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恋愛で病む人は、恋愛が下手なのではなく人生の基礎ステータスが足りていない

恋愛はクソゲーなのか。

最近、そんなことを考える機会があった。

結論から言えば、僕は恋愛そのものがクソゲーだとは思わない。

ただし、人生の基礎ステータスが足りないまま恋愛に突っ込むと、かなりの確率でクソゲー化するとは思っている。

これはかなり残酷な話だ。

多くの人は、恋愛をどこかで「救済イベント」だと思っている。

誰かが自分を理解してくれる。
誰かが自分を受け入れてくれる。
誰かが孤独を埋めてくれる。
誰かが自己肯定感を上げてくれる。
誰かがつまらない人生を明るくしてくれる。

そういう期待を持つこと自体は、人間として自然だと思う。

人は誰だって、誰かに愛されたい。
誰かに選ばれたい。
誰かに必要とされたい。
誰かの特別になりたい。

それは別に悪いことではない。

ただし、その期待を恋人に丸投げした瞬間、恋愛は一気に地獄になる。

なぜなら、恋人は親ではないからだ。
精神安定剤でもない。
自己肯定感の補助輪でもない。
孤独を全部埋めてくれる都合のいい存在でもない。

恋愛とは、近距離で他人と人生を擦り合わせる行為である。

だからそこでは、その人の人生の基礎ステータスがかなり露骨に出る。

金銭感覚。
清潔感。
容姿管理。
会話力。
生活リズム。
メンタル管理。
性への向き合い方。
孤独への耐性。
相手の人生を理解する力。
自分の欲求を言葉にする力。
相手の欲求を聞いても崩れない精神力。

これらが足りていない人間が恋愛に入ると、恋愛は一瞬で高難度ダンジョンになる。

そして本人はこう言う。

「いい人がいない」
「男が悪い」
「女が悪い」
「愛されない」
「分かってもらえない」
「恋愛はクソゲーだ」

違う。

恋愛がクソゲーなのではない。

初期ステータス不足で高難度ダンジョンに入っているだけである。

恋愛は、自分の弱さが一番出る場所である

恋愛の怖いところは、自分の弱さが隠せないことだ。

仕事なら、ある程度は取り繕える。
友人関係なら、距離を取れば誤魔化せる。
SNSなら、見せたい自分だけを見せられる。

でも恋愛はそうはいかない。

返信の遅さに不安になる。
会えない時間に病む。
相手の一言で自己価値が揺れる。
相手の予定に自分の存在価値を見出してしまう。
相手の態度ひとつで一日が終わる。

そういう近さがある。

恋愛は、人間の綺麗な部分だけでは成立しない。

寂しさ。
嫉妬。
性欲。
承認欲求。
独占欲。
不安。
見栄。
劣等感。
依存心。
プライド。

そういう、できれば人に見せたくない部分が普通に出る。

だから、恋愛でうまくいかない人は「相手が悪い」で終わらせる前に、一度考えたほうがいい。

自分はそもそも、誰かと近距離で生きるだけの基礎体力を持っているのか。

自分の機嫌を自分で取れるのか。
寂しさを相手だけで埋めようとしていないか。
不安をそのまま相手にぶつけていないか。
愛されたいばかりで、自分が相手に何を渡せるか考えているか。

ここを見ないまま恋愛に入ると、かなり苦しい。

恋人に親の役割を求める人は、だいたい詰む

恋愛で壊れる人の多くは、相手に恋人以上の役割を求めている。

自分を肯定してほしい。
察してほしい。
癒してほしい。
機嫌を取ってほしい。
寂しさを埋めてほしい。
傷ついた過去ごと受け止めてほしい。
不安にさせないでほしい。
ずっと自分を最優先してほしい。

ここまではまだ分かる。

人間なので、そう思ってしまう時はある。
弱っている時ほど、誰かに丸ごと受け止めてほしくなる。

ただ、それを当然の権利として相手に求め始めると、かなり危ない。

それは恋人ではなく、親に近い役割だからだ。

もちろん、恋人同士で支え合うことは大切だ。
弱っている時に助け合うことも必要だと思う。
恋愛には、そういう温かさがあっていい。

でも、常時、

「私を救って」
「俺を満たして」
「私の不安を全部消して」
「俺の自己肯定感を上げて」
「私を絶対に寂しくさせないで」

とやり始めると、相手は人間ではなく精神安定剤になる。

そして、人間を精神安定剤として使う関係はだいたい壊れる。

恋愛は、孤独な人間ほど欲しくなる。

でも皮肉なことに、孤独を自分である程度扱えない人間ほど、恋愛に入った瞬間に相手を壊す。

ここがかなり残酷だと思う。

金・容姿・清潔感・会話力は、綺麗事抜きで入場券である

恋愛の話になると、すぐに「人は中身だ」という綺麗な言葉が出てくる。

それ自体は間違っていない。

中身は大事だ。
誠実さも大事だ。
優しさも大事だ。
価値観も大事だ。

ただし、中身を見てもらうためには、最低限の外側を整える必要がある。

清潔感がない。
服がヨレている。
髪型に気を使っていない。
肌や体型を完全に放置している。
会話が自分の話ばかり。
金銭感覚が幼い。
すぐ不機嫌になる。
相手の立場を想像できない。

この状態で「中身を見てほしい」と言うのは、かなり無理がある。

それは「料理は美味しいから、店内が汚くても食べに来てくれ」と言っているようなものだ。

恋愛における容姿や金や清潔感は、必ずしも勝利条件ではない。
でも、かなりの場面で入場券になる。

外見至上主義が正しいと言いたいわけではない。

ただ、人間は普通に、

「一緒にいて不快ではないか」
「安心できるか」
「尊敬できる部分があるか」
「性的・感情的に惹かれる部分があるか」
「近い距離にいても大丈夫か」

を見ている。

そこに何も差し出せないまま、相手からの愛だけを求めるのは、かなり虫がいい。

恋愛は等価交換だけではない。
でも、完全な無償配布でもない。

パートナーを病ませない人は、“意味のない時間”を軽視しない

もうひとつ大事なのは、恋愛はスペックだけでは維持できないということだ。

稼いでいる。
見た目も悪くない。
仕事もできる。
社会的にはちゃんとしている。

それでもパートナーを病ませる人はいる。

なぜか。

相手のメンタルが安定する時間を、無駄だと思っているからだ。

たとえば、どうでもいい雑談。
カフェでの長話。
散歩。
一緒に買い物に行く時間。
寝る前の少しの会話。
抱きしめること。
触れること。
「今日どうだった?」と聞くこと。

生産性だけで見れば、かなり無駄に見える。

でも、関係維持においてはこの“無駄”がかなり重要になる。

特に親密な関係では、正論や問題解決だけでは足りない。

人間は「自分がまだ大事にされている」と確認できないと、不安になる。

その不安が積み重なると、やがて相手は病む。

もちろん、これは女性だけの話ではない。
男性も同じだ。

ただ、女性のほうが会話や共感によって関係性の安心を確認する傾向は強いと感じる場面は多い。

だから男性側が、

「その話、結論ある?」
「で、何が言いたいの?」
「解決策はこうでしょ?」

だけで処理していると、普通に関係は削れていく。

恋愛は、正解を出すゲームではない。
安心を積み上げるゲームでもある。

性やスキンシップは、綺麗事抜きで関係のメンテナンスである

恋愛や結婚において、性の問題を軽視しすぎる人も多い。

もちろん、性欲の強さには個人差がある。
頻度も、価値観も、触れられたいかどうかも、人によって違う。

だから「こうするべき」と一律に決めることはできない。

ただし、スキンシップや性的な接触が、関係性の安心に大きく関わる人は多い。

抱きしめられる。
触れられる。
求められる。
女として、男として、まだ見られていると感じる。
自分の身体が拒絶されていないと感じる。

こういう確認は、想像以上にメンタルに影響する。

逆に、ここが長期間なくなると、単純な性欲不満だけではなく、

「もう愛されていないのでは」
「自分に魅力がないのでは」
「ただの同居人なのでは」
「この人と一緒にいる意味は何なのか」

という不安に変わっていく。

だからレスの問題は、単に性の問題ではない。
関係の承認が失われる問題でもある。

恋愛や結婚を長く続けるなら、会話・生活・金・家事だけでなく、身体的な安心もメンテナンス対象に入れたほうがいい。

ここを軽視すると、かなり高確率で歪みが出る。

恋愛で壊れる人は、恋愛以前に生活が壊れている

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