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断絶のザイル:後記―真壁玲子の取材ノートより―

高木が獄中で自ら命を絶つ一週間前、山岳ライターの真壁玲子は最後の手紙を受け取った。そこには、あの日、ザイルを切断する直前の数秒間、高木が目撃した「進藤の表情」について、公判では決して明かされなかった違和感が記されていた。
「……進藤の目は、私を助けようとする者の目ではなかった。あれは、獲物の死を確信した者の目だった。」
玲子はその言葉の真意を確かめるべく、進藤の遺品が保管されている実家を訪ねた。そこで彼女が見つけたのは、進藤がかつて遭難死させた「別のパートナー」の山行記録と、隠された借用書の束だった。

進藤は登山界の聖職者と謳われていたが、その私生活は破綻していた。莫大な借金、そして美奈子への歪んだ独占欲。 玲子は、進藤が美奈子と密会していたあの喫茶店で、進藤が美奈子に語った言葉を「別の角度」から洗い直した。
美奈子の証言はこうだ。「進藤さんは、高木さんを無事に帰すと約束してくれた」。 だが、玲子が見つけ出した当時の喫茶店の店員は、異なる断片を記憶していた。 「男の方は、泣きそうな顔の女性にこう言っていましたよ。『あいつはもう限界だ。一ノ倉の岩場は、弱い人間を篩(ふるい)にかける場所なんだ』と」
進藤は、高木を救おうとしていたのではない。 彼は、高木の猜疑心を極限まで煽り、高木に「自分を殺させる」ように仕向けていた。

玲子は、一ノ倉沢の現場を再訪した。 進藤は知っていたのだ。高木が自分と美奈子の仲を疑っていることを。そして、高木の精神が極限の登攀で崩壊寸前であることを。
進藤の計画は緻密だった。 自分が高木に殺されかける状況を作り出し、正当防衛として高木を突き落とすか、あるいは高木に「罪を犯させて」社会的に抹殺し、美奈子を自分のものにする。あの日、彼が高木に差し出した予備のスリング――それは、高木を助けるためのものではなく、高木がナイフを抜くことを誘発するための「最後の一押し」だった。
「……高木さんは、進藤の罠に嵌まった。でも、進藤もまた、山の魔力を見誤った。」
高木がザイルを切った瞬間、進藤の顔に浮かんだのは「悲しみ」ではなく、計画が完遂される直前の「歪んだ歓喜」だった。高木はその醜悪な本性を、ナイロンの繊維が弾ける刹那に見てしまったのだ。

進藤は死んだ。高木に殺されることで、彼は「永遠の聖職者」として美奈子の心に刻まれ、高木は「親友を殺した稀代の悪人」として獄に繋がれた。 進藤の勝利だった。彼は死をもって、高木からすべてを奪い去ったのである。
玲子は、一ノ倉沢の冷たい岩肌に手を触れた。 「山を愛する人に、悪人はいない……」 その言葉は、進藤にとっては「自分を装うための最強の盾」だった。

玲子はその証拠をすべて、一ノ倉沢の冷たい風の中で見つめた。これを公表すれば、進藤の虚像は崩れる。だが同時に、その虚像を支えに生きる美奈子の人生をも粉砕することになる。

 山は、ただそこに在る。  人間の善意も悪意も、一陣の吹雪がすべてを白く塗り潰していく。  玲子はライターを取り出し、高木の手紙に火を放った。炎は小さく爆ぜ、灰は谷底へと吸い込まれていった。それは、真相を永遠に氷河の下へ埋葬する儀式であった。

 彼女は重いザックを背負い直し、アイゼンの金属音を響かせながら、次の稜線へと歩み出した。山を愛する者に悪人はいない、という言葉の欺瞞を胸に刻み、真壁玲子の孤独な山行は続いていく。

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動画リンク
https://youtu.be/KAzYU7KETIQ

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