織全体の能力や柔軟性を向上させることが期待できる。これは先述したプロティアン・キャリアを社内で実現することにもつながる。この際、役割に人を充てる考え方だけでなく、人に応じた役割を与える事を積極的に実施することが、探索的な活動に特に大きな効果を発揮するだろう。


【まとめ】
 大企業におけるイノベーションを促進するためには、適切な制度が不可欠だ。しかし、制度化された取り組みがイノベーションのスピードや柔軟性を制限する可能性について、ISOや20%ルール、アクセラレーションプログラムなどの制度を例に言及した。これらの課題に対処するためには、SECIモデルや心理的安全性の概念を適切に活用することや、人材の流動性を発揮することが突破口となる。
 大企業のイノベーションを推進するには、制度の運用において柔軟性を保ちつつ、SECIモデル等の各制度を接続・統合する考え方を、心理的安全性に配慮しつつ取り入れることが重要であり、これによって、組織内の知識共有や新規アイデアの育成が促進され、持続的な成長に繋がる可能性が高まる。
 これらの制度運用のドライバーは内発的な動機ももちろん重要だが、やはり「評価」も必要となるため、続けて考察してみよう。


評価(人事評価・事業性の評価)

【現状課題】
 大企業における新規事業の評価には、短期的な評価基準が優先され、長期的な期待や価値が適切に評価されないという課題がある。また、新規事業への挑戦を抑制する要因として、功労者であるイントレプレナーに対する適切なリターンの提供や、プロセスへの評価の不足が挙げられる。
 これらの課題について、人への評価であるいわゆる人事評価と、取り組まれる事業に対する評価の2つの観点から見ていきたい。

◆人事評価:新規事業やイノベーションに参画する従業員は、通常の業務とは異なるリスクを取り、創造性や柔軟性、リーダーシップなどの能力が求められる。従業員の貢献や成果を評価する際には、新規事業における役割や業績を適切に考慮する必要があるだろう。また、新規事業への参加は成長と学びの機会であり、成果よりも成長を重視する覚悟が求められる。そのため、人事評価では従業員が新規事業やイノベーションに関わることで得た経験や成長そのものを適切に評価する必要がある。しかし現状において、既存事業と同じ基準で評価されてしまっているケースも少なくない。

◆事業性の評価:事業性の評価においては、長期的な持続可能性や成長戦略を見失わないようにする必要がある。このため、四半期ごとのP/Lだけでなく、長期的な価値創造を重視する必要がある。役員の任期による影響を考慮し、事業戦略の持続性を確保するためには、定期的な戦略の見直しや目的の共有が必要である。それと同時に、バリュエーションを考慮し、伝統的な財務指標だけでなく、事業の価値を総合的に評価する考え方を学習する必要があるだろう。短期的なP/Lで既存事業並みの収益をもたらすことが期待される状況では、育つものも育たない状況だ。

【解決策】
 上記の状況を打開する施策について、人事制度の複線化と事業評価制度の2点から検討してみたい。

◆人事制度の複線化:新規事業やイノベーションに従事する従業員の貢献や成果を評価適切に考慮するには、成果や貢献はもちろん、成長と学びの機会としての価値を認識し、従業員が新規事業に参加することで得た経験や成長を対象とすることが重要だ。そのため、既存事業とは異なる制度を運用する「複線化」が解決策となりえる。また、 イントレプレナーに対するリターンを適切に提供するために、新規事業の成功に応じた報酬やキャリアパスを設計することも有効だろう。これにより、イントレプレナーのモチベーションが高まり、新規事業への挑戦が促進される。

◆新規事業評価の導入:大企業における新規事業やイノベーションの評価手法として、長期的な視点を重視し、四半期ごとのP/Lだけでなく、事業の持続可能性や成長戦略を評価する指標を導入する。これには、伝統的な財務指標に加えて、事業のバリュエーションを総合的に評価する方法が含まれる。バリュエーションの担い手は、担当者や評価者、あるいは決済者とは異なる、客観性のある者が担当すべきだ。また、新規事業の価値や潜在的な成長を正確に評価するために、長期的な目標や指標を設定する。更に、役員の任期による影響を最小限に抑え、事業戦略の持続性を確保するために、役員の若返りも検討が必要となるだろう。

【まとめ】
大企業における評価の問題は、新規事業に対しても、それに従事する人に対しても、同様に既存事業と同一に扱う事によって生じている。そのため、複線化により、「両利きの評価」を実現する必要があることを論じつつ、評価する側のスキルの問題もあるため、客観的な評価者を置くことにも言及した。
 ここでは主に、社内的な評価を論じたが、事業活動の真の評価者は顧客や株主といった外部から為されるものであることは欠かせない視点であろう。次節で、視点を移しながら考察を続けたい。


市場(株式市場・競合との差別化)

【現状課題】
 新規事業開発やイノベーションは、市場の需要や競合状況を考慮する必要があると同時に、新規事業・既存事業ともに株式市場からの評価にもさらされる。市場の動向は追い風にも向かい風にもなりうるものだが、特に、大企業が新規事業を推進する上での課題について、株式市場と競合との差別化の2点から見てみた。

◆株式市場:株主の要望に応えることとイノベーションを進めることのバランスが難しく、短期的な利益を求める株主の圧力がイノベーションの妨げになることがある。一方、主要な株主の声を遮ってでも、赤字状態でイノベーションへの再投資をし続けたAmazonの、今日の発展は、無視できないだろう。これはもちろん米国に限らず、メルカリなどの国内発のスタートアップ企業も短期的なPLよりも先述した「バリュエーション」の向上を目指し、再投資し続けて拡大している。株主を無視せよ、とまで言えるかはわからないが、経営状況によっては貸付を行っている銀行からの要求などを含め、外部のステークホルダーの存在が新規事業やイノベーションの阻害要因となることは十分に考えるべきだ。

◆競合との差別化:大企業は知名度や資本力、実績等から成るブランド力が重要なリソースなのだが、競合他社との比較にさらされる中「ブランドを毀損しない」ことを重視しすぎるとイノベーションを阻害する要因となる。新規事業やイノベーションの取り組みであるにも関わらず、既存製品と同等の品質保証が要求され、β版のリリースはおろか、MVPやプロトタイプですら「門外不出」になるような状況が起こり得る。これらが、早期の収益化の可能性を遠ざけ、売れるのに売らせてもらえない、というジレンマすら生じかねないのだ。

【解決策】
 「株式市場」と「競合との差別化」がイノベーションに与える悪影響を解消するための解決策には、以下の点が考えられる。

◆投資家への説明と期待管理: イノベーションへの投資が将来的な成長に繋がることを投資家に説明し、長期的な視点での投資を奨励する。もちろん、株主とのコミュニケーションを重視し、新規事業計画や戦略に関する情報を透明に共有することは不可欠だ。株主に対して、事業の背景、目標、リスク、見込まれる成果などを説明し、彼らの理解と信頼を得ることが重要だろう。そのためにも、前項で示したバリュエーションの考え方を取り入れることで、 新規事業が株主価値を向上させることが示せるだろう。

◆株主構成に対するポートフォリオの考え方:大企業の株主には、長期的な投資家、短期的な投機家、機関投資家などさまざまなタイプの人々が含まれるため、株主構成に対するポートフォリオの考え方は重要だ。 企業としての戦略や、新規事業・イノベーションの方向性が一致する株主を積極的に引き入れる事で課題が解消される可能性がある。

◆品質基準や販売戦略の複線化:大企業は既存のブランド価値や品質基準を維持するために厳しい基準を設けているが、イノベーションにはスピーディなトライ&エラーが必要でありのと同時に、リスクも伴う。そのため、イノベーションや新規事業においては、既存の製品ラインとは異なる品質基準を設定することも有効だ。また、既存事業とは異なる販売チャネルやマーケティング戦略を採用することができるようにする必要もあるだろう。ブランドを切り分けたり、別会社を設立するなども実際に取られている。

【まとめ】
 大企業が新規事業やイノベーションを推進する上で市場と向き合う際の課題として、株式市場からの評価や競合との差別化を指摘し、これらの課題に対処するための解決策として、投資家への説明と期待管理、株主構成に対するポートフォリオの考え方、品質基準や販売戦略の複線化を提案した。特に、品質基準や販売戦略の複線化は、既存のブランド価値や品質基準を維持しつつ、新たな製品やサービスに対する柔軟性を確保する重要な手段となる。このアプローチによって、イノベーションを促進し、企業の成長を支援することが期待される。


コミュニケーション

【現状課題】
 ここまで、大企業が新規事業開発に取り組む際に必要な要素として、人、制度、評価、市場の観点から見てきた。これらの各要素のなかでも、大企業がイノベーションに取り組む際には、コミュニケーションが重要であることが見えてきただろう。コミュニケーションを通じて、アイデアの共有、情報の共有、関係者の参加や理解、問題解決、そして最終的にイノベーションの推進が促進される。
 しかしながら、これらに有効な深いコミュニケーションが十分に行われている事業や組織は少ないといえる。

◆個人レベルの課題:国際調査でも明らかなように、特に日本では担当者のモチベーションが不明確であることが挙げられる。これにより、自身の意志が形成されず、対話や議論が活性化しない状況も問題を悪化させるだろう。もちろん、日本だけでなく、「言おうとしたことを言わずにやめておく」といった経験は国や文化問わず確認されていることでもあり、チームや組織全体が情報を共有し、意見を交換することで、より良いアイデアが生まれやすくなるが、それが行われないと、イノベーションの機会が逃される事になる。

◆組織レベルの課題:組織内の風通しが悪く、しがらみや横槍が入りがちなことも認識されている組織は多いだろう。大企業では、部門間の連携や情報共有が十分でない場合が多く、その結果、意思決定が遅れたり、効率が低下したりすることがあり、「サイロ・エフェクト」としても知られている。また、上層部からの指示や決定が組織内の進行を妨げることもある。

◆社会レベルの課題:顧客や資金調達先など、外部のステークホルダーとの対話が不十分で、内向きな文化が形成されていることも多い。外部のステークホルダーとのコミュニケーションが不足すると、市場のニーズやトレンドを把握できず、競争力の低下や市場シェアの減少につながる可能性がある。外部のステークホルダーとの密な対話を通じて、企業は市場の動向やニーズを把握し、それに応じた戦略を策定や資金調達等を実施することが重要だ。

【解決策】
 ここから、以下の3つの観点で、上記の課題を解消しうるコミュニケーション施策として「対話」を見ていきたい。

◆自分との対話:新規事業開発やイノベーションに取り組む際には、外部からの正解や指示を求めるのではなく、自らの経験や知識を振り返り、そこから学び取ることで、将来に向けての方針や計画を立てることが必要になる。そのため、自分自身との対話として自己認識を深めるリフレクション(内省・振り返り)は、個人として自己成長を促進し、自身の強みや課題を理解することができるだけでなく、既成概念をリフレーミングし新たなアイデアや戦略を生み出す際の基盤となる、自己の軸を見つけることができる。このような内省のプロセスを経ることで、個人は自らのマインドセットや行動様式を向上させ、新規事業やイノベーションに積極的に取り組むことが可能となる。

◆組織内での対話:心理的安全性のある組織でのダイアローグ(深い対話)は、組織を構成するメンバーがリフレクションを相互に開示し合うことから始まる。つまり、前段の自分との対話がベースとなる。その上で、このプロセスでは、個々のメンバーが自身の経験や考えを率直に共有し、お互いにフィードバックを提供し合う。これによって、チームや組織は現在の状況を把握しながら進化していく方向へと向かわせることができる。組織内での意見交換やアイデアの共有によって、多様な視点や専門知識が集積され、より創造的な解決策が生まれるプロセスは、否定の余地は無いだろう。

◆社会との対話:組織内での充分な対話の文化を拡張した、外部のステークホルダーである顧客、得意先、取引先、資金調達先などとのダイアローグが、イノベーションの原動力となる。ステークホルダーとの対話を通じて、ビジネスの方向性や目標を共有し、彼らの期待やニーズに応える戦略を練ることができることは、市場の項目でも指摘してきた。そして、顧客との対話は、市場の変化やニーズの理解を深め、顧客中心のアプローチを実現するための重要な手段となる。また、社会との対話も同様に重要であり、社会の期待やニーズに応えることで企業の持続可能性や信頼性を高め、イノベーションをより効果的に推進することが可能となる。社会との対話を通じて、企業は市場のみならず、より広い視野を持ち、長期的な成長と発展に向けた戦略を策定することができる。

 これらの対話を醸成するためには、リーダーがファシリテーションのスキルを持つ必要がある。ファシリテーションは、円滑な対話や意見交換を促し、組織内外の関係者の分断を防ぐことにもつながる。これにより、組織文化の変革が促進され、新しいアイデアやアプローチが生まれる。ダイナミック・ケイパビリティを獲得することにもつながるだろう。
 また、これらの有効なコミュケーションを行うためにも、不要なコミュニケーションを取り除いていく事は常に検討すべきだ。この点においても、一方的な指示や報告の場を、双方向の対話の場にしていく等、ファシリテーターの取り組みによる改善の余地は、多岐に渡ると言える。

【まとめ】
大企業が新規事業を推進する際、コミュニケーションとしての対話が不可欠であることを見てきた。現状況、個人、組織内、社会の3つの対話が不十分な状態でも、リフレクションや社内外での対話を粘り強く行うことで、改善していくことができるはずだ。つまり、この対話の場こそが、大企業の「伸びしろ」に他ならないと言える。
 これらの対話を促進するためには、リーダーがファシリテーションのスキルを持ち、対話や意見交換を円滑に進めることが求められる。結果として、組織文化の変革が進み、新しいアイデアやアプローチが生まれ、イノベーションが促進される。

 ここまで、本論の後半において、探索と深化それぞれに必要な「人材」をマネジメントする「制度」と、それらを適切に「評価」をしつつ「市場」に向き合い社会に変化をもたらすこと。そのためには各要素の中で様々なレイヤーでの意図的・能動的な「リーダーのファシリテーションによる対話の場」が必要であり、そこに大きな可能性があることを見てきた。

※補足(2024年8月)
「ファシリテーターは必ずしもリーダーである必要はないのではないか?」という疑問を持たれる方もいらっしゃることと思う。もちろん、外部のファシリテーターや、能力的に長けた社内人材がファシリテーターを担うことも有効な手段の一つであろう。重要なことは「リーダーが対話の場にコミットしていること」「リーダーが自らの意見を押し込む場ではないこと」「参加者の声が確実にリーダーに届いていると実感できること」にあり、これらを満たす有効な手段の一つが、「リーダーのファシリテーションによる対話の場」であることをお伝えしておきたい。

おわりに


 本論では、前半においてイノベーションへの取り組みの潮流からも『探索と深化を継続し、自らの意思で新たな能力を獲得し続ける』ことが必要であると論説した。そして、この獲得されるべき能力の要素として、後半において、人材、複線化された制度・評価、市場対応と株主のポートフォリオなどがそれぞれ「両利き」になっている必要があることを指摘しつつ、それらを有効に機能させるための「意図的・構造的な対話」を取り入れることでイノベーションが促進されることを述べた。

 ここまで見てきたように、大企業における新規事業開発やイノベーションは、組織内外の様々な要因との相互作用によって展開される。人材、制度、評価、市場といった要素がそれぞれ重要な役割を果たし、適切なコミュニケーションにより、組織全体の持続的な成長や競争力を支える必要がある。そのためには「リーダーのファシリテーションによる対話の場」を起点に「目的に向かって、新規・既存両方の取り組みが相互作用しながら、社外とつながり絶え間なく柔軟に進化していく必要がある」。これを本論の結論としたい。

 この結論における「相互作用」について、具体的な方法を示したものの一つに、「第三のイノベーション」がある。米マサチューセッツ工科大学(MIT)所属の経営学者デビッド・C・ロバートソン氏が唱えたもので、端的には「既存事業を強化するために、その周辺で補完的に行うイノベーション」と説明できる。これが、持続的でも破壊的でもないことから「第三」とされている。

 最後に、私のミッションは「社会に新たな価値を創造する挑戦者を増やすために、挑戦者を支援するとともに、自らのイノベーションへの挑戦を発信し続ける」である。これに基づき、現在社内で推進している新規事業開発は、私自身のプロティアンキャリアを活かしつつ、エフェクチュアルなメンバーと共に、3つの対話を実践しながら、この「第三のイノベーション」を「顧客との共創」によって推進している活動だといえる。
 そしてこの経験の中では、対話の場を起点とした取り組みがイノベーションの推進に極めて有効に作用しており、組織を変え得ることを確信するに至っている。詳細はまた別の機会に紹介を試みたい。

 本論をまとめることで明らかになった新規事業を遂行するうえで必要なアクションについて、引き続きミッションに忠実に行動し続けることをお約束し、本論の結びに代えさせて頂く。

【参考文献】

・イノベーションのジレンマ 増補改訂版: 技術革新が巨大企業を滅ぼすとき  2001/7/1 クレイトン クリステンセン (著), 伊豆原 弓 (翻訳)
・オープンイノベーション 組織を越えたネットワークが成長を加速する 2008/11/25 ヘンリー チェスブロウ (著), ウィム ヴァンハーベク (著), ジョエル ウェスト (著), PRTM (読み手), 長尾高弘 (翻訳)
・両利きの経営  2019/2/15チャールズ・A. オライリー (著), マイケル・L. タッシュマン (著), 入山 章栄 (翻訳), 渡部 典子 (翻訳)
・エフェクチュエーション 優れた起業家が実践する「5つの原則」 2023/8/30 吉田 満梨 (著), 中村 龍太 (著)
・プロティアン 70歳まで第一線で働き続ける最強のキャリア資本術 2019/8/8 田中研之輔 (著)
・知識創造企業(新装版)  2020/12/4 野中 郁次郎 (著), 竹内 弘高 (著), 梅本 勝博 (翻訳)
・The Power of Little Ideas: A Low-Risk, High-Reward Approach to Innovation 2017/5/2 David Robertson (著), Kent Lineback
・ひらめきとアイデアがあふれ出す ビジネスフレームワーク実践ブック  – 2020/7/28 栄前田 勝太郎 (著), 竹田 哲也 (著), 宮木 俊明 (著)
・仕事はかどり図鑑 今日からはじめる小さなDX  – 2021/10/22 河西 紀明 (著), 宮木 俊明 (著), 栄前田 勝太郎 (監修), カタギリ ショウタ (イラスト)

【謝辞】

本論をまとめるに当たり、下記の皆様にご協力頂きました。ありがとうございました。
(順不同)
・ストリームエクステンション合資会社 松井利恵氏
・株式会社MULTIS 代表取締役 須々木龍太氏
・株式会社日立社会情報サービス 喜納真里子氏
・Idea Crafting Lab 代表 金澤明浩氏
・ライフ・ブレークスルー・ジャパン株式会社 代表取締役 ローレンス佐藤氏
・弦牧篤氏
・松田泰知氏
・立花浩司氏
・五十嵐啓太氏
・LiNaCreation代表 森忍氏


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