芸術と大衆と関係性 (現代芸術論)
新年度は現代芸術論のレポートからスタート。提出した「芸術の大衆化」というテーマについて、自身で書いたものを引用しながらリフレクションしておきたい。
テーマは少し抽象的で一見難しい印象を受けるものの、モダニズムの誕生から終焉という文脈に沿うとスッキリ整理できる。「高級芸術と大衆芸術」、「主体・客体」、「芸術の評価基準」を視点にまとめて提出したレポートは高い評価を得た。
「芸術至上主義」を源流とする、芸術の純粋性と自律性に対する自己批判を原動力とした高級芸術(ハイ・アート)は20世紀以降の多くのアヴァンギャルド芸術へと繋がっていく。他方、都市部における給与所得層を主体とした大衆の誕生により、多数の嗜好を満たす大衆芸術(ロウ・アート)がマスメディアの発達と合わせて急速に発展していった。
アヴァンギャルド芸術の中には偏りのある主張もあったが、その眼差しは近代に生きる人々の暮らしに向けられている。過度な装飾の否定や機械への賛美など、芸術家自身が肌感として社会変革を受け止め、巧みに表現として取り入れた。おそらく20世紀初頭の西洋はそれほど価値観が変動した時期であって、情報テクノロジーにより社会規範が根本から揺らぎつつある現在に近い状況だったのかもしれない。
もう一つ、二律背反的な西洋論理がこの時代のあらゆる思想に通底しており、芸術概念もまたそのフォーマットに沿って構築されたことも基本軸として認識すべき事項だろう。後にグリーンバーグも批評したように、「高級芸術と大衆芸術、主体と客体、芸術と反芸術、本質と抽象。概念対立を通して批判的に構築するという展開がモダニズムを洗練される術だっと言える。
最初の契機は、マルセル・デュシャンが《泉》を提示することに始まる。鑑賞者が考えることで初めて作品が成立する、芸術の主体はアーティストの内的側面でなく、鑑賞者の知覚認識であるとする客体中心の視点を提示したことで芸術鑑賞の在り方を変化させた。更に第二次世界大戦後には、デュシャンらネオ・ダダの思想を継いだポップアートが芸術自体に問いを投げかける。ポップアートは日常にあふれるモノとアートの境界線を曖昧にし、鑑賞者自身に作品がアートであるかどうかを判断させた。
初期のモダニズムは先鋭ながらも社会運動的な側面が強く、「近代的自己の追求」という方向性がはっきり見えるが、高度に理論化された後期モダニズム、特にフォーマリズムあたりからは極地に近づき、芸術というよりも思想のような形態となってくる。またモダニズム終焉以降は、何を持って芸樹とするのか、芸術の価値基準もかなり曖昧になっていく。
例えば日本においては、村上隆の「スーパーフラット」のような、サブカルチャーをモチーフとする作品を通じてアートに関心を持たない人々を惹き入れることに成功し、また日本の「地域アート」では多くの鑑賞者が会場に足を運び、参加することで作品の一部となる大衆のモチーフ化とも言える現象が見られるようになる。
失われた時代が始まった90年代以降、「J回帰」と浅田彰が命名したように日本美術の復古現象は多く見られるし、海外のアートシーンで活躍する現代芸術作家が次々台頭してくる。また、リレーショナルアート、パブリックアートと関連性のある「芸術祭」も新たな動きとして見られるようになる。イズムが終焉し、ポスト・モダニズムがバブル終焉と共に勢いを失った後、現代芸術の新たな方向性を模索し始める。
古典絵画からモダニズムまで、美の基準として体系化された価値基準に当てはまらない作品がアートとして提示される。そうなると、社会一般の価値基準、現代の拝金的資本主義だと全てお金に還元されていく。一旦、交換価値化されると、ビジネスモデルに組み込まれ、社会制度の一部となっていく。地域アートなどではこの辺り顕著だ。「Being」ではなく「Doing」、行政施策やビジネスモデルである「How」が優先されることになっていく。評価という観点において図と地が逆転したように見えてくる。
モダニズムの大義が喪失されポストモダンの迷走を経た今、大多数の一般人という大衆の概念は消滅しつつあり、多様な個性や価値観を尊重する多元的社会に向かっている。個々人の内的側面も多層化し、一人の人間が高尚な芸術と刹那的なエンタメ作品を同時に鑑賞する時代となった。誰もがリテラシーのある教養人となり、同時に大衆であり得る。
自分は一般人だけれど他人と横並びの「誰でもない」大衆ではない。今ではそんな意識を持つ人が多いのではないだろうか。80~90年頃迄の昭和と比べると、個性は当たり前、他者の個性も受容する多元性を前提とする社会へと徐々に変動してきたように感じる。こうあるべきというペルソナの境界は曖昧となり、例えば会社やプライベート、オンラインでそれぞれ異なる行動や嗜好を持つアイデンティティの一貫性のなさは驚くことではなくなっている。
同じコンテクスト、嗜好、状況で評価が一致する、と言うことはありそうだ。とあるオンラインコミュニティのみで賞賛されるミーム、週末のオフ会仲間内で流通する唯一無二のフィギュア。一人一人のナラティブがありその交点でシンクロする、互いが認めあう価値基準がある。今の美の価値基準がシチュエーションスペシフィックなのかもしれない。
モダニズムは近代に誕生した個体の概念的追求という歴史の時間軸に沿う展開だったのに対し、21世紀の芸術はより多面的なベクトルで捉えるのが良さそうだ。そこで鍵となってくるのは、「他者との共創」という関係性のコンテクストであり、複合化した個人の現実(アイデンティティ)のつながりが生む「認める」行為が評価そのものとなるのではないだろうか。芸術の役割がもし「人とは何か」を知り、新たな価値観やより良い人間性を生み出すことにあるとすれば、その方向は間違っていないように感じる。
レポートの作成にはこのあたりを参考にしました。何かの役に立てれば。
<参考文献>
美術手帖 編. 現代アート辞典. 美術手帖. 2009
スティーブン・リトル. <・・・イズム>で読み解く美術. 新樹社. 2006
モダニズムのハード・コア―現代美術批評の地平 批評空間 第2期臨時増刊号. 太田出版. 2015
現代美術 ウォーホル以後 美術出版社 2000
現代アート10講 田中正之/編 2020
英米「ポップ・アート」再考 楠田 真 日本大学大学院総合社会情報研究科紀要 No.13, 251-261 (2012)
大衆芸術を考える-芸術社会学覚書- 水野邦彦 一橋論叢 第112巻 第2号 1996/8
